2016
03.26

久留米・神籠石(こうごいし)を探して

Category: 街道をゆく
柳川から久留米に向かい、そこで一泊した翌朝は仕事が始まる前に高良(こうら)大社に登ってきました。
かつて松本清張が書いた「古代史疑」に出てきた「神籠石」を確認するためです。
宿泊した西鉄久留米から久大線の「久留米大学前駅」までバスがありました。
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歩こうと思ったのですが、都合よくタクシーが通りがかったので「高良大社」の門前まで楽にきました。
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拝殿は工事中のようですが、筑後の国の一宮として長い歴史があるとのことです。
創建は仁徳天皇の時代といいますから、5世紀でしょうか。九州でも最も古い神社ですね。
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展望台がありましたが、雨で全く見えません。
晴れた日には筑後平野が一望できたのでありましょう。
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さてお参りを済ませ、石段をくだり神籠石を探しにまいりましょう。
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少し降りてくると、筑後平野がかすかに見えてきました。
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雨が降り足元も悪いし、スーツ姿なのでアスファルトの道を歩くことにしました。
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「神籠石」と書かれた矢印を見つけました。行ってみましょう。
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オー、左手に見える石積みが神籠石でしょうか。
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更に石段の上にも石垣風の神籠石が見つかります。
古代の日本書紀などにも記述がなく、城郭なのか神社の聖域なのか判別がつかないもののようです。
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私の見解では、お城の一部とはとても思えません。
神社の領域を示す標識のように感じます。
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こういう大きな石を運んでくる権力が、古代の九州には存在していたのですね。
この辺りは古くから人が住み着いていた地域だったのです。
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このお墓は墓石の成形状態から比較的近世のもののようです。
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ちゃんと石碑が建てられていて、見過ごすことが無いようになっていますが、
行きのタクシーの運転手さんは全くその存在を知らないようでした。
やはりその世界に興味がなければ、地元の人でも知らないものなのですね。
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この様に道端にあることから、この山全体を聖域として石垣を張り巡らしたのが実情のような気がします。
大宰府の裏手にあった大野城と異なり、明らかにお城ではありませんね。
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午前中に久留米・高良山を見て周り、午後からの仕事に復帰しました。
筑後1泊2日の旅おわり。
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