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2014.02.10
四国の旅:徳島城
またまた所用があり、今度は四国:徳島へ飛びました。
午後の用事のために私にとっては珍しく飛行機を利用し、「徳島阿波おどり空港」へ到着です。
四国は「高知龍馬空港」といい、冠名の空港が目立ちます。

空港からバスに揺られて30分、丁度お城の正面「徳島公園」で下車できました。
道路を渡る歩道橋の上から東門である「鷲の門」が見渡せます。戦前は徳島城唯一の遺構だったそうです。
空襲で消失したものを個人の方の力で1989年に復元されたと聞きます。頭が下がる思いです。

門の右手に見えていた石碑と堀。

「下乗橋」を渡り城内へ向かいます。

橋の右手の石垣の石に特徴があります。
平べったい青石が使われています。眉山(市内を展望する山)から運ばれてきたとのこと。
海を隔てた和歌山城も青石が使われていたので、この近隣から産する石なのですね。

左側の石垣もきれいな「切込みハギ」ですね。
徳島城は建物は一切残っていませんが、石垣は見るべきものがあります。

博物館に隣接する表御殿の庭園を覗いてみました。入場料はなんと僅か50円、良心的!

ここも枯山水の石がすごいです。大きい。

上を渡ってみました。青くワニの背中を歩いているような気持ちです。

石の造形美ですね。

こちらもしかり。

庭園を出て、山の上にある本丸を目指します。

藩祖の「蜂須賀家政公」です。
秀吉の時代に四国征伐で功を上げ、阿波18万石で入封しました。
関ヶ原の戦いでは東軍に組して、25万石の大大名となりそのまま明治維新を迎えます。

60mの低い山ですが、ずっと階段でしたから結構シンドイです。
二の丸が見えてきました。(三の丸はこの下で配水池になっていました)

櫓跡の敷石が残っています。

「西二の丸」跡です。二の丸は東西に2箇所あったそうです。

さていよいよ本丸が見えてきました。

わりと広めの本丸です。
建物は何も残っていませんが、往時は御殿や天守もあったのではないでしょうか。

こちらは本丸から東側に下ったところにある「東二の丸」です。
ここに天守の代用となる「御三階櫓」があったそうです。
まあ確かにここからの方が眺めはいいように思いますし、城下からの見栄えもいいでしょう。

最後にお堀の向こうに見えていた「数奇屋橋」を渡って、徳島城を後にしました。

四国の旅つづく・・・
午後の用事のために私にとっては珍しく飛行機を利用し、「徳島阿波おどり空港」へ到着です。
四国は「高知龍馬空港」といい、冠名の空港が目立ちます。

空港からバスに揺られて30分、丁度お城の正面「徳島公園」で下車できました。
道路を渡る歩道橋の上から東門である「鷲の門」が見渡せます。戦前は徳島城唯一の遺構だったそうです。
空襲で消失したものを個人の方の力で1989年に復元されたと聞きます。頭が下がる思いです。

門の右手に見えていた石碑と堀。

「下乗橋」を渡り城内へ向かいます。

橋の右手の石垣の石に特徴があります。
平べったい青石が使われています。眉山(市内を展望する山)から運ばれてきたとのこと。
海を隔てた和歌山城も青石が使われていたので、この近隣から産する石なのですね。

左側の石垣もきれいな「切込みハギ」ですね。
徳島城は建物は一切残っていませんが、石垣は見るべきものがあります。

博物館に隣接する表御殿の庭園を覗いてみました。入場料はなんと僅か50円、良心的!

ここも枯山水の石がすごいです。大きい。

上を渡ってみました。青くワニの背中を歩いているような気持ちです。

石の造形美ですね。

こちらもしかり。

庭園を出て、山の上にある本丸を目指します。

藩祖の「蜂須賀家政公」です。
秀吉の時代に四国征伐で功を上げ、阿波18万石で入封しました。
関ヶ原の戦いでは東軍に組して、25万石の大大名となりそのまま明治維新を迎えます。

60mの低い山ですが、ずっと階段でしたから結構シンドイです。
二の丸が見えてきました。(三の丸はこの下で配水池になっていました)

櫓跡の敷石が残っています。

「西二の丸」跡です。二の丸は東西に2箇所あったそうです。

さていよいよ本丸が見えてきました。

わりと広めの本丸です。
建物は何も残っていませんが、往時は御殿や天守もあったのではないでしょうか。

こちらは本丸から東側に下ったところにある「東二の丸」です。
ここに天守の代用となる「御三階櫓」があったそうです。
まあ確かにここからの方が眺めはいいように思いますし、城下からの見栄えもいいでしょう。

最後にお堀の向こうに見えていた「数奇屋橋」を渡って、徳島城を後にしました。

四国の旅つづく・・・
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