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2012
07.16

さりとてはの者

Category: 秀吉
最近、火坂雅志さんの「墨染の鎧」という本を読みました。
上下2冊で文庫本の方です。
主人公は戦国末期に毛利家の外交僧として活躍し、僧侶でありながら秀吉に気に入られ戦国大名となり、
最後は関ヶ原の合戦に毛利輝元を西軍の大将に担ぎ出し石田三成らと敗軍の将となった安国寺恵瓊の物語です。

いかにも怪しげで謎の多い人物ですが、火坂さんがやっと小説の主人公にしてくれました。
火坂さんは直江兼続や黒田如水とか参謀・軍師的な人を描くのが得意ですね。
内容は小説を読んでもらうとして、以前より安国寺恵瓊が天正元年(1573年)に書いた以下の手紙のことが気になっていました。
(天正元年は信長が浅井を滅ぼして、秀吉が長浜城主になった頃です。)

「信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候」
織田信長の転落と羽柴秀吉の躍進を予想し、それが的中したことで恵瓊の時代を見る目が正しかったと言われています。

ところで「さりとてはの者」とは本当にその人物を評価していたのでしょうか?
意味を調べてみると、
さり‐とて【▽然りとて】そうだからといって。そうかといって。「悪くはない。―感心するほどの出来映えでもない」
という意味であります。

僭越ながら私の解釈としては、
「信長の時代はそう長くは続かんでしょうが、家臣の秀吉はまあまあいいやつだから付き合っておけば毛利家に損になることはないよ」
という織田家を軽んずるコメントのような気がします。

そうですね大河での安国寺恵瓊は
65年「太閤記」の桑山正一さん
78年「黄金の日日」の神山繁さん
2000年「葵徳川三代」の財津一朗さん
を覚えています。
神山さんは押し出しがよく、財津さんはお調子者という感じでした。
中でも一番うさんくさかったのが「太閤記」の桑山さんですが、そんな話をしても相槌を打ってくださる人はおらんかもね。


旅に出ますので、ブログの更新が滞ります。悪しからず!
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