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飫肥(おび)城

大分と宮崎の旅、最終日は宮崎市のホテルを早朝に出立し、日南線で飫肥(おび)という古い城下町を訪れました。
宮崎から列車で1時間、山に囲まれた小さな城下町です。特産は杉や檜の木製品だとのこと。
江戸時代は伊東氏が5万石で入封、それ以前は伊東氏と島津氏との壮烈な争いが100年も続いたところだそうです。
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落ち着いた武家造りの町を大手門へ向かいます。
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1978年に復元された大手門であります。
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門の前には形ばかりの空堀があります。この程度では防御的要素はあまりありませんね。
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すぐに本丸へと続く石段が現れます。
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Z型に切り替えして進みます。奥は現在、歴史資料館になっていました。
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ガーン、かつて御殿があったであろうところは学校の校庭になっていました。
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さらに奥の丸があるようです。
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こちらは杉木立が並び、かつては祭事を執り行う場所であったのかしら。
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その奥には搦め手門があるので、降りてみました。グルッと周りを1周してみましょう。
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あーこれがさっきの飫肥小学校の正門なのですね。かつての藩校です。
会社の隣に座っている同年齢の方が偶然ここの出身でありました。
お見せしたら、なつかしがっていました。
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1周して大手門の近くにくると、日露戦争後のポーツマス会議で活躍した外相・小村寿太郎の生家がありました。
お城の近くではありますが、小村家は没落して小さな家で暮らしていたとのことです。
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町並みはこんな感じでかつての武家屋敷を彷彿とさせます。
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うーんシブイ!
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宮崎~飫肥は2時間に1本しか列車がなく、朝7時前に出てきたのでまだ10時です。
これならもう1箇所めぐることができるかなと思い、飫肥駅に戻ってきました。
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ふと思いついて訪れたのが日南海岸の青島です。
50年前に父と来た覚えがあります。
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「鬼の洗濯岩」と呼ばれる波で侵食された岩肌です。
向こう岸に家族で泊まったことのある「シーガイア」の建物が見えます。
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12月でしたが、ポカポカ陽気でもう「天国」といった気分でした。
「南国はいい!」というこの時の感想が次の旅行先を決定しました。
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南洋植物が生い茂った島をぐるっと1周してから青島神社にお参りしました。
かつては新婚旅行のメッカと呼ばれた日南ですが、今は中国人のメッカでした。
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そしてそれから宮崎空港へ徒歩で向かい、午後の飛行機で横浜へ戻ってきました。
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大分・宮崎の旅おしまい

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2015/01/27 08:49 |城めぐりCOMMENT(1)TRACKBACK(0)  

やっぱりイマイチ「花燃ゆ」

ナレーションの池田秀一さんて、ひょっとして記憶の彼方にあるあの人?
と思って調べたら、やっぱりそうでした。
昭和30年代の名子役。私の記憶だとNHKのドラマ「路傍の石」の吾一少年だった人ですね。
試練と悲劇を乗り越え、健気に生きていく無垢な少年という役どころが視聴者を泣かせたと覚えてます。
その後、声優として活躍されていたようです。

その池田さんはいいとしても、物語のノリが面白くない。
吉田松陰の生き様を忠実に追っているのは分かるのだが、話が弾まないんですよね。
とってつけたように主役の文(井上真央さん)が出てきて、「江」や「篤姫」のノリなんですよ。

長州藩の内部抗争を描いても、逐一それを文と合わせないといかんのですかね。
この時代の長州は人間関係が複雑で、一般視聴者は理解が追いつかないと思います。
わずか3回見ただけですが、こりゃー前途多難ですな。

2015/01/18 21:58 |花燃ゆCOMMENT(2)TRACKBACK(0)  

延岡城・高鍋城

次は大分県の佐伯から宮崎県の延岡まで行こうとしたのですが、なんと各駅停車の列車がありません。
僅か60kmですが、わだわざ特急に乗らねばなりませんでした。
現代でも国(県)をまたいで旅行するのは、いろいろと制約があるものですね。
特急で1時間、延岡駅に到着。
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駅前のレストランで昼食を済ませ、市内中心部から五ヶ瀬川を渡り20分ほど歩くと小高い山が見えてきます。
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ここが延岡城です。
大分、宮崎は小藩が乱立し、いくつもの城下町が点在しています。
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途中、三の丸跡の表示がありますが、草木が生い茂り面影はありません。
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一気に本丸まで登ってきました。
最後の殿様である内藤氏の銅像があります。
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天主台跡に鐘付き堂があり、現在も1日に6回、市民に時刻を告げているそうです。
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現代では旭化成の企業城下町として繁栄しています。
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駅に近い東側から登ってきたので、北西側に下りてみるとこちらが二の丸ですね。
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やはりこちらが正式な大手口で復元された大手門がありました。
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北側の市役所裏手には正面らしい石垣が残されてありました。
もう少しお城の保存に手を入れてくれるといいですね。失った後では遅いですよ。
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今日は忙しいですね。宮崎をさらに南下して15時半に高鍋駅に到着です。
夕刻までにあまり時間がないので、駅前からバスで高鍋城に向かいます。
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秀吉の九州征伐以降は秋月氏の居城になり、財部(たからべ)から高鍋(たかなべ)に改名したそうです。
大手口にある三の丸は今では舞鶴神社となっています。
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こちらはだだっ広い二の丸、何もないけどかつては御殿があったのでしょう。
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立派な高石垣がありますが、まったく手入れしてありません。保存大丈夫でしょうか。
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櫓があったであろうところから城下が見渡せますが、木が生い茂っています。
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案内書もなく藪になっているので、どう進めばいいのか分かりませんが、なんとか本丸への階段を見つけました。
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意味不明のモニュメントがありますが、この辺りが本丸だったのでしょう。
多分天守(三階櫓)のあったところだと思います。
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本丸の上にもまだ何かあるようです。まるでインディ・ジョーンズの世界ですね。
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詰の丸ですね。なかなか手の込んだお城だったようです。
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帰りは1時間ほどかけて高鍋駅に向かいました。
大手口を出たところに高鍋農業高校があり、その外側に堀がありました。
かつてはここまでが城内だったのですね。
かなりの縄張りを持った城郭なので、なんとか行政が維持と復元に努めていただきたい。
立派な風格を持ったお城なのに残念な気持ちです。
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高鍋駅に着くころにはすっかり夜の帳が下り、そこから宮崎に向かい今宵の宿をとりました。

2015/01/18 11:58 |城めぐりCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

佐伯城

津久見のホテルで1泊し、早朝に次の目的地である佐伯へと向かいました。
宿泊したホテルのご主人は、かつては横浜にいたということで住所が私のすぐ近くで話が盛り上がりました。
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早朝の佐伯行きの電車は土曜日ということもあってか、この車両には誰も乗っていません。
私のリュックがポツンとあるだけです。
九州のJR車両は各駅でもキレイですね。
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とても鄙びた感じの佐伯駅に到着です。
ここから向かって左の方へ歩いて、山の上にある佐伯城を目指します。
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歩いて20分、城山の麓に佐伯鶴城(さえきかくじょう)高校があります。
文武両道の名門で、有名な水泳選手を輩出していたのを記憶しています。
ここにはかつて藩のお屋敷があったのでしょう。
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近くにはかつての城下町の名残の立派な門がありました。
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ここは毛利氏2万石の居城であります。
毛利氏と言っても長州の毛利とは血縁関係はなく、元々は森氏であったのが秀吉の「中国大返し」の際に
人質として毛利方に預けられて、毛利輝元から勧められ森→毛利への改名となった次第です。
左手三の丸には文化会館があり、これから登る山の上に二の丸と本丸がある造りです。
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こういった石畳の山道を登って行きます。
ややハードな散歩コースですが、休日なので沢山の地元の方とすれ違いました。
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登ること20分、二の丸の石垣が見えてきました。
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頂上からは佐伯湾が見渡せます。
晴れた日には四国の日振島が見えるそうです。(後で出会った佐伯鶴城高校の生徒が言ってました)
日振島・・・平安時代に平将門と同時に乱を起こした藤原純友の本拠地です。
76年「風と雲と虹と」で今は亡き緒形拳さんが演じてましたね。
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本丸へと続く石段です。
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わりとこじんまりとした本丸跡ですね。2万石に釣り合うような質素さです。
江戸時代にもほとんど使われていなかったそうです。
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奥の方に出丸があったので、向かいました。
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山の方にも町が広がり、番匠川が流れています。
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出丸から本丸方面を望みます。
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出丸の端には隅櫓の礎石があり、その下は断崖絶壁となっています。
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出丸の奥にも道があり、搦め手側の登り口となっています。
途中、佐伯鶴城高校の野球部の同じ生徒に何度も会うので聞いてみたら、
トレーニングのために大手道と搦め手道を3回登り下りするとのことでした。
パワーが付くことでしょう。
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城を下ると、「汲心邸」というお屋敷らしい茶室があります。
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落ち着いた城下町が続く佐伯、なかなかのもんですな。
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さらに国木田独歩が若いときに過ごしたという屋敷も残されていました。
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掘割に沿って駅に戻って行きます。あの山の向こう側が佐伯駅です。
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次は大分から宮崎に入り「城めぐり」を続けます。
今日はあと2城こなす予定です。

2015/01/12 21:29 |城めぐりCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

臼杵石仏と臼杵城

各駅停車で1時間半、杵築から臼杵の1つ手前である上臼杵駅で下車します。
石仏まで歩くにはこちらの方が近いのです。なんとものどかな駅舎です。
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国道沿いを歩いて行きますが、こちらで降りてラッキーでした。
昼飯時でしたので、いくつか食べ物屋さんがあり、うどん屋でなんとか空腹を満たすことができました。
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冬とは思えないような陽気で、1ヶ月前に歩いた「みちのく」とはエライ違いです。
風景も青々としています。のどかでいいですね。
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歩くこと1時間、石仏の里が近づいてきました。
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臼杵の石仏は国宝なのです。540円払い入場します。
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平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたと言われています。
ここら辺は石灰岩が多く石仏を彫りやすいのでしょう。
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これなんかは大きい方ですね。
従来はむき出しだったのでしょうが、今は劣化を防ぐために屋根が施してあります。
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磨崖仏とも言われ、全国初の国宝に指定されました。
シルクロードの面影を感じます。あちらの職人さんが渡来して来たのでしょうかね。
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カビが生えてきたので、紫外線で除去している石仏もありました。
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石仏の里からバスで臼杵の中心街に戻って来ました。
売店の人に「町を観光するなら、三重塔がある龍原寺で降りるといいよ。」とアドバイスされ下車しました。
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白壁に囲まれた寺町が続き、江戸の町並みが今も残されています。
見学ができた旧家の2階からの風景です。
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お城へと続くメインストリートです。活気がありますね。
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5万石で入封した稲葉家の下屋敷がありました。
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入場料が必要だとのことですが、併設されている茶店で注文すれば座敷で飲めるというプランがあると聞きました。
お店も満席だったので、殿様気分で庭を見ながらコーヒーをいただきました。
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さて夕刻になりました。のんびりしてられません。城攻めにとりかかりましょう。
大手口から登城します。
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坂を上りきると左手に鐘楼があります。ここから時を告げていたのですね。
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広大な二の丸はお屋敷の代わりに野球場となっていました。
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本丸入り口には石垣で空堀が残されています。
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本丸裏手の卯寅口は稲荷神社になっていて、わずかに櫓だけが現存しています。
こちらを降りた方が駅への近道です。
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歩いて15分で臼杵駅に到着です。ここから今宵の宿をとった津久見へと向かいます。
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2015/01/03 09:46 |城めぐりCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

謹賀新年:杵築城からの朝日

皆様、新年あけましておめでとうございます。
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12月に入り寒くなったので、暖かい九州のお城を攻めてみました。
大分県の杵築駅に朝8時前に降り立ちました。
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お目当ての杵築城まではやや距離があるので、バスを利用しましたが誰も乗っていませんね。
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15分ほど乗車し杵築バスセンターに到着、そこからお城の入り口までは歩いて5分ほどです。
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空堀に守られ海に突き出たお城であります。
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本丸の手前には、このような石塔が無数にあります。
ここから臼杵にかけては石塔・石仏の宝庫のようです。
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天守からは大きな河口と山々も見え、最初の写真のように海側は佐賀関や遠く四国も望むことができます。
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こちらは再建された模擬天守ですが、「杵築城」ではなく「木付城」となっていました。
もともとは木付氏のお城だったのですね。
再建天守自体はそれほどのものではありませんが、ここからの眺めは最高ですね。
もっと宣伝してもいいのではないでしょうか。
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城を下り、城下町を歩いてみました。
「勘定場の坂」と名づけられた江戸の風情を残す石と白壁です。
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杵築藩3万石の上級武士のお屋敷があったところです。屋敷は見学もできます。
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初めて訪れた杵築でしたが、古い日本が残されてあり満足できました。
さらに大分を南下して次の目的地に向かいます。

2015/01/01 10:00 |城めぐりCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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