路線バスに揺られること1時間、唐津バスセンターへ再び戻ってきました。
道を隔てた隣は唐津市役所で、ここはかつての唐津城三の丸あたりでしょうか。ここだけ堀が一部残されてあります。

バスセンターから北側の唐津湾の方角へ歩いて200mほど行くと、「唐津神社」がありました。
ここは歴代藩主の祈願所となったほどの格があるようです。

神社の裏手には旧藩校の名残となる門だけがありました。

更に海沿いを目指して行くと、重要文化財の「高取邸」があります。
この辺はお城が近いので、藩の重役の屋敷があったような町並を感じます。

唐津炭田の採掘方法を考案して財を成した「高取伊好(これよし)」の邸宅であります。

和洋折衷で明治の建築様式がうかがわれます。
朝ドラ「花子とアン」で有名になった蓮子のモデル柳原燁子(白蓮)も炭鉱王の邸宅に住んでいましたが、似たような雰囲気です。
あの北九州の飯塚にあるというお屋敷も今度行ってみたいですね。

屋敷の外は砂浜で、唐津湾に浮かぶ島々が点在しているのが見えます。

その浜辺にくっつくようにある1つの島の頂上に唐津城が築かれています。
砂州で島が陸続きになっているのを利用した本丸部分でもあります。
これからあそこに登ってみましょう。

結構急な勾配ですね。

本丸御門が見えてきました。汗ばんできました。

天守が見えました。

実は唐津城には元々天守はなく、昭和41年に観光用に建てられたものです。
今は土台の石垣を積み直しているようです。
完成は平成30年ですって、長くかかるもんですね。

今日は名護屋城にも寄ってから来たので、もう夕方になりました。
大きな松浦川を渡った向こう側に今宵の宿をとったので橋を渡ります。正面に見えてきました。

こちらが本日の宿「高木旅館」です。
1泊2食付で5800円というコスパ抜群で、楽天の評価も高かったのをタイミングよく予約できました。

後ろを振り返ると、海に浮かぶように唐津城が見えました。まさに「浮き城」ですね。

道を隔てた隣は唐津市役所で、ここはかつての唐津城三の丸あたりでしょうか。ここだけ堀が一部残されてあります。

バスセンターから北側の唐津湾の方角へ歩いて200mほど行くと、「唐津神社」がありました。
ここは歴代藩主の祈願所となったほどの格があるようです。

神社の裏手には旧藩校の名残となる門だけがありました。

更に海沿いを目指して行くと、重要文化財の「高取邸」があります。
この辺はお城が近いので、藩の重役の屋敷があったような町並を感じます。

唐津炭田の採掘方法を考案して財を成した「高取伊好(これよし)」の邸宅であります。

和洋折衷で明治の建築様式がうかがわれます。
朝ドラ「花子とアン」で有名になった蓮子のモデル柳原燁子(白蓮)も炭鉱王の邸宅に住んでいましたが、似たような雰囲気です。
あの北九州の飯塚にあるというお屋敷も今度行ってみたいですね。

屋敷の外は砂浜で、唐津湾に浮かぶ島々が点在しているのが見えます。

その浜辺にくっつくようにある1つの島の頂上に唐津城が築かれています。
砂州で島が陸続きになっているのを利用した本丸部分でもあります。
これからあそこに登ってみましょう。

結構急な勾配ですね。

本丸御門が見えてきました。汗ばんできました。

天守が見えました。

実は唐津城には元々天守はなく、昭和41年に観光用に建てられたものです。
今は土台の石垣を積み直しているようです。
完成は平成30年ですって、長くかかるもんですね。

今日は名護屋城にも寄ってから来たので、もう夕方になりました。
大きな松浦川を渡った向こう側に今宵の宿をとったので橋を渡ります。正面に見えてきました。

こちらが本日の宿「高木旅館」です。
1泊2食付で5800円というコスパ抜群で、楽天の評価も高かったのをタイミングよく予約できました。

後ろを振り返ると、海に浮かぶように唐津城が見えました。まさに「浮き城」ですね。

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旅行代理店HISで「スターフライヤーで行く福岡」というパックを見つけ、この連休に4つの城をめぐってきました。
往復の航空券と博多のホテルがついて20800円という格安です。
私はこれに2泊を追加しての旅行でした。初日は先ず肥前・名護屋城へ。
泊まった西鉄イン博多の隣がバスセンターで、ここから唐津のバスセンターまで高速バスで1時間半。

ルートマップ⇒博多バスセンター~名護屋城
更にそこから路線バスを乗り継いで、午前11時にやっとこさ名護屋城の大手口に到着しました。
ほぼ3時間かかりました。
「城めぐり」を始める前に1度訪れていますが、その時はまだまだ見る目がありませんでしたもんね。

ここが大手口です。前回訪れた時は桜の季節で、櫓の上の桜が満開だったのを憶えています。

なかなかシブい標識であります。

崩れかけた大手口の櫓が時代の流れを感じさせます。

さあ、大手道を登って行きます。どんな景色が待っているのでしょうか。

登りつめた「東出丸」から徳川家康らの大名たちの陣屋があったところが見渡せます。

左に行くと「三の丸」が広がっています。

上の写真を真っ直ぐ行けば大手門があって本丸に行けるのですが、左側の「二の丸」方向へ迂回して行きます。
名護屋城は秀吉の大陸侵攻の出城だったのですが、秀吉の死後の徳川時代には破却されました。
その石垣を崩した後の大石が雑然ところがっています。
そうそう小田原攻めに造った「石垣山一夜城」もこんな状態でしたね。

本丸の外周である「馬場道」です。

「二の丸」の入口付近の石垣は往時の面影が残っています。
この上が「本丸」です。あまり高くはないので、実戦的ではなく政治向きの城だったようです。

「二の丸」の全景です。かなり広くて「本丸」と同じくらいの面積です。

建物の跡がありました。隅の方ですから蔵の跡でしょうか。

さて、本丸に登ってみましょう。

呼子大橋と玄界灘が見渡せます。
よく読み取れませんが「太閤の夢の果て」らしき唄が刻まれていました。

天守台の礎石です。本丸の隅には5層7階の大天守が築かれていました。
さぞや眺めが良かったことでしょう。が秀吉の栄華が空しくも感じます。

下を覗くと「遊撃丸」という出丸が築かれています。
この城は今年の大河の主人公である黒田官兵衛の縄張り(設計)だったという話もあります。

本丸の隅櫓方向から天守と遊撃丸方面を写すと玄界灘も入りベストアングルとなりました。
「もののあわれ」を感じる光景です。

帰りは「弾正丸」から「搦め手門」を下りて行きました。

最後に「名護屋城博物館」へ寄っておさらいをしました。
この博物館は大層立派なものですが、入場無料です。
この城を後世に残そうとする佐賀県の心意気を感じます。

そして来た時と同じ路線バスで今宵の宿である唐津へ戻りました。
「名護屋城」久々に見応えのあるお城でありました。
往復の航空券と博多のホテルがついて20800円という格安です。
私はこれに2泊を追加しての旅行でした。初日は先ず肥前・名護屋城へ。
泊まった西鉄イン博多の隣がバスセンターで、ここから唐津のバスセンターまで高速バスで1時間半。

ルートマップ⇒博多バスセンター~名護屋城
更にそこから路線バスを乗り継いで、午前11時にやっとこさ名護屋城の大手口に到着しました。
ほぼ3時間かかりました。
「城めぐり」を始める前に1度訪れていますが、その時はまだまだ見る目がありませんでしたもんね。

ここが大手口です。前回訪れた時は桜の季節で、櫓の上の桜が満開だったのを憶えています。

なかなかシブい標識であります。

崩れかけた大手口の櫓が時代の流れを感じさせます。

さあ、大手道を登って行きます。どんな景色が待っているのでしょうか。

登りつめた「東出丸」から徳川家康らの大名たちの陣屋があったところが見渡せます。

左に行くと「三の丸」が広がっています。

上の写真を真っ直ぐ行けば大手門があって本丸に行けるのですが、左側の「二の丸」方向へ迂回して行きます。
名護屋城は秀吉の大陸侵攻の出城だったのですが、秀吉の死後の徳川時代には破却されました。
その石垣を崩した後の大石が雑然ところがっています。
そうそう小田原攻めに造った「石垣山一夜城」もこんな状態でしたね。

本丸の外周である「馬場道」です。

「二の丸」の入口付近の石垣は往時の面影が残っています。
この上が「本丸」です。あまり高くはないので、実戦的ではなく政治向きの城だったようです。

「二の丸」の全景です。かなり広くて「本丸」と同じくらいの面積です。

建物の跡がありました。隅の方ですから蔵の跡でしょうか。

さて、本丸に登ってみましょう。

呼子大橋と玄界灘が見渡せます。
よく読み取れませんが「太閤の夢の果て」らしき唄が刻まれていました。

天守台の礎石です。本丸の隅には5層7階の大天守が築かれていました。
さぞや眺めが良かったことでしょう。が秀吉の栄華が空しくも感じます。

下を覗くと「遊撃丸」という出丸が築かれています。
この城は今年の大河の主人公である黒田官兵衛の縄張り(設計)だったという話もあります。

本丸の隅櫓方向から天守と遊撃丸方面を写すと玄界灘も入りベストアングルとなりました。
「もののあわれ」を感じる光景です。

帰りは「弾正丸」から「搦め手門」を下りて行きました。

最後に「名護屋城博物館」へ寄っておさらいをしました。
この博物館は大層立派なものですが、入場無料です。
この城を後世に残そうとする佐賀県の心意気を感じます。

そして来た時と同じ路線バスで今宵の宿である唐津へ戻りました。
「名護屋城」久々に見応えのあるお城でありました。