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大人の休日倶楽部:横手~新庄~酒田

旅の2日目は仙台から秋田新幹線「こまち1号」に乗り、大曲で下車して奥羽本線で横手に向かいました。
仙台から2時間半かけて10:28に横手到着。イメージとは違う近代的な駅舎ですね。
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先ず向かったのは駅から歩いて10分ほどの「かまくら館」です。
室内がマイナス10度に保たれた部屋にホンモノの雪でできた「かまくら」がありました。
入場料が100円ですが、横手城の展望台と石坂洋次郎記念館とのセット券ですから格安です。
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次に横手川を渡り、お城方面に向かいます。
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徒歩ですから、山城攻めの王道である大手道を登って行きます。いつもながらの雰囲気です。
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登りつめると、今では佐竹氏の「秋田神社」となっているかつての本丸に到着です。
戦国大名小野寺氏の居城でしたが、関ヶ原の後は秋田の佐竹氏の支城となりました。
戊辰戦争で焼け落ち、明治以降は神社となったそうです。
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こちらが本丸のような錯覚を起こしますが、二の丸に観光用の天守が造られました。
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昭和40年に建てられた展望台つきの資料館です。
ここの係りの方に「本多正純の墓」や「石坂洋次郎記念館」への道順を親切に教えてもらいました。
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展望台からの横手中心部の眺めです。なかなかいい立地ですね。
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「本多正純の墓」へ向う途中に「日新館」という木造の洋館がありました。
明治35年、旧制横手中学校(現 横手高校)の英語教師として赴任してきたアメリカ人の住居として建てられたものです。
今でも現在の所有者がお住まいとのことです。
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お城から15分くらいで「本多正純父子の墓」へ到着です。
徳川家康の腹心だった正純ですが、家康亡き後の秀忠の代になって権力闘争に敗れ、陰謀で秋田に流されました。
そう先日行った宇都宮城での「釣天井事件」ですね。
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こちら横手で不遇の最後を遂げたと聞いていましたので、なんとか訪れることができました。
「上野介」は縁起が悪いのでしょうか。吉良上野介も小栗上野介も不遇の最後でした。
2000年「葵徳川三代」では、渡辺いっけいさんの熱演が印象的でしたね。
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列車の時間が決まっているので、「石坂洋次郎記念館」の方はカットして、昼時ですのでやっぱりこれでしょう。
横手に来たら「横手焼きそば」。
市内に数十軒あるそうですが、通りすがりのツタに囲まれた「ゆう」というお店に入ってみました。
お母さんと赤ちゃんを背負った娘さん二人でやっていました。
焼きそばは550円でしたが、飲み物が安かったので150円のコーラも注文しました、
豚のひき肉を使って、上に乗せる目玉焼きと紅しょうがではなく赤いのは福神漬けが特徴でした。
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13:14発の普通列車で横手を後にして、次に向かったのは14:46着の新庄です。
こちらも山形新幹線に合わせたモダンな駅舎です。
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駅前の大通りを真っ直ぐ歩いて行くと、城下町のお決まりである「枡形」が残っています。
見通しが効かないようにL字方に道を曲げているのです。
正面がかつてのお城であった「最上公園」です。
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道路の右手には「二の堀跡」が残されてありました。
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現在では戸澤神社となっている新庄城の本丸跡です。
最上氏改易後に6万石で入封した戸沢氏の居城でした。
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ほとんど遺構は残っていませんが、お城をしのばせるのはこの「表御門跡」とお堀くらいでしょうか。
積み石に隙間のない「切り込みハギ」ですから、時代が下ってからのものでしょう。
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新庄での滞在時間は1時間ちょっとですので、帰りを急ぎます。
駅へ向う大通りはこんな感じで、正面が新庄駅です。
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そして16:12発の陸羽西線で今宵の宿泊地の酒田へ向かいました。
「奥の細道最上川ライン」と名付けられたローカル線に1時間、17:16に酒田駅に到着です。
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駅前に市のシンボルである大きな対の獅子頭があり、その向こうにある「ホテルイン酒田駅前」が今宵の宿です。
その最上階13階に泊まったので酒田市が一望できました。
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2014/06/27 08:57 |街道をゆくCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

大人の休日倶楽部:山形~仙台

「大人の休日倶楽部パス」を使って東北一周の旅に行ってきました。
4日間新幹線も含めてJRが乗り放題で17000円ポッキリ!
いつものように徒歩中心の旅ですから、このパス以外の交通費はゼロで済みました。

初日は山形新幹線「つばさ131号」で山形市へ。2年前の「城めぐり」以来の山形駅です。
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着いたのがお昼時でしたので、お店を求めて中心街へ歩いて行きます。
途中、山形城の三の丸土塁跡が残されているのを見つけました。
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そして、さらに歩いて行くと先ほどの土塁の裏手にあたるところを通ることになりました。
オフィス街の一角にポツンと残されてあるのが不思議ですね。
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山形の繁華街である「七日町通り」ですが、蔵のお店もあっていい雰囲気です。
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いくつか昼食のお店をみつけましたが、ピンとこなかったのでさらに歩いて行きました。
比較的新しそうな黒塀の長屋造りが用水路の横にありました。
上品そうなお店がいくつか入っているので、この中のどれかに入りましょう。
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2階にあった「鮨し勘」というお店に入ったら大正解。
握り寿司に天麩羅、茶碗蒸し、サラダ、味噌汁がついて1080円。満足の一品でした。
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腹ごしらえを済ませ、「七日町通り」を突き当たったところに、目的の「文翔館」がありました。
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大正5年に建てられ、昭和50年まで使われていた県庁舎です。
先月訪れた旧山口県庁も同じ頃に建てられて、雰囲気がよく似てます。
ルネッサンス様式でしょうかね。
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正面階段の手すりが凝っています。いい仕事してますねー。
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「正庁」といって、公式の会議室ですね。圧倒する豪華さに威儀を正したくなります。
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バルコニーからは歩いて来た「七日町通り」が見渡せます。
水はけのためか、やや右手が下がっているように感じますね。
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白壁の回廊、古い時代にタイムスリップしたような気がします。
この後、知事室なども見学しましたが県民性なのでしょうか山口県庁より質素な雰囲気でした。
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正面の階段に戻って来て見上げると、美しいステンドグラスがありました。
ガラスの表面が波打っていて、当時のものだそうです。
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赤レンガに囲まれた中庭です。映画の1シーンに出てきそうですね。
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「文翔館」から10分ほど歩いて、お城近くの「最上義光(もがみ よしあき)歴史館」へ来ました。
87年大河「独眼竜政宗」で政宗の敵役として全国的に有名になった最上義光。
今は亡き原田芳雄さんが好演したのをきっかけに89年に出来たそうです。
義光のイメージアップを意図したのでしょうか、なんと入館料がタダなのです。
しかも希望すればボランティアの方の説明も受けられます。
入場者も少なかったので、私は1時間近くもボランティアの方と歴史談義をしてしまいました。
話の中心は直江兼続率いる上杉との「長谷堂合戦」と駒姫の悲劇でしたね。
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それから、すぐ近くの山形城東大手門へ向かいました。
山形城のことを「霞城(しじょう)」と呼ぶのですが、「長谷堂合戦」にて攻め手の直江兼続が遠目に霞たなびいている城を見て名付けたとボランティアの方から教えてもらいました。
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大手門から入城すると、「長谷堂」へ向って駆ける最上義光像が象徴的です。
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次ぎの目的は城内にある「山形県立博物館」であります。
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お目当ては、義光館のボランティアの方に教えてもらった国宝「縄文の女神」です。
平成4年に発見された4500年前の土偶で、5つに分かれていたとのこと。
土偶といえばズングリとした形を思いますが、こちらはスラッとした美形です。
高さは45cmもあり、土偶としては最大だそうです。
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さて午後4時前の列車で山形を後にし、仙山線で仙台に向かいます。
5時過ぎに仙台に到着。仙台は翌日の予定のための宿泊のみで観光はなしです。
秋にでも「おくのほそ道」旅で立ち寄るつもりです。
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2014/06/22 08:55 |街道をゆくCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

北海道:松前城

松前
今度は北に飛び、函館で所用がありました。
帰宅する日に都合よく朝から時間がとれたので、めったに行くことのできない「松前」まで足を延ばしてみました。
函館から2時間半、お目当ては「松前城」です。

函館駅前のホテルから早朝の景色です。
今日は快晴です。函館山と朝市に出かける人がチラホラ見えます。
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函館のホテルはどこも朝食が充実しています。
今朝も泊まったホテルの朝食バイキングは盛り沢山で、特にイカと味噌汁がうまかった。
8時過ぎの「特急スーパー白鳥」に乗るため、駅前に泊まりました。
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函館湾を回りながら40分、「木古内」という分岐の駅で下車します。
駅の反対側には、再来年開業予定の北海道新幹線の駅舎が出来上がりつつあります。
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ここからが大変です。路線バスに1時間半ほど揺られます。
用心のためトイレに行っておきましょう。
かつては松前まで鉄道があったのですが、青函トンネル経由の津軽海峡線ができて廃線になったということです。
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乗客は平均して2~3名で、最初から最後まで乗っていたのは私一人でした。
海岸沿いの「松城前」というバス停で下車し、山手の方へ10分ほど歩くとお城が見えてきました。
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復元された「搦め手二ノ門」です。
この先のところに受付があり、360円の観覧料が必要です。
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正式名称は「福山城」なのですね。
貴重な現存天守で、戦前は国宝だったのですが、昭和24年に失火で消失しました。
昭和36年にコンクリートで再建され、資料館になっています。
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資料館にはアイヌの人物像なども飾られていて、ここに城を築く時にはアイヌの人々との軋轢も繰り返されたようです。
城を築いた「松前氏」とは、甲斐源氏の武田氏の傍流だそうです。ホンマかいな。
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手前の「本丸御門」は火災を免れ、幕末の建築が今に残されて重要文化財となっています。
時期が幕末でしたので、石垣がきれいな「切り込みハギ」(石が成形されている)で造られています。
一番最後に建築されたお城だったのです。
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本丸の広場から松前湾を望みます。右手にはすぐそこに津軽半島が迫っていました。
幕末に官軍側についた松前藩でしたが、僅か1日で旧幕軍(榎本武揚や土方歳三ら)に攻め落とされたそうです。
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桜の時期にこのアングルからのショットは弘前城にも匹敵する気がします。
もう1ヶ月早く来れたら大変な人出だったことでしょう。
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城の裏手の寺町を過ぎ、更に奥に行くと北海道らしい自然が残されていました。
このお城の周りには1万本という桜の木が植えられていて、その時期はどんな風景だったのでしょうか。
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「北鷗碑林」といって、松前出身の書道家:金子鷗亭の石碑が120基ほど並んでいます。
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寺町に戻ってきて、松前氏の墓所などを散策してかつての城内を1周してきました。
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海岸線にある道の駅「北前船松前」で昼食をとり、お土産の「松前漬け」を買い込んで、再び14:30発の木古内行きバスに乗り込みます。
途中こんな風景を見ながら1時間半、やはり今度も数人の出入りはありましたが、私一人が終点まで乗っていたのでありました。
そして木古内からは特急スーパー白鳥で函館へ向い、夜の便で羽田へと戻って来ました。
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あっそうそう、帰りのバスでは空のペットボトルを1本持っていたのでトイレの不安は感じずにすみました。
こういったことは、精神的な影響を受けやすいのですね。

2014/06/06 09:36 |城めぐりCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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