松山では道後温泉に一泊しました。本日も雪混じりの天気です。
この道後温泉本館の左側にあるホテルに宿泊し、昨夜は「神の湯」に浸かりました。
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道後温泉に泊まった理由は温泉もさることながら、すぐ近くに「湯築(ゆづき)城」という中世のお城があるからでした。
伊予の国の守護である河野氏の居城で、秀吉の四国平定までは250年間もここが政治の中心でした。
下の写真では、こちら(道後温泉向き)が正面に見えますが実際は搦め手(裏)であります。
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さっそく丘陵部を登って行くと、温泉地ですね。でっかい「湯釜」がありました。
河野氏の依頼により一遍上人が「南無阿弥陀仏」と書いたそうです。
ちなみに、後で資料館にてビデオを鑑賞したら一遍上人は河野氏の一族でありました。
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丘の頂上には本丸らしきところがあり、展望台がありました。
階段を上りたかったのですが、雪で滑りそうで断念しました。
朝も早く、雪ですので人っ子一人おりません。
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そして反対側、道後温泉からは裏側になりますが湯築城の正面大手側へ降りてきました。
こちら側はひっそりとしています。
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小さいお堀の向こう側には「子規記念館」が見えています。今回は入場しませんでした。
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復元された土塁や武家屋敷を見るために道後温泉側に戻ってみましょう。
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内堀の防御性を強化するための土塁ですね。
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丸く内堀が続いています。この先が道後温泉です。
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ここら辺は「上級武士居住区」だったそうです。右手に池も見えます。
なんとなく越前の朝倉遺跡に似てますね。
1988年に発掘調査する前は、ここは「動物園」だったそうですからひどい話です。
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「湯築城」を後にして、道後温泉のアーケード街を抜けてきました。
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まん前には路面電車の終点、道後温泉駅のクラシックな駅舎があります。
雪も上がったようですから、松山の中心街を通りJR松山駅まで歩いて行きましょう。5kmくらいでしょうか。
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途中、繁華街の「大街道」を通りがかったので昨日寄ったレンガ造りの喫茶店を再び訪問しました。
「あらまあ」という感じで歓迎してくれました。
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松山でのシメは松山城のある勝山の麓に立つ「坂の上の雲ミュージアム」です。
建築家の巨匠:安藤忠雄の作品でもあります。
館内は「坂」をモチーフにして、階段ではなく坂を登る構造になっていました。
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坂の途中で外を見ると、山に抱かれるように洋館があります。
「萬翠荘」といって、松山藩主であった久松伯爵が建てた別邸でフランス・ルネサンス様式だそうです。
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これにて「四国の旅」はオシマイとなる予定でしたが、松山空港へ行くと雪のため欠航とのこと。
仕方なくなんとかホテルを確保して、松山にもう1泊して横浜に帰ってきました。
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四国の旅、翌日は徳島から高松で乗り換え、3時間半かけて松山に到着しました。
県庁所在地の駅としてはクラシカルな形をしています。
市の中央部からは外れているので、駅舎が近代化されていないようです。
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駅を降りて左手には正岡子規の歌碑がありました。
坂の上の雲にも出てきた「春や昔 十五万石の 城下町」とあります。
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愛媛大学で用事があるのですが、少し時間があるので松山城に上って、山の向こう側まで歩いて行けば丁度よさそうです。
愛媛県庁の近くから勝山を見上げると松山城の天守が仰ぎ見えます。
「城めぐり」を始めた年(2011年)に訪れて、感激したことを思い出されます。

しかしながら経験を積んだ今見上げてみると、この天守はあまりカッコよくないですね。(松山の人に怒られるかも)
人に見られるために造ったというより、実用的な造りなんでしょうね。
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今回は前回寄れなかった二の丸御殿跡に入ってみました。僅か100円です。
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見所はこの「浄水装置」です。
これだけ大量の水を蓄えておける装置は、他のお城では見たことありません。
でもなんで「恋人の聖地」(水底のプレート)なんでしょうか?
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二の丸横の石垣群も見事です。「打ち込みハギ」ですね。
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132mの勝山の頂上にある天守を目指します。坂の入口にも重厚な石垣が続きます。
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約10分ほど登ると櫓が見えてきました。
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こちらは「筒井門」、結構雪が降り出しました。
今回は山登りにも雪にも対応した靴を履いていますので、大丈夫です。
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本丸に入ると、天守群が迎えてくれます。
大天守と小天守と櫓を結んだ連立式の平山城であります。
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麓から見上げたように無骨な造りではありますが、数少ない現存する天守の威容を感じます。
中央のキャラが「よしあきくん」、関ヶ原の合戦後に20万石で入封した加藤嘉明公のゆるキャラです。
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さて先を急ぎますので、天守内部はパスしてロープウェイのある城の東側へと徒歩で下りて行きました。
するとあまり目立たないところに「加藤嘉明公」の真新しい騎馬像がありました。
前回はこんなものなかったから、最近出来たのでしょう。
加藤嘉明といっても戦国通でもなければ知らない武将なのに、税金の無駄遣いではないでしょうか。
あっ加藤さん一応「賤ヶ岳の七本槍」の一人で、この城が完成する前に会津へ転封となりました。
その後入封した久松松平家が15万石で明治になるまで存続したのです。
だから子規の歌碑が「十五万石の城下町」なのですね。
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近くに「坂の上の雲」の秋山兄弟の実家が復元されてあると聞いたので、立ち寄ってみました。
ちょっと狭いですが、好古さんの騎馬像と真之さんの坐像がありました。
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山を越えてきたので、ちょっとお茶でもと思っていたら、レンガ造りの雰囲気のある喫茶店を見つけました。
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どんなところかな、と入ってみるとレトロな雰囲気でいい感じ。
50代くらいの女性が一人でやっていて、コーヒー一杯450円。
世間話をちょっとして目的地へ向かいました。
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四国の旅まだ続く・・・
またまた所用があり、今度は四国:徳島へ飛びました。
午後の用事のために私にとっては珍しく飛行機を利用し、「徳島阿波おどり空港」へ到着です。
四国は「高知龍馬空港」といい、冠名の空港が目立ちます。
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空港からバスに揺られて30分、丁度お城の正面「徳島公園」で下車できました。
道路を渡る歩道橋の上から東門である「鷲の門」が見渡せます。戦前は徳島城唯一の遺構だったそうです。
空襲で消失したものを個人の方の力で1989年に復元されたと聞きます。頭が下がる思いです。
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門の右手に見えていた石碑と堀。
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「下乗橋」を渡り城内へ向かいます。
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橋の右手の石垣の石に特徴があります。
平べったい青石が使われています。眉山(市内を展望する山)から運ばれてきたとのこと。
海を隔てた和歌山城も青石が使われていたので、この近隣から産する石なのですね。
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左側の石垣もきれいな「切込みハギ」ですね。
徳島城は建物は一切残っていませんが、石垣は見るべきものがあります。
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博物館に隣接する表御殿の庭園を覗いてみました。入場料はなんと僅か50円、良心的!
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ここも枯山水の石がすごいです。大きい。
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上を渡ってみました。青くワニの背中を歩いているような気持ちです。
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石の造形美ですね。
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こちらもしかり。
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庭園を出て、山の上にある本丸を目指します。
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藩祖の「蜂須賀家政公」です。
秀吉の時代に四国征伐で功を上げ、阿波18万石で入封しました。
関ヶ原の戦いでは東軍に組して、25万石の大大名となりそのまま明治維新を迎えます。
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60mの低い山ですが、ずっと階段でしたから結構シンドイです。
二の丸が見えてきました。(三の丸はこの下で配水池になっていました)
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櫓跡の敷石が残っています。
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「西二の丸」跡です。二の丸は東西に2箇所あったそうです。
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さていよいよ本丸が見えてきました。
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わりと広めの本丸です。
建物は何も残っていませんが、往時は御殿や天守もあったのではないでしょうか。
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こちらは本丸から東側に下ったところにある「東二の丸」です。
ここに天守の代用となる「御三階櫓」があったそうです。
まあ確かにここからの方が眺めはいいように思いますし、城下からの見栄えもいいでしょう。
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最後にお堀の向こうに見えていた「数奇屋橋」を渡って、徳島城を後にしました。
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四国の旅つづく・・・
2014.02.01 安芸の宮島
翌日は広島から足を延ばして、世界文化遺産である厳島神社のある宮島を訪れました。
市内中心からはJR宮島口へも行けますが、今回は広電を利用したら朝の通勤時で50分くらいかかりました。
早朝だから宮島行きのフェリーは人もまばら。
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宮島が近くなると厳島神社の大鳥居が見えてきました。
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さあて到着すると、早速鹿さんがお出迎えしてくれます。
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今から40年くらい前の学生時代に1度訪れたことはあるのですが、夕暮れ時だったのでほとんど覚えていません。
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いよいよ厳島神社の回廊に入ります。入場料は300円也。
神社でも金取るんだ。(お寺は取るけど神社は取らないと思ってた)
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本殿ですね。バックに五重塔が見えますが、後であそこまで行ってみましょう。
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こちらは能舞台。なんとも荘厳な雰囲気です。
大河だと「新・平家物語」や「平清盛」で出てきましたね。
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有名な赤い大鳥居をアップに写しました。
後で巡った歴史資料館の解説で、この鳥居は重石を載せたりして置いてあるだけなのです。
掘って埋めてないから、潮の干満があっても堪えられる構造だそうです。
1000年も前の先人の知恵はすごいですね。
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厳島神社を通り過ぎて、さらに奥に向かいました。
毛利元就と陶晴賢との間で行われた厳島合戦で討ち取られた陶軍の兵を弔う碑がありました。
この戦いでは2万にのぼる陶軍が厳島に誘き寄せられ、僅か3千の毛利軍の奇襲に陶晴賢以下5千人が討ち取られたそうです。
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そのままハイキングコースの山を登って行こうと思ったのですが、今回はうっかり革靴で来ていました。
仕方ないので町の裏側の方を散策しました。
下の写真の左手の道を越えて来たら「宮島歴史民俗資料館」という建物がありました。
入場料も300円と厳島神社と同じだし、外見もパッとしない感じでどうしようかと思いました。
まあ時間もあるし、意を決して入場することにしました。
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ところがどっこい、外見に似合わず中身が充実していましたね。
宮島の民俗資料だけではなく、平家物語関係、厳島合戦のことなど映像も交えて大したもんでした。
帰り際、受付のおばちゃんに
「これだけ内容がいいんだから、もっと宣伝せんといかんね。私がブログで書いとくよ!」と伝えました。

宮島の魅力は表の厳島神社だけではなく、裏の格子造りの家並みや自然だということが分かりました。
旧東海道を歩いていた時の風情が思い出されました。
さらに歩いて紅葉谷を通り、先ほど厳島神社から見えた五重塔までやって来ました。
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こちらは五重塔の右横にある通称「千畳閣」といって、豊臣秀吉が毛利氏の政僧・安国寺恵瓊に命じて作らせたお寺であります。
秀吉好みの大掛かりな桃山風の建物ですが、秀吉の死で未完成のままだそうです。
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現在は豊国神社の本殿となっていますが、未完成のため壁も天井も一部ないまま現在に至っています。
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旅の最後に厳島合戦の際に毛利軍の先行部隊が集結した宮尾城(要害山)に上りました。
本丸から二の丸方面を望みます。
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要害山を下ってくると、鹿さんが悠然と座っていて私が横を通っても平然としています。
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それから桟橋へ向いフェリーで再び宮島口へ、今度はJRで広島に向ってそのまま新幹線で横浜へ戻って来ました。
お土産はもちろん宮島で買った「もみじ饅頭」です。
地元の人にお聞きしたら、島内の店でしか売ってない岩村もみじ屋のしかも粒餡がベストとのことでした。