2013
09.28

北関東:箕輪城・高崎城

Category: 城めぐり
金山城で出会った親切なボランティアのオジさんのお蔭で、2時間も早く4時前に高崎駅に到着です。
先ずは明日の箕輪城攻めのために箕輪行きのバスを確認しておきましょう。
なんせ1時間に1本くらいしかないから、遅れたら大変です。
と思って駅前のバス停に行くと、目当てのバスが発車寸前です。
つい勢いで乗ってしまいました。
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乗った後で、後悔しました。もう4時になるので初めての山城で日暮れになるのは危険。
秋の日はつるべ落とし。明日出直した方がいいのかな、と思いながらも40分バスに揺られ
運転手さんに聞いた城に一番近いバス停で下車しました。
もうこうなったら行くしかありません。
大手道らしいところを通って行くと、小学校の向こう側にそれらしい山が見えてきました。
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地図も無いですがいくつかの山城の経験を生かして、どんどん登って行きます。
あとは日没までの時間との勝負です。
大汗をかき、息を荒げながら登ります。
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それほど大きな山城ではなかったのですね。
この城の特徴である大堀切が見えてきました。ホッ!
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堀切を渡る二の丸への虎口が、くっきりと残っています。
薮蚊が多く、手や顔に群がってきます。
歩きながらティッシュタイプの虫除けを塗りますが、あまり効果がありません。
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箕輪城は在原業平の子孫といわれる長野氏が築城しました。
武田氏に長野氏が滅ぼされた後は、武田から北条へと渡り、秀吉の北条征伐後は井伊直政が12万石で入城しました。
その後、井伊氏が高崎へ近代城郭を築いた後は廃城となったものです。
見たところ、八王子城や滝山城のような北条の山城の造りですかね。
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そして僅か30分で本丸に到達です。
フー急ぎましたが、日没に間に合いました。
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本丸の後ろにも大きな空掘がありました。
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そしてその後ろにも詰めの「御前曲輪」と名付けられた場所がありました。
奥方などが住まわれる北の丸でしょうかね。
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大急ぎで見て周りましたが、帰りは搦め手側から下りて行きます。
ぽつりぽつりと住宅地になっています。
県道に出てくると、かつては上級武士の館であったような家が数軒並んでました。
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県道を下って行くと再び最初の小学校のところに出てきて、あとは大手道をバス停に向かいます。
なんとなく元は城下町であったような風情を残す一本道です。
僅か1時間の箕輪城攻めでしたが、やればできるもんですね。
再び40分かけてバスで高崎駅にもどり、今宵の宿であるホテルへチェックインです。
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翌朝7時半にホテルを出立。
予定の箕輪城を昨日済ませたので、歩いて10分ほどの高崎城に寄ってみました。
城跡はほとんどありませんが、掘割と乾櫓が残されてありました。
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僅かに残る高崎城の石垣と松です。
かなり大きな城郭だったことがしのばれます。
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掘割の内側の土塁を歩いてみました。
春は桜が美しいのではないでしょうか。
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城内には巨大な高崎市役所が屹立し、現代の天守閣といった雰囲気でありました。
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次ぎは八高線に乗り、寄居へ向かいます。
ところで八高線の「八」は八王子、「高」は高麗川だと思ってましたが、高崎が正解だったのですね。
実地を検証すると理解できました。
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2013
09.22

北関東:足利氏館・金山城

Category: 城めぐり
季節も夏から秋へと移り変わり、清々しい秋晴れの中、北関東の城攻めに行ってきました。
旅立ちは東武・浅草駅からです。
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これが8:40始発の「りょうもう5号」。全車座席指定で1000円の特急券が必要です。
乗車率は半分以下で、2席を占有でき快適な移動でしたね。
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10時少し前に足利市駅に到着。1時間ちょっとでした。
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町の中心部へは渡良瀬川を渡ります。なかなかの大河です。
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駅から歩くこと15分、目的の足利氏館・鑁阿寺(ばんなじ)が見えてきました。
四方に堀をめぐらし、中世の武家の館という雰囲気です。
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こちらが館の正面南側にある太鼓橋と楼門です。重厚な趣があります。
足利氏2代目の足利義兼が居館として建てたものです。足利氏の氏寺となっています。
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楼門をくぐると正面に鑁阿寺の本堂があります。今年5月に国宝になりました。
これは足利尊氏の父・貞氏が1299年に再建したものです。
そう91年「太平記」で名優・緒形拳さんが演じてた人ですね。
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こちらは国の重要文化財の経堂です。
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こちらも重文の鐘楼。
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中世の雰囲気を味わいつつ、そこから10分ほどの足利学校へ向かいます。
創建は奈良時代に遡るといいますから、恐れ入ります。
正面に入徳門があります。
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こちらが足利学校のシンボルである学校門です。
日本最古の学校と言われてます。
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一番奥にある孔子廟です。江戸時代の4代将軍:家綱の時に造営されたものです。
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こちらは復元された方丈。実際の講義や学習をするところですね。
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次ぎは足利市駅へ戻り、東武伊勢崎線で10分ほどの太田へ向かいました。
そこから5kmほど山を登った金山城へ向かいます。
バスなどの公共の交通機関はなく徒歩しかありませんが、時間がかかり過ぎるので上りはタクシー下りは徒歩でと決断しました。
タクシーだとアッと言う間に山頂に到達。太田からの大手道が見えます。
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金山城の入口です。ボランティアのオジさんがいらして見所を詳しく説明してくれました。
押し付けがましくなく、丁度いい具合の方でした。
正直、熱意がありすぎてややサービス過剰な方がいるところもありますよね。
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箱根のような石畳を歩いて城へ向かいます。この金山城は石材が豊富なようです。
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物見台下の虎口です。
関東の中世山城には石垣がないと言われてましたが、この金山城だけは例外。
山自体にある天然の石を切り出して、石垣を築いたようです。
石があれば近江の穴太衆のような職人も生み出されるのですね。
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これは三の丸入口の手前にある「月ノ池」といわれる水源です。
山の上にあるのに水が豊富なのはなぜでしょうか?
大きさは直径7~8mでしたね。
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大手虎口です。見事な石組みです。
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石段を登って行くと、大きな楠木が迎えてくれます。
金山城の迫力に圧倒されます。
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二の丸にある「日ノ池」と言われる大きな池です。直径は10m以上ありました。
先ほどの「月ノ池」より更に高いところにあるのに、満々と水を湛えていました。不思議ですね。
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さらに幅の広い石段を登って本丸を目指します。
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本丸には新田神社がありました。(神社としては明治以降らしい)
徳川政権は源氏の新田氏を名乗っていましたから、新田発祥のこの地は優遇されていたようです。
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本丸からは関東平野の広がりが見渡せます。絶景かな。
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金山城を堪能して入口に戻ってきました。
ボランティアのオジさんとまた会って「どうでしたか?」と尋ねられました。
「いやー、月ノ池と日ノ池には驚きました。それとあの石垣は見事ですね。近江の安土城ができるまでは、ここの石垣が日本一じゃなかったでしょうかね。」
この言葉にオジさん「我が意を得たり」と感じたのでしょうか。
今から歩いて太田駅に戻りますと言ったら、親切にも車で送ってくださいました。
若く見えましたが、お歳は70を越えているとのこと。
歩いて1時間半くらいはかかるだろうと思っていたのに、スピードアップできてとてもラッキー。

この時間短縮が後々まで今回の旅行の好調さに影響するとは思ってもみませんでした。
電車の時間を見ると1時間に1本しかない伊勢崎行きが3分後に発車です。
あまりのグッドタイミングにオジさんに感謝!
お別れは金山城の山並みを背景にした太田駅前の新田義貞像です。
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北関東の旅続く・・・
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2013
09.08

歴代の官兵衛

Category: 軍師官兵衛
最近通勤中の読書は官兵衛モノが続いてます。
先週は松本清張の「軍師の境遇」という作品でした。
清張も官兵衛モノを書いていたんだという驚きから手に取った本でした。
中身は秀吉を太陽とするなら、官兵衛が月のような存在で書かれていました。
「不遇」という言葉が当てはまるような感じで、有り余る才能が報われない境遇の無念さが残る物語でした。

そして今週からは吉川英治の「黒田如水」を読み始めます。
こちらは若き日の官兵衛を描く青春小説風のノリであるようです。
かつて司馬遼太郎の「播磨灘物語」を読んだことがありますが、司馬、松本、吉川といった大家の筆による官兵衛像を比べてみたいと思います。

さて歴代大河ドラマでも何人かの俳優さんが黒田官兵衛を演じています。
記憶に残るものを拾い出すと、
①65年「太閤記」・・・田村高廣
②73年「国盗り物語」・・・江守徹
③96年「秀吉」・・・伊武雅刀
④06年「功名が辻」・・・斎藤洋介
⑤11年「江」・・・柴俊夫

いづれも腹黒い策士としてや態度が横柄な男として描かれていますね。
どちらかと言えば主役になるようなキャラではなく、あくまでも主役を引き立てる脇役の黒子という立場です。

来年の「軍師官兵衛」ではついにその官兵衛が主役ですから、もっと爽やかにせねばなりません。
以前、正月のテレ東であった「二人の軍師」で高橋克典さんが演じた官兵衛の雰囲気ですね。
今回NHKではV6の岡田クンですから、若い時の爽やかさも経験を経てからの腹黒さも使い分けることができるような気がします。
イメージ的には05年のNHK正月ドラマ「大化の改新」で岡田クンが演じた主役の中臣鎌足役でしょうか。
この役もスポットライトが当たるのは中大兄皇子(後の天智天皇)で鎌足は黒子役でしたからね。
ちなみに中大兄皇子役は小栗旬。

NHKはジャーニーズ系の人を主役に持ってくる時は必ずや意欲作であります。
大作「坂の上の雲」で主人公:秋山真之に本木クンを配する前にも正月ドラマ「聖徳太子」の主役に抜擢。
今回の岡田クンもその路線を踏襲しているのではないでしょうか。
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2013
09.02

八重の再婚

Category: 八重の桜
久々に現在の「八重の桜」についての話題です。

昨日の「襄のプロポーズ」の展開はやや唐突ではなかったでしょうか?
視聴者としては「前夫:尚之助の死」と「新夫:襄からのプロポーズ受け入れ」が同じ回では、心の整理がつかないのではないかな。
多分、9月に入り物語も最終段階になって、会津戦争に時間をかけ過ぎて先を急ぐ展開になったようです。

新島襄は魅力ある人物ですので、八重との結婚は何らストーリーとして問題はないのですが、
今まで愛してた尚之助が亡くなったとたんに「プロポーズOK」ではあまりにもせっかち。
1週間ぐらい焦らして醗酵させることはできなかったのかしらね。

脚本の山本むつみさんも尚之助から襄へのシフトに苦慮していたのかも。
それで手っ取り早く同じ回に処理しちゃったというお手軽感はありますね。
元々、尚之助を会津に引き止めるために山本覚馬が仕組んだ政略結婚だったんでしょうから、当時の女性である八重としてはある程度割り切ったものだったのでしょう。
たから、会津藩がなくなり明治の世として新しい時代を築くという理想に燃える覚馬としては、八重を新島譲と結婚させるのが必然だったのでしょうね。

史実に従えば「八重の桜」のストーリーを描いたのは覚馬ということになりますが、それを懐深く受け入れた八重も大した女性だったということでしょう。
もちろんそこは大河ドラマですから、ドラマティックにしなくてはいけないので「お家のため」「日本のため」だけでは視聴者の共感は得られません。
前夫:尚之助へも新夫:襄へも「愛」がないといけませんよね。
で山本むつみさんは、あういう早回しの展開にしちゃって辻褄を合わせたみたい。
尚之助が亡くなってからの結婚ですから、モラル的にも問題はないでしょう。

ところで、山本家の朝の食事のシーンを見ていたら、覚馬の娘:みね が代わってましたね。
子役から大人になったみたいです。
三根梓さんといって、佐賀の嬉野出身らしいです。注目してみたいと思います。
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