2013
08.23

「軍師 官兵衛」の秀吉に竹中直人

Category: 軍師官兵衛
甲子園やイチローや藤圭子の話で、ほとんど話題になりませんが
来年の大河ドラマ「軍師 官兵衛」の秀吉役には竹中直人さんがなると発表されました。

竹中さんと言えば96年「秀吉」で豊臣秀吉を演じた本人です。
それが「軍師 官兵衛」でも秀吉を演じるのですから、NHKとしても意表をついた人選です。
もっと「ワーォ」と言ってほしいのでしょうが、反応は冷ややかなようですね。

「秀吉」は視聴率も30%を超え、評判もよかった大河でしたが竹中さんの個性的な演技でアクの強い・・・お下品な印象がありました。
視聴者としては、あの作品で竹中秀吉には満腹状態になっていたのではないでしょうか。

この発表の解説記事に過去の大河で主役を演じた人が同じ役で再登板した例として2つ上げられていました。
①65年「太閤記」の秀吉:緒形拳さんが78年「黄金の日日」で再び秀吉
②02年「利家とまつ」の前田利家:唐沢寿明さんが06年「功名が辻」で再び利家

脇役クラスでも私の記憶では
①高橋幸治さんの織田信長
②津川雅彦さんの徳川家康
③勝野洋さんの徳川秀忠
④石田太郎さんの大久保忠隣
⑤馬渕晴子さんの大蔵卿の局
・・・こうやって書いていくと、大河で同じ役をやるのは戦国時代に限られているようです。

しかしもっと細かいデータを調べれば、違う時代の大河でも発生しているのではないでしょうか。
例えば、90年「翔ぶが如く」で三条実美を演じてた角野卓造さんが水曜ドラマ「夜会の果て」でも実美役をやっていたと以前ここに書いたことがあります。

さて「軍師 官兵衛」でも重要な役どころとなるキーマンの秀吉ですが、果たして竹中さんの抜擢は吉とでるかそれとも凶か。
私自身としては10数年後に同じ秀吉を演じた緒形拳さんが、希望に燃える主役の秀吉から晩年の醜悪な秀吉へスイッチしたように竹中さんも96年「秀吉」では演じ切れなかった晩年の秀吉を大いに期待してます。

実は1ヶ月前からTSUTAYAのレンタルDVDで大河「秀吉」を少しづつ見直していて、今回のニュースには余りにもタイムリーで驚いています。
まるで私の秀吉イメージがNHKに以心伝心のようで、大河ドラマと私は一心同体であると再認識した次第であります。
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2013
08.13

そしていよいよ京・三条大橋へ!

Category: 東海道53次
最終日はいよいよ京・三条大橋へ向かいます。
こちらは宿泊した「滋賀県青年会館アープしが」です。「アープ」とは「水の神」とのこと。
立派な公共の宿で、部屋は普通のホテルより広くて居心地はとてもよかった。
夏休みの直前でしたので、宿泊客はなんと私一人でした。
写真の左手の食堂で朝食をいただきましたが、一人でしたので上品そうな給仕のご婦人相手に旅談義を咲かせていたら、出立がいつもよりゆっくりになってしまいました。
それでも昼ごろには京都に着くことでしょう。
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昨日の義仲寺(ぎちゅうじ)の辺りから東海道をたどりますが、もう1度琵琶湖を見たくなりました。
琵琶湖に面した常夜燈、それと左手には比叡山が見えます。
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まだまだ古い町並を残す大津の中心街を抜けて行きます。
高層のマンションなんかも1階部分は和風に作られていました。
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通りの隅にひっそりと「大津事件」(ロシア皇太子ニコライが警備の巡査に斬られて負傷した事件)の石碑がありました。
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東海道は京阪電車にぶつかるところで左折し、一路京都へ向う道になります。
途中、右手には百人一首で有名な蝉丸ゆかりの神社が続きます。
蝉丸神社は下社もありましたが、こちらの上社の方が大きいようです。
「これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関」という和歌を詠んだ蝉丸は、この辺りに住んでいたそうです。
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こちらがその「逢坂の関」であります。
古代における「不破の関」と「鈴鹿の関」に続く京を守る3つ目の関だったそうです。
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逢坂の関を過ぎて山科の追分に入ると寺の境内に「車石」が展示してありました。
江戸時代に牛車で京への坂を登る際に、石で轍を造り車を引き易くした名残であります。
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上の「車石」が展示してあった閑栖寺(かんせいじ)というところです。なんとなく南蛮風ですね。
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山科から京へはまだまだ一山越えそうな風景です。東海道らしい一本道が続きます。
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「徳林庵」という六角堂がありました。
オジさんがポンプで井戸水を汲んで水を撒いていました。話しかけて井戸水に触れたらとても冷たくて爽やかでした。
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山科を過ぎ、天智天皇陵のところから車が行き交う三条通りを離れ、山道へ入って行きます。
本当にこの道でいいのか不安になるように、どんどん山の中へ向かって行きます。
とりあえずガイドブックの表示を信じて進みます。
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そして再び三条通りに合流しました。ホッ!
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合流地点の左手には例の「車石」のサンプルが数台展示してありました。
なーるほど、こういう風に荷車を引いていたのですね。
さあて三条大橋までは、この道を行けばあと3kmほどで着きます。
時間は丁度正午。着いてからの昼飯はどこにしようかな、などと考えていましたがね。
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蹴上の浄水場を過ぎて、京都の街中に入ってきました。
交差点で信号待ちをしていたら、右手に赤い鳥居が見えています。平安神宮の鳥居でしょう。
三条大橋はもうすぐです。
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ところが信号待ちをしている間に、どうも気になることが・・・。
信号の手前でチラッと見たこの店のことが気になって戻ってきました。
すると女将が笑顔で迎え入れてくれました。
カレイの一夜干に6品のおかずとコーヒーが付いて1000円という破格の値段に吸い込まれるように入店しました。
多分、今までの旅の経験が「これを逃したら他に食べるところはない!」と言っていたのでしょう。

やっぱりカンは当たりましたね。6品のおかずがどれも満足できる料亭の味でした。
「横浜から歩いて三条大橋に向っていて、普通なら着いてから食事なのに吸い込まれるようにこの店に入ってしまった。」と言ったら、女将や息子さんの板前さんまで出てきて歓待してくれました。
今までの旅の話をしていたら、お代わりのアイスコーヒーまで出て1時間も長居してしまいました。
帰りには次回もどうぞと名刺までいただいた京都・東山の「竹泉」さんでした。
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到着直前に昼食をとるハプニングがありましたが、残り1kmを15分くらい歩いて三条大橋へゴールインです。
出迎えは誰もいませんが、三条大橋の擬宝珠(ぎぼうしゅ)のみが暖かく迎えてくれます。
長かった約500kmの旅の終点であります。
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陽も高く時間もあるので、まだ行ったことのない銀閣寺へ寄ってみました。
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初めて見る「銀閣」であります。
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その後は疎水沿いの「哲学の道」を南禅寺方面へ歩いてみました。
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そして大きな南禅寺の山門を見上げて、先ほど三条通で通り過ぎた地下鉄「蹴上」駅から京都駅に向いました。
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この日の夕方、新幹線で京都駅を立ち僅か2時間後には横浜に戻ってきました。
トータルで20日間もかかった「東海道53次の旅」が新幹線ではアッという間です。

しかし、この20日間に経験できた53次の人々との交流は2本の足で歩くことでこそ出来たことです。
苦しかった箱根の山越え、蒲原や興津で味わった人情、そして土山で受けた会う人全員の挨拶、どれもこれもいい思い出となりました。
全てを自分で判断する一人旅で53次を踏破するということは、大げさに言えば今までの人生感を試されるような旅でもありました。
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2013
08.09

52草津~53大津

Category: 東海道53次
今日は石部宿を出立し、53次の最後:大津宿まで歩を進めます。
ところで、手堅く融通が効かないような人のことを「石部の金吉」といいますが、
石部の近くに金山があったことからとても堅いもののセットで、ここの出身ということになってます。
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石部からその金山とJR草津線の間の道を歩いて行きます、細い道を通勤の車が前後から来て往生しました。
しかも途中から雨が降り始め、気の使う道のりでありました。
今回の旅で本降りの雨は初めてですので、途中の如来堂で合羽と傘を取り出して装備を直します。
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石部から1時間ほど歩くと、大そう立派なお屋敷が見えてきました。
「旧和中散本舗」の石柱が見えます。薬の販売で財をなした大角家の邸宅であります。
徳川家康がこの地で腹痛を起こした時にここの薬で治ったということで、小堀遠州作の庭もある豪商の姿を今に伝えるものです。
そういえば、この街道沿いに「大角さん」という家が数軒ありましたね。
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この辺は石部と草津の間の宿で、まだのどかな田園風景が残っています。
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どんどん琵琶湖の方に近づいていますが、こんな石柱もありました。
丁度東経136度の子午線を通過ということです。
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東海道では数少ない足利将軍の名残ですが、私が注目したのは「金」へんに「句でなくム」でなんと読むのかしらということです。
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近くの交差点に答えがありました。「まがり」と読むのですね。
道中こんな遊びもありませんとね。
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この幅の道が延々と続くのが東海道らしい「たたずまい」であります。
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草津宿の少し手前です、この辺りには「目川田楽」の茶店が多くあったといいます。
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新幹線と国道1号を越えて、さらに水無川となった草津川を越えた左手の方が草津宿です。
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このトンネルの上が草津川で天井川になっています。この交差点で中仙道と合流します。
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上の交差点の右手にあった標柱です。「左中仙道美のぢ 右東海道いせみち」とあります。
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草津宿での見所はこの「田中七佐衛門本陣」です。入館料は200円と割安。
東海道で本陣の中まで見れるのは二川とここだけですね。
ここを見るために昼間に草津を通過できるようスケジュールしました。
草津泊まりでは夕方か早朝になり本陣が開いてませんもんね。
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本陣を見学してから表に出て向う大津方面への草津宿の町並です。なんとなく名残はありますね。
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そろそろ昼時で食事でもと思いますが、草津でもあまり食べるところはありません。
やっと寿司屋を見つけて入店。時間が少し早いのか客は私一人でした。
水口でもそうでしたが、この辺は京大阪の食が影響してか箱寿司が目につきます。その箱寿司セットを注文900円なり。
箱寿司のネタを聞いてみたら「鱧(はも)」ですって。とてもおいしかった。
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ほんと東海道を歩いていて食べられるのは、うどん、そば、団子、餅にちょっと贅沢といえば寿司くらいです。
でもこの選択は間違っていませんでした。入った寿司屋さん以降食べるところは大津までありませんでした。
旅に慣れると、こういうカンは発達してきます。

大津の手前の瀬田あたりで、ため池のほとりに「立場跡」の石碑があります。
のどかな風景もここらくらいまでで、これからは大津・京都といった都会へ向って行きます。
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今日の泊まりである大津が近づいた余裕から、「近江国府跡」という表示につい寄り道をしてしまいました。
だだっ広いところに石柱と館みたいのが建っていました。
ちょっと前に行った多賀城みたいなとこですが、住宅地に突然空き地があるという空間でした。
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さていよいよ「瀬田の唐橋」を渡ります。
右手に見えるのは瀬田川の中州にある「滋賀青年会館アープしが」であります。奥の方は琵琶湖。
今宵の私の宿でして、1泊朝食付きで6000円です。
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これが戦乱で幾たびも焼け落とされ、政争の舞台となった「瀬田の唐橋」です。
武田信玄もここに御旗を立てたかったと言い残して、亡くなりました。
そういう歴史を経て、今は擬宝珠(タマネギのようなヤツ)が青空に映えるのみであります。
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草津から4時間、とりあえずリュックをホテルに置き、陽も高いので旅をさらに続けます。
大津にはまだまだ古い家並みが残されています。
例の朱塗りの連子格子も健在。やや色が海老茶になっていますかね。
「こういうメンテナンスに自治体からお金は出ているのですか?」とおそるおそる尋ねたら、
「まったく個人の費用で賄っている。」との返事でした。やはりお金持ちにしかできませんよね。
玄関の横にある梯子みたいなものは、倒してベンチや花台になる昔ながらの「ばったん床几」というものだそうです。
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琵琶湖を見ようと膳所(ぜぜ)城跡へ向うと、お城のような建物がありました。
膳所城ではなく、お城を意識した市民センターでありました。
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膳所城の大手門がありました。
徳川家康に命じられた天下普請の第1号の城で、築城名人:藤堂高虎の縄張りによるものであります。
「瀬田の唐橋を征する者は天下を征する」と言われてましたもんね。
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今では公園になっている本丸から、夕暮れの琵琶湖に架かる「近江大橋」を望みます。
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本日は木曽義仲や松尾芭蕉が眠る「義仲寺」まで行こうと思ってましたが、すでに午後の7時を過ぎて閉まってました。
仕方ないですが、明日も出立は早朝ですから中は見られませんね。本日の行程はこれで終了とします。
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ホテルの部屋からは琵琶湖を行き交うボートの練習が見え、「琵琶湖周航の歌」が思い出される風情でした。
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2013
08.02

50水口~51石部

Category: 東海道53次
3日目、「大安旅館」は素泊まりだったので、朝の6時には出立です。ちなみに料金は5250円なり。
朝食を求めて近くのコンビニに行く途中、高さ10mくらいの「平成万人灯」が交差点にありました。
竹下内閣の「ふるさと創生資金」で造られたとのこと。
そういえば、鈴鹿峠を下ったところにあった「万人講」もそうなのかもしれませんね。
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サンドウィッチで腹ごしらえをした後、東海道は川沿いの道を琵琶湖に向って行きます。
ここは琵琶湖にそそぐ「野洲川」の上流です。
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この辺はまだ土山の一部ですが、滋賀県に入って朱塗りの連子格子の家が頻繁に見られるようになりました。
虫除けなのか防腐なのか関宿などでは見られなかったものですね。
あとで気付いたのですが、こういった処理をしている御宅は比較的裕福な感じがしました。
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のどかな宿場町が延々と続いています。
この土山は、道をすれ違う小中学生、オジさんオバさん、お爺ちゃんお婆ちゃん全員が「あいさつ」してくれるのです。
いやー、感心しました!こんな旧宿場?の習慣がまだ残っているのですね。
さすが「あいの土山」!
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歩き始めて2時間、丁度トイレ休憩できる場所があり、腰掛ける日よけつきのベンチもあったので一休みしてました。
見ると、ここは小学校の敷地内だったようです。写真の右手の方にトイレとベンチあり。
目の前には校長先生と思しき中年のオジさんが水をまいていました。

すると「どちらからいらしゃいました?」と話しかけてきました。
「横浜から歩いて東海道を京都まで行くつもりです。」と10分くらい旅行談を。
最後に「ここ公共のトイレかと思ったのですが、小学校の敷地内ですよね。セキュリティとか関係ない感じですか?」
「一応、校門(門柱のみでフェンスなし)には関係者以外は立ち入り禁止と書いてあるのですが。」と笑ってました。
なんとも鷹揚な土山がとっても好きになりました。
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長かった土山宿の終わり近くに一里塚が復元され休憩所になっていました。
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しばらく歩いたところに「岩神社」という標識があったので、少し丘を登ってみました。
中腹に岩神様を祀った祠がありました。
古い民間信仰でしょうが、素朴でいいですね。
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歩くこと4時間、やっと次ぎの「水口(みなくち)宿」の江戸見付に到着しました。
いろいろ話したり見学したりで、歩くのに時間がかかります。
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すぐに本陣跡はありましたが、説明のみで遺構は何もありません。
ほんと宿場毎に古いものを残してあったり、近代化されたり様々ですね。
水口は鉄道が通っているので、古いものが失われたのでしょう。
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道が3本に分かれて行く、個性的な町並は残っています。
常夜燈や高札場は残されています。
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かつての宿場のメインストリートです。なんとか風情を残そうとしている様子は伺えます。
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そして3本の道が再び合流するところ、真ん中の道を歩いてきました。
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昼時だったので、うどん屋さんで「うどんと箱寿司のセット」をいただいたあと寄り道して「水口城」を見学しました。
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この城は三代将軍:徳川家光が上洛の際に宿泊用にわざわざ建てられた城で、防御用というより二条城のような接待用の城であります。
小ぶりながら上品な感じで、小堀遠州作の庭もあったそうです。

この櫓は再建されたもので、中は資料館になっています。入館料100円。
入ると客は私1人で、案内のオバちゃんが麦茶を入れてくれたりしてとても親切にしてくださいました。
今までの旅をいろいろお話していたら、帰る時はわざわざ見送りに出てきてくれました。
こういう旅話は結構中高年にウケルということがわかりました。
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水口宿から次ぎの石部宿へは、ほぼ真っ直ぐで単調な道が続きます。
こういうのを畷道といいます。ここは僅かに残った松並木です。
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再び野洲川にぶつかりますが、もうここではかなりの大きな流れになっています。
釣り人がチラホラ釣り糸を垂れてます。鮎でしょうか?
橋はなくなって国道の方へ大きく迂回しなくてはなりません。
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川の手前には大きな常夜燈がそびえてました。かなりでかく東海道一ではないでしょうか。
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石部(いしべ)宿が近づいてくると、「大沙川(野洲川の支流)」の下のトンネルを通ります。
いわゆる天井川というやつですね。川の下をくぐるのは初めて。
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単調な道のりを2時間歩き、何の変哲も無いところにひっそりと石部宿の本陣跡はありました。
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現在の石部宿の町並です。土山や水口と比べてもパッとしませんね。
徐々に琵琶湖が近くなり、ベッドタウン化されているのでしょう。
今日は、この近くの甲西駅にあるホテルで泊まることにしました。
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2013
08.01

清須会議

Category: 秀吉
三谷幸喜さんの新作映画「清須会議」のサイトを観ていて、ハタと気付きました。

三谷さんがどうして大泉洋さんを秀吉役に抜擢したか?
秀吉⇒ハゲねずみ(信長がつけた秀吉のあだ名)⇒ねずみ男⇒大泉洋

きっと三谷さんの思考回路には映画「ゲゲゲの鬼太郎」があったのでは。
実写版「鬼太郎」で大泉さんはネズミ男でしたもんね。

映画が先か本が先か迷っているところです。
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