2013
07.26

48坂下~49土山

Category: 東海道53次
関ロッジを朝の8時に出立。今日は最後の難関「鈴鹿峠越え」であります。
しばし国道沿いの脇道を歩きます。
前方の山々が鈴鹿山脈で、峠はそこを縫って行きます。
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国道を右折し、のどかな田園地帯に入って行きます。
山の間間に村落があり、かつての里山の風情が残っています。兎追いし~♪
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こちらはかつての小学校。過疎化で廃校になり、今では公共の施設になっています。
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右手に小学校で左手が鈴鹿馬子唄会館ですが、本日は休館日でした。
その間の道に53次の宿場名が書いてある柱が立っています。
今まで歩いて来た道のりを振り返ることができました。
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10分くらい歩くと、旧坂下宿の中心に入ります。
道の両側に民家はありますが、かつての賑わいは全くありません。
鈴鹿峠を控えて、本陣、脇本陣や多くの旅籠が立ち並び繁栄していた町も明治以降は鉄道などの近代交通に取り残されて急速にさびれたそうです。
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かつての本陣は茶畑と化していました。
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さていよいよ峠の坂道に入って行きます。
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いかにも古そうな片山神社の横の旧道を登って行きます。
ここは「鈴鹿流薙刀術」の発祥の地だそうです。
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おう、久しぶりの石畳ですね。金谷(掛川の手前)以来でしょうか。
石の感じは箱根に似てますが、箱根ほど滑らずに歩き易かった。
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そんなこんなで国道の下をくぐったり、階段を登ったりしていたらすぐに平たいところ出ました。
あっけなく鈴鹿峠を越えてしまいました。難関と言われてたわりには軽かったですね。
多分、関宿から徐々に登って来ているので負担がそれほどなかったのでしょう。
あれが舗装のない道ばかりでしたら、やはり難所だと思います。
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峠の左手奥の150mくらいに「鏡岩」という名所があるとのことで行ってみました。
この岩肌が鏡のように反射して、山賊が旅人の様子を観察したと言われてます。
山賊が今の私の姿を見たら、ヒゲがのび放題で同業者だと思うのではないでしょうか。
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「鏡岩」に登ってみると、国道1号のつづら折をトラックが行き来しているのが見えました。
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三重県(伊勢)と滋賀県(近江)の国境が、この峠ですね。
京まで17里(68km)ですか、まだまだです気は緩めませんね。
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滋賀県に入るとスーッとのどかな空気が流れてきます。
何故でしょうか?山の手前と向こうでは風土がガラッと変わることがよくあります。
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こんなところに「万人講」とある大きな石灯籠がありました。目的がよく分かりません。
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そうそう鈴鹿馬子唄の文句に「坂は照るてる 鈴鹿はくもる あいの土山雨が降る」とあります。
坂下は晴れていても峠を越えた(間の)土山は雨が降るくらい天候が変わるという教えです。
そういえば土山に入ってから少しパラッと降りましたもんね。
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実は土山への途中、峠越えで飲む水の量が増えて持参の水が切れたとこでした。
この暑い中、水がなくては困ったなと思いながら歩いていたのですが、ある村落で1台の自動販売機を見つけました。
ホント砂漠にオアシスという気持ちでした。
延々と国道沿いの脇道を歩くこと1時間。田村神社手前のうっそうとした森の中に新設された「海道橋」を渡ります。
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この田村神社はかなり格式の高いところだと歩いていて分かります。
祀ってあるのは「坂上田村麻呂」ですね。
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数日後にお祭りがあるようで、電灯が飾られてあります。
東海道を歩いていると意外なところに古い格式のある寺社があり、土地の歴史を感じさせます。
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がーーん!坂下から土山にかけては食事するところがなく、道の駅「あいの土山」ですればいいと思っていました。
ところが本日は定休日と、「あいの土山」に空腹の私への「愛」はなかったのですかね。
もう午後の2時ですが、このまま歩き続けるしかありません。
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とぼとぼと土山宿を歩いて行きます。道がカラー舗装されて東海道歩きの人のコースガイドになります。
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土山は民家の前にかつての旅籠名の石碑があり、町をあげてかつての宿場気分を盛り上げています。
亀山などの板に屋号を書いてあるのもいいですが、こちらの方がよりいいですね。
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土山宿を歩くこと1時間。やっと食事ができそうな店「うかい屋」を見つけました。
食事をした後に聞いたのですが、ここのご主人は私がガイドブックにしている本の協力者でもあるそうです。
私は蕎麦を注文しましたが、これも後で聞いて名物の「夕霧そば」だったとのこと。メニュー選択は正しかったかな。
古民家を改築して、東海道歩きの本や情報を発信しているお店作りに感心しました。
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土山宿の中心にある本陣跡です。子孫の方がお住まいのようで公開はされてないようです。
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そしてこれが私めの今宵の本陣となる「大安(だいやす)旅館」です。外観はいたって普通の民家です。
土山宿にはここ1軒しか泊まるところがなく、選択の余地はありませんでした。
過去に東海道を歩いた人のブログを参考にすると何人かがここに泊まっていました。
評価は「全く競争がなくサービスは最低」とのことでしたが、人の意見は話半分ですね。
宿泊客は私一人でしたが、わりと親切に応対してくれました。普通じゃないでしょうか。
お風呂もちゃんと沸かしてくれて、洗濯も洗剤をもらい脱水してくれたりしてサービスよかったですよ。
ひょっとすると人を選ぶのかもね。ぐっすり眠れました。
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2013
07.20

46亀山~47関

Category: 東海道53次
昨年11月に始めた「東海道53次の歩き旅」も今回の旅で最終回となりました。
あれから8ヶ月も経ち季節は夏になりました。
荷物は夏服で軽くなりましたが、暑さとの戦いになります。
伊勢路から向こうは東海道線からも外れ、一気に京都まで行くしかありません。
それでは前回の続き46番目の宿場:亀山宿から再び旅立ちます。
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朝6時に横浜の自宅を出立。各駅停車を乗り継いで7時間掛けて午後1時に亀山駅に到着。
飛行機や新幹線が当たり前の現代人にとっては長旅でしょうが、今まで歩いた道のりを思い出しながらの車窓はとても短く感じました。
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前回亀山宿はお城までの東町を歩いたので、今回は西町からスタートとなります。
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歩き始めたとたんに空腹感が、そうだ昼飯を食べていませんでした。
右手に洒落た「コ・ビアン」というレストランを見つけました。
1階右手が洋食屋で左手がブティックのようで、上は住居でしょうか。
この辺では場違いな和風モダンなつくりです。

若い30代のシェフが応対してくれて、ランチ800円を注文。中身はハンバーグと鳥唐揚げと魚フライ。
ここものすごく安くておいしかった。800円が一番高くてチキンカツなんか300円くらいでした。
帰りにキレイなご婦人がレジにいましたが、シェフのお母さんのようです。隣のブティックをやっているのでしょう。
「これから東海道を歩く前の腹ごしらえ。」と話したら、店の経緯などいろいろ説明してくれました。
2009年の8月に開店したんだって。
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しばらく行くと「野村一里塚」がありました。
京都まで歩いてみて、これが一里塚らしい最後の見納めでした。
あとの一里塚は石碑とか代わりの木で代用してありましたもんね。
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亀山の東海道はずーっと高台を歩いて行きます。
低地の方には田圃が青々と広がり、割と豊かな城下だったことがしのばれます。
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次ぎの関宿までは鈴鹿川沿いを歩きます。遠くに見えるのが鈴鹿山地です。
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1時間ほど歩いて、関宿の入口に到着しました。
亀山宿から関宿は6kmくらいと宿場間の距離が短い。
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こちらは伊勢神宮へ向う伊勢街道への分岐点でもあり、一の鳥居がありました。
50kmくらいですから、2日歩けば伊勢神宮へも行けますね。
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映画のロケ地のような宿場が続いています。
休日の午後3時過ぎですが、誰も歩いていません。
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連子格子の平屋が続き、いい雰囲気です。軒の高さが揃っているのがスゴイ。
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こちらは「関まちなみ資料館」で、昔の商家の造りや資料が鑑賞できます。
旅籠玉屋との共通券で300円と良心的。
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ここは、しばらく行った「眺関亭(ちょうかんてい)」という見晴台で関の町並と明日歩くことになる鈴鹿峠が眺望できます。
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ここが関宿の本陣ですね。
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「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と言われたその「玉屋」が資料館になっています。
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こちらは玉屋の二階で、8畳間が3つ続いた造りです。奥には布団が敷いてあります。
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宿場の西方にはお決まりの「高札場」がありました。
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関宿もそろそろ終わりで、今日の宿に入る前に夕食の算段を考えた方がいいような気がしました。
と言うのも食堂とかコンビニとかが全くないのです。
宿泊する「関ロッジ」へ電話してみると、昼までに予約がないと夕食は準備できないとのこと。
うーん困ったと、たまたま通りがかった「会津屋」さんに「食事は何時までやってますか?」と聞いたら
「5時閉店です。」との返事。
時計を見るとなんと4時50分。
仕方なか、さっきコビアンで食べたばっかりだけど食うか。と
東海道歩きの鉄則、食べられる時に食べるしかありません。
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名物のおこわと蕎麦を食べ終わり、しばし店の女将とオジサンと歓談。
あわてて入ったけど、ここは「まだも泊まるなら会津屋か」の元旅籠だったのです。
オジサンの話によると仇討で有名な「関の小万」はここ(旧山田屋)で育ったとのこと。
小万が女だったことも初めて知りました。
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関宿はもう少し続きますが、この先を右折して山の高台にある「関ロッジ」へ。
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古いブルトレがあり、中で泊まることもできるようです。
元は国民宿舎で最近経営者が変わり、今週から改装して営業再開されました。

鈴鹿峠の前後には泊まる宿がなくて、計画にとても難儀しました。
亀山からもう少し前に進みたかったのに宿がなく、この「関ロッジ」しかなかったのです。
偶然ですが、夏休み前のこの週に予約できてラッキーでした。
ということで短いですが最終旅の1日目が終わりました。
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2013
07.19

ついに京都・三条大橋に到着!

Category: 東海道53次
昨年11月から始めた「東海道53次の歩き旅」、本日ついに念願の三条大橋に到着しました。
道中でのHOTな話題は後日、先ずは報告まで。
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2013
07.12

多賀城・塩竃・松島・毛越寺

Category: 城めぐり
6月は忙しかった。北へ南へ飛び回り、今回は盛岡で所用があったのでジワジワと北上する日程を立てました。
先ずは仙台から電車で15分の国府多賀城へ。
結構新しい駅舎ですね。最初は駅の南側へ行きます。
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こちらも真新しい「東北歴史博物館」。
駅に隣接し、多賀城を中心とした東北の歴史がテーマであります。
入場料は400円、いつもながら謙虚なお値段です。
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上の博物館から少し歩いたところにある「多賀城廃寺跡」です。
多賀城と同時期のお寺だったところですから、西暦700年代に建てられたものだそうです。
天気はあまりよくありませんが、団体さんが宴会をしていました。
左手の小高いところに五重塔があったそうです。1200年の歴史を感じます。
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多賀城廃寺から20分ほど歩いた駅の北側に「多賀城碑」と呼ばれる石板が祠に守られてあります。
ボランティアの方が説明していましたが、平城京からの距離や多賀城を造った由来などが記されています。
この石板も700年代のものだということですから、古代からのメッセージの重みが伝わってきます。
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上の石板から1つ道路を渡った先が、いよいよ多賀城の入口であります。
中央のなだらかな坂の向こうに政庁跡があります。
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こちらが政庁跡です。雰囲気は以前行った大宰府とやはり似ています。
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四方が900mあったという多賀城の北東の隅まで行ってみました。
広大な敷地の中は今では畑が続く山村と化していました。
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多賀城から今夜の宿である塩竃(しおがま)方面へ街道を1時間くらい歩くと塩竃神社の参道が見えてきました。
古来からこの地での一宮として格式高い神社で、本塩釜駅からの緩やかな坂から来る参詣者が多いのですが、この急な階段の方が表参道だそうです。
この階段を一気に登りましたが、頂上に着く頃には息も絶え絶えになりました。
ここは多賀城の鬼門を守る守護神の役割を持っています。なるほどそういう荘厳さが感じられましたね。
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本塩釜駅近くのホテルには夕方到着し、出発前から夕食は「寿司」と決めていたので近くを散策。
塩釜港はマグロの水揚げ日本一の寿司どころですが、町中いたるところに震災の爪あとが残っていて活気がありません。
丁度よさそうな寿司屋も見つからず、観光船が出ている「マリンゲート塩釜」というターミナルビルの2階にある寿司屋で夕食にしました。
マグロもおいしかったけど、私はアナゴの一本にぎりが気に入りました。
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翌朝、上のマリンゲート塩釜から松島行きの観光船に乗船。
所要時間は50分で1400円は割安感を感じます。
こんな立派な船ですが、平日なので乗船者は私を入れ6名。朝1番なので仕方ないのかな。
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曇り空の中をエサを求めるカモメや島々を見ながらのんびりした船旅です。
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日本三景の1つといわれる景色を堪能しながら松島へ向かいます。
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松島の桟橋へ接岸すると、なんとまあ大勢の人が乗船しようと待っています。
やはり平日でも観光地は混んでいるのですね。塩釜からのルートを取ってよかったみたい。
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お決まりのコース、国宝の「五大堂」へ。
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そしてお馴染み「瑞巌寺」へ。こちらも国宝の「庫裡(くり)」です。
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伊達政宗が改築する前からあったのでしょう。瑞巌寺の名前の由来ともなった岩山をくり貫いた石塔が並んでいます。
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海岸線を松島駅まで歩き、13時過ぎの東北本線各駅停車で次ぎは平泉へ向かいます。
2回乗り換え15時前に平泉へ到着。
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中尊寺へは何回か行っているので、今回は駅近の毛越寺(もうつうじ)へ。
中尊寺とともに世界遺産に登録されました。こちらは本堂。
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ここは建物より池がいいですね。
93年の大河「炎立つ」で、この流れを使った「曲水の宴」(流れに盃を浮かべ和歌を詠む)のシーンが思い出されます。
鈴木京香さんや財前直美さんがあでやかな衣装で出演されていたのを覚えてますが、多分物語のオープニングシーンだったのではないでしょうか。
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山々をバックにしたこの枯れた味わいは古刹というイメージにピッタリ。
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16時半頃には再び電車に乗り込み、翌日仕事先の盛岡へ向かいます。
本番前の充実した東北縦断の2日間でありました。
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2013
07.05

近江・小谷城

Category: 城めぐり
今度は西に飛び北近江の河毛駅で下車し、小谷城へ向かいました。
駅前では浅井長政公とお市の方が出迎えてくれます。
以前、北陸本線の特急でここを通過した際にチラッと見えたのはこの銅像だったのですね。
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のどかな田園地帯を30分ほど歩くと、小谷山が見えてきます。
こういう風景を見ると近江が豊かな国だったことが分かります。
あの山の稜線に沿って「小谷城(おだにじょう)」があるようです。
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山の麓には2011年の大河「江」の時に出来た戦国ステーションがあり、記念の「大兜」が寂しげにありました。
2年前は大勢の人が訪れていたのでしょうが、ブームが去ってほとんど人がいません。
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さて、そこから出丸跡をショートカットして登城します。
最近は「東海道の旅」で体力がついてきたので、平地の城より山城の方が達成感があっていいですね。
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途中まで登って峠の見晴らし台から望むと、左手の虎御前(とらごぜ)山から河毛駅までの一本道が続き、
その先には琵琶湖に浮かぶ「竹生島(ちくぶじま)」までのパノラマが広がります。
おー「江」でよく見た風景です。
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そして本来の追手道を10分ほど登って行きます。
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城の入り口としてチェックを受ける「番所跡」の平になった所がありました。
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その先には中世の山城に多く見られる土塁で出来た「虎口」。お決まりの様式ですね。
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さらに5分ほど登ると、左手に「御馬屋跡」といわれる開けた場所がありました。
ここからも先ほどの竹生島がよくみえるので、「江」のロケに使われたそうです。
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こちらは、すぐ近くの右手にあった「首据石」。
敵に内通した者の首をさらした石だといわれています。
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上の首据石の右手に追手道ではない細い道が続いてます。
織田信長に攻められた浅井(あざい)長政が最後に立て籠もった赤尾屋敷跡であります。
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この屋敷で長政は最期を遂げたのですね。「南無・・・」
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いよいよ本丸へ入る手前の「黒金御門跡」であります。
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その前に門の左手に広がる「桜馬場跡」もチェックしておきます。
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門を入ると細長い「大広間跡」が続きます。この辺りで浅井三姉妹も育ったのでしょうかね。
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そして本丸へたどりつきます。麓からここまで約1時間かかりました。
掲示している写真を見ると人っ子一人いないように感じるでしょうが、
この日は土曜日で何かのイベントがあって近所の小学生とその父兄に沢山出会いました。
それらの人々が全員去った後の時間帯でした。
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本丸の裏手のさらに高い段には、攻め込まれた時の最後の砦:中丸がありました。
城までの道のりは山の稜線にある一本道しかなく難攻不落のように見えますが、よくぞ信長は攻め落としましたね。
信長の戦いは執念というか執着力の勝利という気がします。
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山頂から再び1時間半かけて河毛駅に戻ります。
このローカルの駅から小谷城まで往復歩くようなヒマ人は誰一人いませんが、
歩いているとこの小谷城が湖北の地を押さえるための要衝であることがよく分かります。
小谷山をバックに石屋さんがあったので最後のパチリ。
あの山を左手に向って登ったのですね。そして米原経由の新幹線で帰途につきました。
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