2013
06.29

八戸・根城と三内丸山遺跡

Category: 城めぐり
北の方で仕事があったので、行きに八戸と帰りに青森に寄ってきました。

先ずは八戸駅に降り立ちます。
新幹線停車駅ですが、華やかさはありません。ひっそりとしています。
先日、新幹線の車両を一人で独占できた写真を掲載したのはこの駅から乗車した際のことでした。
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駅からバスで20分ほど乗ったところにある市立博物館の前で下車します。
訪れるのは八戸・南部氏の居城:根城であります。
南北朝の動乱期に南朝方の武将であった南部師行が築城した中世の屋敷でありますね。
八戸・南部氏は甲斐源氏の流れを汲み、末裔は盛岡・南部氏の家臣として八戸氏を名乗るようになりました。
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5月の末でしたので、丁度しだれ桜が咲いていました。
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城(屋敷)の本丸周りは空掘りで守られています。とっても中世チックでありますね。
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入場料は博物館との共通券で400円と良心的です。
いつも感じるのは北の方の施設は値段を抑えていて、南の方の施設は割高感があるのは気風でしょうか。
北の寒い方が慎ましやかで謙虚な気がします、気のせいでしょうかね。
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こちらは根城の中心である主殿であります。
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中はいくつかの板の間に仕切られていて、正月の儀式が執り行われています。
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板蔵も配置されてあります。
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内部はこのように武具などが保管されてありました。
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結構お金をかけて復元したのでしょうが、訪れる人も少なくもったいないことです。
どんよりとした天候も相まって、東北の置かれている現状に気が重くなりました。
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用事を済ませて、今度は青森を訪れました。
実は前夜泊まった青森のホテルは今まで泊まった全国のホテルの中でも最高でした。
部屋は狭かったですが、ベッドよし椅子よし風呂よし(洗い場つき)朝食よし、そしてフロントの感じもよし。
しかも料金は5千円とコスパもよしの「ハイパーホテル パサージュ」おススメです!
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そしてやって来たのは青森駅からバスで20分「三内丸山遺跡」。そういえば上の「根城」も城と言うより遺跡でしたね。
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のどかな丘陵地に縄文時代の竪穴住居が復元されています。
この近くまでかつては海だったということですが、信じられません。
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一番大きな竪穴住居です。儀式用でしょうか。
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内部はこんな感じ。柱が太い!
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天気もよくなり、歩いていると汗ばんできます。
真夏に訪れた佐賀の吉野ヶ里遺跡と雰囲気が似ていますね。
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こちらは掘立柱の建物です。
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最後にミュージアムで展示品を見てみました。
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これは「縄文のビーナス」といわれる板状の土偶です。
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これら復元遺跡とミュージアムを見学したのですが、全て無料です。
税金でまかなっているのでしょうが、500円くらいとってもいいのではないでしょうか。
帰路は遺跡から2kmほどにある新青森駅から新幹線に乗車。
僅か3時間半で東京駅に到着しました。なんとも早い!
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2013
06.22

備中高松城水攻め

Category: 城めぐり
仕事のついでに岡山に寄ったので、これはいい機会と「備中高松城」へ足を延ばしました。
梅雨と台風の余波で、いい具合に「水攻め」の雰囲気がヒシヒシと感じられます。
まさに「本能寺の変」を伝える旧暦6月4日頃の状況ではないでしょうか。

岡山駅から吉備線で20分、「備中高松駅」へ朝の8時半頃到着です。
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駅の北側へ10分ほど歩くと、史跡の「舟橋」がありました。
かつての城の堀にあった舟橋の名残でしょう。この辺りからが高松城なのでしょうね。
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左手を見ると細い掘割のようにも見えます。
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さらに5分ほどで城の本丸らしきところに到着です。
平地にあったわりと小さなお城だったようです。
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かつての城内は公園になっていて、蓮池が広がっています。
毛利方の城主であった清水宗治の名をとって「宗治蓮」と呼ばれているそうです。
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早朝でしかも雨、のどかな雰囲気ですが人っ子一人いません。
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ほーー「水攻音頭」なんてあるんですか。(笑)あーコリャコリャ♪
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こちらは資料館、残念ながら10時からです。
地元の方の「高松城」や「清水宗治公」に対する熱意が感じられますね。
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こちらの池には水仙も植えられています。
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新しく城内に移設された宗治公の「首塚」です。
孤島と化してしまった高松城から小船で漕ぎ出し、城兵の命と引き換えに見事切腹して果てた清水宗治。
1965年「太閤記」の1シーンが思い出されます。(宗治役は田崎潤さん)
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この絵のイメージですね。
ちなみに「太閤記」の秀吉は緒形拳さん、来年の主役:黒田官兵衛には田村高廣さんでした。
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城址公園から出て、少し離れたところにある「清水宗治公自刃之址」であります。
清水宗治は秀吉から贈られた酒と肴で別れの宴を行い、宗治ら4人は秀吉から差し向けられた小舟に乗って秀吉の本陣まで漕ぎ、杯を交わした。そして舞を踊った後「浮世をば 今こそ渡れ武士の 名を高松の 苔に残して」という辞世の句をしたため、自害した。他3人も次々と自害を遂げた。秀吉は宗治を武士の鑑として賞賛したそうです。
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こちらは上の写真のすぐ近くにあった殉死した家臣の碑であります。
「水攻め」の雰囲気が伝わってきますね。
左手の丘の上が秀吉の本陣があったところです。後で登ってみましょう。
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さらに歩いて15分くらいのところに水攻めのために築いた堰堤の跡があるという「史跡公園」がありました。
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こちらは堰堤の基礎とした土嚢の俵の跡が残っています。
堤防は工事着手からわずか12日で完成し、折しも梅雨の時期にあたって降り続いた雨によって足守川が増水して200haもの湖が出現したとのことです。
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さて、秀吉の本陣があったところまで登ってみましょう。
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本陣があった場所の裏手には旧来の「宗治公の首塚」があります。
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この平になった場所が秀吉の本陣があったところであります。
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そこから高松城方面を見渡すとこんな風景が広がります。
往時は木々を切り開いてあったことでしょうから、湖に浮かぶ孤城ということがイメージできます。
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備中高松駅への帰路、田舎町には不釣合いな巨大な鳥居がありました。
この辺りは「吉備津彦」を祀った古くからの神社があるので、それかなと思いましたがどうも違うようでした。
一体何なのかしらね。
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2013
06.14

観音寺城と近江八幡

Category: 城めぐり
橿原神宮から約2時間、今回の旅の最終目的地:近江八幡へ初めてやってまいりました。
駅に降り立つと華やかさはないですが、落ち着いた歴史のある町並でした。
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駅から少し歩いたところのビジネスホテルに泊まったのですが、部屋のお風呂が独立していてよかった。
家庭用のユニットバスという感じですが、洗い場があるとゆったりします。
翌朝早起きして、7時から開いていると聞いた駅舎のレンタサイクルを借りて出陣です。向かうは安土であります。

国道を30分進むと安土の山々が見えてきました。
安土城は2年前行っているので、今回はその隣の中世の山城「観音寺城」を攻略します。
信長に滅ぼされた六角氏の山城であります。

見上げると観音寺山は安土山の2倍くらいの標高(433m)があります。
高取山でアドバイスをもらった「桑実寺」へ到着すると、まだ8時で開門は9時と書いてありました。
1時間も待てませんから、とりあえず険しい石段を登って行きます。安土城の石段に似ていますね。
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20分くらい石段を登ると重要文化財の本堂があり、手前に料金所みたいなところがありました。
まあ無視するわけにもいかんので、ベンチで腰掛けて待つことにしましょう。
すると8時半前にお坊さんが登ってきました。
「ここは9時からですよ!」「そうなんですか、お待ちしてました。」と
とぼけて入山料300円を支払いました。
ズルをしているわけではないので、軽く許してくれました。
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足利幕府の将軍(義晴と義昭)も訪れたことがある由緒あるお寺だそうです。
ここから更に20分、こんな山道を登って行きます。
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観音正寺の方が大手道で、こちら側は「搦め手」側です。土塁で築かれた虎口があります。
この辺の造りはほんに中世の山城チックですね。
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そして信長の鉄砲隊を意識して造られたのか石垣での「食い違い虎口」。
この辺の造りは元亀・天正の時代背景を感じさせますね。
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そして山城で大事な水の手は、今でも湧き水が確認できました。
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搦め手側から登ってきたので、あっけなく「本丸」に到着です。
桑実寺の入口からトータルで40分くらいかかったでしょうか。
ネットの体験談なんかでは石段でクタクタになったようなことが書いてあったので、気合を入れて登ってきたのですが拍子抜けでした。
きっとこちらが山城慣れしているのでしょうね。
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この観音寺城には全く案内板がないですね。
それと縄張図もなく広大な山城の中をあっちに行ったりこっちに行ったりします。
さらに近世の城と違って二の丸とか三の丸といった造りではなく、あちこちに曲輪(くるわ)が分散してます。
ここは本丸の横にある平井丸。○○丸とは家臣の名前から名付けられたものらしい。
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これは平井丸の虎口。残っている部分ではここが一番立派みたい。
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こちらは池田丸らしい、ともかく案内図がないのでどこを歩いているのかよく分からない。
石垣の造りが昨日の「高取城」とは時代差を感じます。
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時間と体力に余裕があるので観音正寺まで歩こうとし、大手道の本丸への階段を通過します。
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約15分で観音正寺に到着です。ここはここで立派なお寺ですね。
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ここからは近江平野と琵琶湖が見渡せました。
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そして元来た道を下って桑実寺の入口まで戻ってきました。
まだ午前中なので、せっかく来た安土です。「信長の館」に寄ってみました。
スペイン・セビリア万博へ出展された原寸大の安土城天主(5・6階)が展示されています。
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こちらはお隣の「安土城考古博物館」、信長の兜のイメージですかね。
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それから再び近江八幡へ取って返し、地名の語源となった「日牟礼八幡宮」を訪問。
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堀川を渡るとテレビドラマのロケをしていました。
ここの風景は江戸や明治の風情を残しているので、よくドラマに使われるそうです。
その後、堀を歩いていた体格のいい俳優さんが通り過ぎて行きましたが見覚えがあります。
10年「龍馬伝」の後藤象二郎や12年「平清盛」の弁慶をやっていた男優さんでした。
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八幡宮の本殿はさすがの風格です。平日にもかかわらず旅行客が大勢いました。
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白壁と松に囲まれた日本古来の町並が続いています。近江八幡なかなかいいところですね。
途中、東京から来たというご婦人方に道を尋ねられ、今しがた通過したところだったので地元の人のように答えてみました。
最後に「私も横浜から来たばかりですよ。」と告げたら、レンタサイクルを見て唖然としていました。
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近江八幡のお土産は「たねや」のバームクーヘンだとホテルの人に聞いていたので、帰りに購入し米原から新幹線に乗り込みました。
これにて桑名~東海道~城めぐりの長旅もオシマイです。
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2013
06.07

高取城と飛鳥の里

Category: 城めぐり
奈良の橿原神宮に宿泊して、早朝8時に電動レンタサイクルを借りて向ったのは三大山城の1つ「高取城」であります。
車の行き交う街道を下ること30分、高取山の麓に出来た城下町「土佐」の落ち着いた町並が続きます。
古代に土佐の人々が多く移住したことから、そういう地名になったそうです。
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高取藩の筆頭家老の屋敷にある長屋門です。現在は藩主の子孫が住まわれているそうです。
藩主は譜代大名の植村氏といってもあまり有名ではありませんが、2万5000石という石高以上のお城をお持ちだったのですね。
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「宗泉寺」というところまで自転車で行き、そこからは徒歩で大手道を登城します。
ずーっと登りだったので電動自転車のバッテリーの減りが早く、半日持たせるためには省エネ走行が必要でした。
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30分ほど山道を登ると中間地点に「猿石」がありました。
古代の石像物でしょうが、城石に使うために運ばれてきて珍妙なオブジェになってしまったのでしょう。
高取城のシンボル的存在になってます。大きさを確認するためにペットボトルを置いてみました。
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猿石からすぐに「二の門跡」があります。ここからが城内ですね。
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「二の門」からしばらく登り右手に入ったところに「国見櫓跡」があり、そこからは奈良盆地から大阪・神戸まで見渡せます。
写真では見えませんが今日は天気がよかったので、中央のあたりに最近日本一の高さになった「阿倍野ハルカス」が肉眼では確認できました。
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高取城の守りの堅さをうかがわせる虎口「松ノ門跡」です。
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あまりにも多くて全部は載せられません、これでもかこれでもかと枡形の門が続きます。
こんなにしつこく枡形を多用している城は珍しいです。ナンバーワンではないでしょうか。
こちらは「千早門跡」です。
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そろそろ枡形も終わりになり、大手門に達しました。
枡形は右側に曲がる方が多いのです、これは右利きが多い関係から次ぎの攻撃がとりにくい体勢を考えた人間工学からきているそうです。
昔の戦術家は大したもんですね。
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いよいよ本丸へ入ります。約1時間の登山でした。
朝早いので誰とも遭遇しませんでした。いつものようにお城を独占ですね。
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「太鼓櫓跡」です。
明治初期の古写真に立派な櫓と門が存在しているのがありました。
その後老朽化で、天守を含め二束三文で売られたとのことです。何とも残念なことでした。
この辺の話は麓の観光案内所「夢創舘」のオバちゃんに聞くことができます。古写真もありました。
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「巽高取 雪かとみれば 雪でござらぬ 土佐の城」昔の情景が思い浮かぶ味わい深い歌碑ですね。
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中世の山城ではなく明治まで存続した城ですから、石垣もしっかりしています。
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こちらは「天守台跡」。小ぶりですが天守もあったのです。
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山を下る頃になってやっと登ってくる人たちにチラホラ会うようになりました。
途中すれ違ったご婦人から耳寄りな情報をいただきました。
私が翌日行く予定の近江「観音寺城」の地元から来られたということで、
「観音寺城を徒歩で登る際に登山口は、桑実寺側からと観音正寺側からとどちらが登り易いか?」という質問に
「桑実寺からの方がよい!」と即答してくれました。これは同じ城マニアの意見ですから大いに参考になりました。

麓の土佐で唯一あったレストランで昼食をとり、午後は飛鳥めぐりへGO。
電動自転車の機動性がその能力をフルに発揮しました。
先ずは一番近くの「高松塚古墳」へ。
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こちらは「亀石」。行くとこ行くとこに小学生がいますね。
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そして蘇我馬子の墓といわれる「石舞台古墳」。
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大きさはこんな感じ。中にも入れます。
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謎の遺跡「酒船石」。古代の儀式で使われたのではと解釈されてます。
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最後に聖徳太子もその景色を愛でたという「甘樫の丘」に登ってから、飛鳥を後にしました。
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橿原神宮へ自転車で取って返し、ホテルに預けた荷物を受け取って15時半の急行で京都方面へ向かいます。
今宵の宿は「近江八幡」にとりました。
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2013
06.01

亀山城・伊賀上野城・大和郡山城

Category: 城めぐり
伊勢の亀山に一泊して、そこからは「東海道の旅」から一転して「城めぐりの旅」へ変更しました。
早朝の7時半ホテルを出て、先ずは亀山城へ。
「三の丸」あたりを歩いてますが、全く面影は無く一部の石垣跡が駐車場と化しています。
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「本丸」は小学校となっており、その裏手は緑の多い公園に堀跡が残されていました。
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こちらは亀山城の唯一の遺構「多門櫓」であります。
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幕府寄りだった伊勢の各藩は明治維新後に城は破却されたのでしょう。
三重県に残る城の建造物は、この多門櫓のみですから大事に維持してください。
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亀山駅に向う途中に「亀山宿」の石碑がありました。
次回の東海道の旅はここからスタートですね。
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亀山を後にして次ぎに向かったのは伊賀上野。
9時過ぎのローカル線ですからガラガラだと思ったのですが、今日はどこかの会社のOB会の旅行があるようで、たった1両しかなく満席でありました。
まさか1時間弱を立つとは思いませんでしたが、その会の幹事さんと話しながらの移動でそれほど退屈はしませんでした。
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駅を降りると芭蕉の句が石碑に、そうか松尾芭蕉は伊賀上野の出でしたね。
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JR駅から歩くこと30分、遠目にも小高い丘に立つ天守が見えていました。
伊賀上野城の正面は近鉄の上野市という駅が最寄なのですが、今日はJR関西本線の「搦め手」側からの登城となります。
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有名な「高石垣」が垣間見えてきました。ドキドキしますね。
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本丸への階段を登って行きます。なかなかの城構えです。
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こちらは「俳聖殿」と名付けられた松尾芭蕉を記念した重要文化財です。
見てすぐに芭蕉の旅姿をイメージしていると分かりますね。
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そしてこちらは「筒井天守跡」。
藤堂高虎がこの城を建てる前の筒井氏の城跡です。
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天守をバックに外国人が忍者のロケをしていました。
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徐々にこの城の名物である石垣と堀が近づいてきました。
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吸い込まれるような高さです。
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うーーん、なんとも美しくて険しい。藤堂高虎はスゴイ!
ところで昨日、安部龍太郎さんの「下天を謀る」上下2巻を購入。高虎が主人公のようです。
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この先端の木と伊賀上野の町並のコントラストはいかが?
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そして最後は天守ですね。
木造の再建天守ですが、昭和10年築だそうですから経年による風格が出てきて、戦後のコンクリート製の天守とは趣が大きく異なります。
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お城の次ぎは、どうしても押さえておきたいここへ。
「伊賀上野」といえば荒木又右衛門の「鍵屋の辻」ですね。
なんと記念館がありました。200円払って入場しましたが、オジサンがヒマそうに受付してました。
訪れる人は私一人のようでした。
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この石碑を撮り、再びJRの駅に30分かけて戻り次の目的地:大和郡山へ向います。
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JR郡山駅で下車しましたが、午後の2時を過ぎてお腹がペコペコ。
伊賀上野で食べればよかったのに、電車の時間もあって割愛しました。
ローカル線は1時間に1本しかないので、いろいろと制約があります。
駅前でと思っていたら案外食べるところはなく、「餃子の王将」も今日は臨時休業でした。
仕方なか、前に進みましょう。郡山城の外堀をめぐります。
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すると外塀の白壁に看板があって、どうやら小さなレストランのようです。
「AOSSA」という名前で「越前おろしそば」と「ソースかつ丼」のセットをやっているようです。
助かった!
中に入ると木々がうっそうとした一軒家でした。
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揃いの「アルプスの少女ハイジ」風のファッションを着た姉妹がやっていて、営業は昼だけのようです。ラッキー!
案の定、福井出身だそうで、蕎麦とカツと小鉢が4つくらいついて850円と格安。
美味しかったのでついでに食後のコーヒーまでいただきました。これは穴場ですね。
ちなみに「AOSSA」とは福井弁で「会おっさ」(会おう)という意味だそうです。
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腹ごしらえを済ませ、元気洋々と大和郡山城へ向かいます。
通りに小さな掘割が残されています。
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近鉄の線路を越えると郡山城の内堀が見えてきました。
筒井氏の次ぎに秀吉の弟:大和大納言秀長の居城として造られたという規模の大きさが感じられます。
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立派に追手門だけは復元されていますが、城内はイマイチでした。
二の丸は郡山高校の敷地になっていて、100名城に入らなかったのはこの辺が理由でしょうか。
立派な石垣と堀があるのに残念です。
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内堀をグルッと1周してきましたが、数十万石の大名の城という格を感じさせます。
最終的には柳沢氏(徳川綱吉の側用人で有名な吉保が最初)が15万石で入部して幕末まで存続しました。
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こちらはその柳沢氏の資料を保存する「柳沢文庫」。
入場料は200円でしたが、中身よりも私はこの建物の方に興味を持ちました。
聞いてみるとこちらは、東京にあった柳沢家の車寄せを移築したものだそうです。
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本丸中心には柳澤神社があり、その裏手に天守台が残されていました。
ここの石垣は墓石や地蔵などの転用石が多く用いられていて、「さかさ地蔵」の表示がありました。
確認はできませんでしたが、覗くと地蔵が逆さになっているのが見えるそうです。
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本日の宿泊は明日の日程を考慮して近鉄「橿原神宮」まで進めました。
シングル7500円とやや高めのホテルでありましたが、室内の広さにはビックリ。
いつも泊まっているビジネスホテルの3倍くらいはありましたね。
おまけに温泉つきで、ゆっくり休めました。
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