急に忙しくなり日本中を飛び回っている状態です。
申し訳ありませんがブログの更新が滞っています、悪しからず。

旅先でのビックリするような1コマ。
修学旅行の団体がある駅で全員降りてしまい、乗り込んだら私一人で車両を独占してしまいました。
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東海道の旅の続きは朝7時半に四日市宿を出立!
朝から日差しが強く、今日も陽に焼けそうです。
一日が終わりホテルで腕時計をとったら、くっきりと跡がついてました。

右手に立派な格子戸のお屋敷がありました。
説明板を読むと江戸時代から続く薬屋さんだそうです。
現在も左手に「鈴木薬局」という看板が見えますから、現役なんですね。たいしたもんだ。
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日永というところでトイレ休憩でお世話になった「興正寺」というお寺さんですが、
なかなか風格があったので由緒書を読んでみました。
織田信長の家臣:滝川一益が寺領を寄進し、諸役を免除するという文書が残っているそうです。
山門は江戸時代初期のもので三重県では最古のものとのこと。
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ここもトイレが借りられる浄土真宗高田派でしたね。
そういう庇護の元に川堤を築く際にもわざわざお寺を迂回したとあったので、眺めてみると「なあるほど!」といった景観でありました。
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こちらは日本橋から丁度100里目の日永(ひなが)一里塚跡。
なんか家と家に挟まれたところにあって寂しいですね。
三重県はもちょっと一里塚を大事に扱わんといけませんね。失ってからは遅いですよ。
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しばらく行くと「日永の追分」、右が東海道で左に行くと伊勢神宮への道となります。
この裏こは清水が湧き出ていて、何人かが水をわざわざ汲みに来ていました。
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日永から内部(うつべ)は歴史が古い土地柄のようで、ボランティアの方たちがやっている「うつべ町かど博物館」というところがありました。
内部は「ないぶ」かと思ったら「うつべ」と読むと教えてくれました。
町の歴史についての展示があり、ここにも歴史を守ってくれる人がいるんだと感心いたしました。
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上の写真から右手の方に登って行くと急坂があり、「杖衝坂(つえつきざか)」と名付けられています。
松尾芭蕉がここで落馬して「歩行(かち)ならば杖衝坂を落馬かな」と詠んだそうです。
この句は季語がないのが特徴で、芭蕉も落馬したので照れ隠しにあわてて作ったのでしょうか。
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杖衝坂を登りきると「血塚社」という意味深な場所がありました。
ヤマトタケルが出血した足を洗い流したところと伝えられているそうです。
日本のいろんな歴史が残されている土地柄なんですね。
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坂の上の台地には落ち着いた街道が続いてます。
ここは車もあまり通らず、古い落ち着いた民家が並んでいて街道の中でも歩きやすい絶好の場所だと感じました。
平屋が中心で2階建てがほとんどありませんね。
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四日市から10km、石薬師宿に到着です。
この石薬師や次の庄野は鉄道網から外れ、昔日の面影が多々残されているようですね。
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石薬師の中心であった「小澤本陣跡」です。やっぱり残されてありましたね。
宿帳には浅野内匠頭や大岡越前守の名前もあるそうです。
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すぐ近くには明治の歌人「佐佐木信綱資料館」もあります。右隣が生家だとのこと。
「卯の花の匂う垣根に~♪」の出だしで有名な童謡「夏は来ぬ」の作詞者でもあります。
館内にはそのメロディが流れてました。
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国道1号を横切ってすぐに宿場名の由来となった「石薬師寺」がありました。
奈良時代に創建された由緒正しいお寺さんであります。
落ち着いたたたずまいに気持ちが洗われます。
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宿場の外れには石薬師一里塚跡が残されています。
なんとまあ、のどかな日本の農村の原風景ではないでしょうか。
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次ぎの庄野宿へ向う道はこんな状況。これでも立派な「東海道」であります。
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庄野へは僅か3kmで到着。
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ここは石薬師以上に昔が残されていますね。
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庄野宿の真ん中あたりに「庄野宿資料館」がありました。入場は無料です。
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ご婦人の方が親切に説明してくださいます。
これは江戸時代の「高札」が残されていて、墨は消えていますが書かれた部分だけ盛り上がって判読できます。
こんな大きい高札は初めてです。

説明の方に私が横浜から歩いて来たことを告げ、「二川」や「舞坂」の資料館のことを話すと大変興味を持たれていました。
今度参考に訪問されるそうです。
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本陣跡の石碑しかありませんね。残念です。
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庄野宿を過ぎ、亀山に向う途中の川俣神社に「スダジイ」の看板が。
なんじゃらほい、「スダのジイさん」のことじゃろかと思ったら、
なんと立派な「椎の木」でありました。日立の「この木何の木」みたいですね。
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そんなこんなで庄野から8km、夕方には亀山宿に入ってきました。
今夜の宿は亀山にとってありますが、亀山の各家々にはこんな木札が掛けられています。
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昔の屋号ですね。東海道の風情を少しでも残そうとしているのでしょう。
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亀山宿の中心で本陣などがあった場所ですが、全く面影はありません。
石薬師から庄野と歩いて来たので、亀山はすごい大都会という気がします。
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やはり城下町ですね。枡形がくっきりと残されています。
「灯ともし頃」です、宿に入り食事でもとりましょう。
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本日の歩いた距離は26km 43000歩でありました。
来年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の新キャストが発表されました。

妻:光(てる)・・・中谷美紀さん
父:職隆(もとたか)・・・柴田恭兵さん
竹中半兵衛・・・谷原章介さん
秀吉の妻:おね・・・黒木瞳さん

中でも私が一番注目したのは片岡鶴太郎さん、官兵衛を悩ませる主君:小寺政職(まさもと)を演じることになります。
番組のプロデューサーからは、「仁義なき戦い」シリーズで組長を演じた金子信雄さんのイメージでと言われたそうです。

鶴太郎さん大河の出演はこれで5回目になるそうですが、91年「太平記」の北条高時役があまりにも強烈で、あとの3回は何を演じていたのかうろ覚えです。
そういえば08年「篤姫」では岩倉具視をやっていましたね。
今の「八重の桜」で小堺一機さんが岩倉を演じてますが、同じ波長という感じです。

小寺政職は優柔不断で自己の保身には敏感なキャラ、最後には官兵衛を欺いて陥れる難しい役どころです。
個人的には73年「国盗り物語」で主役の斉藤道三に美濃を乗っ取られてしまう主家の土岐頼芸(よりよし)を演じていた金田龍之介さんのイメージですが、鶴ちゃんならきっと怪演してくれることでしょう。

ちなみに「国盗り」の時の官兵衛役は江守徹さん、政職役は内田朝雄さんでした。
内田さんは金田さん寄りのキャラですから「国盗り」のプロデューサーは私のイメージだったのかもしれません。

2013.05.11 桑名~四日市
連休中に「東海道53次」の続きを歩いてきました。
宮(名古屋)から桑名(三重)までは「七里の渡し」と言って船旅になりますが、現在は船は出てないのでJRにて。
横浜を朝8時に出立!名古屋からは快速「みえ5号」に乗って1駅、僅か20分の「渡し」でありました。
降り立った「桑名駅」は他のJRの駅と比べるとなんともショボい駅舎でありました。
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先ず向かったのは桑名宿の北側にある「六華苑」という明治の実業家の邸宅だったところです。
コンドル(「鹿鳴館」や「ニコライ堂」の設計で有名)による国の重要文化財であります。
洋館に和風の建屋が増設された複合建築ですね。
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和室の方では結婚式の事前撮影をされていました。
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「六華苑」から歩くこと10分で、「播龍櫓」と「七里の渡し」が見えてきました。
ここら辺は桑名城の北端だったところでしょう。
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「七里の渡し公園」の横が桑名宿の中心地。
右手の格子造りが脇本陣で、その向こうの料亭が本陣だったところです。
旧東海道はカラー舗装されてますね。
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上の写真から左に真っ直ぐ行くと春日神社の大きな青銅製の鳥居がありました。
桑名は古くから鋳物の町らしく、そのシンボルとなっています。
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東海道に沿って左側は桑名城の内堀があり、僅かに名残を留める石垣がありました。
桑名藩は明治維新での賊軍でありましたから、お城は完璧に破却されたのでしょうね。
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さらに市内を城下町らしく折れ曲がりながら進むと矢田立場跡に火の見櫓が再現されてありました。
左側の子供の飛び出し注意の看板がこの桑名や四日市では頻繁に見かけました。三重の交通標識の特徴ですかね。
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この辺りは戦災にも免れ古い町並が残っています。
そろそろ休憩を入れたい時間になり、イートインできる和菓子屋「つたや」さんを見つけました。
東海道歩きのカン、食べられる時に食べないと次ぎは何キロもありませんから。
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この「かりんとう饅頭」すごくおいしかった。1個100円、頻繁に客が来てましたよ。
40代のご夫婦二人でやってました。
「横浜から歩いて来た。」と言ったらビックリしてました。
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見事な黒塀が続くお寺があったのでパチリ「了順寺」とありました。
三重に入ってお寺さんがとても多いのに気付きました。
信仰心の厚い土地柄なのでしょう。
旧道にはコンビニとか全くないので、トイレ休憩に助かります。
特に浄土真宗のお寺には、利用できるトイレが完備されてます。庶民の宗派なのでしょうね。
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町屋川を渡る手前に久々に古い常夜燈が残されてありました。
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そして川を渡ろうとしたら、なんと橋がありません。
旧道の古い「町屋橋」はなくなり、国道1号の橋へ迂回せねばなりません。
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さらに古い町並を進んで行くと朝日町という町名になります。
この辺りはそれぞれの町自体がその町の歴史にプライドがあるようで、古い資料館がいくつかあるようです。
これもその1つ「朝日町資料館」、大正5年に朝日村役場として建てられたそうです。
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かつてはこの街道沿いにも松並木があったのでしょうが、今ではこの1本だけが寂しく保存されています。
バックに四日市のコンビナートが見えてきました。
時折り道幅が広いところがあるのですが、そこは松並木があったところで、そこだけ松が無くなった分道幅が広くなったという訳です。
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桑名から四日市に入っても子供の交通標識は変わらないようです。
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海蔵川の手前にある「三ツ谷一里塚跡」です。
この川を越えると四日市市街へと入ります。
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次ぎの三滝川を渡ってすぐ左側に「笹井屋」という「日永のなが餅」で有名な老舗があります。
藩主の藤堂高虎はこの餅が好物で、参勤交代の際に必ず立ち寄ったそうです。
「武運の長さ」にかけて、縁起が良いということらしい。
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笹井屋を過ぎるとかつての四日市宿の中心でありますが、全く往時の面影は残っていません。
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本日の宿は近鉄四日市駅からも近い街道沿いにとりました。
先ほどの「笹井屋」で購入した「なが餅」を開けて食べてみましょう。
ひょろ長い餅に焦げ目がついて中には餡、食べやすくて美味しいものでありました。
お土産にしたいところですが、日持ちが2日と短くて断念、旅行中に食べきりました。
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本日の歩きは35600歩 21kmでありました。
距離以上にとっても疲れた1日でした。
旅の後で気付いたのですが、初日が何かと一番疲れるみたいですね。
2013.05.03 小机城
八王子城の帰路、横浜線の小机駅で下車し「小机城」へも寄ってみました。
北口で降りると「日産スタジアム」へ向うお客さんばかりでした。
住宅開発があまりされてなく、畑の道を小高い丘を目指して10分程度歩くと「小机城址市民の森」があります。
背面に鶴見川があり小高い地形を利用した典型的な中世の山城です。
休日の午後4時前で訪れる人は皆無のようですが、見事な竹林があります。
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どんどん奥に進んで行くと空掘の遺構が見えます。
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ここの空掘は下まで降りて行かれます。これは珍しい体験ができました。
地面は枯れ草でクッションがあり、穴が空いているのではないかという不安にかられますね。
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二の丸の手前の小高いところは櫓跡だそうです。
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こちらが「二の丸」なかなかの広さではないでしょうか。
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竹林の空掘を抜け、本丸方面へ向います。
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登り詰めると、そこは「本丸」。おやー少年野球の練習場になっていますね。これも有効活用の1つでしょう。
小さい城と思っていましたが、本丸は意外と大きいところでした。
これなら十分に館が建てられますね。
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本丸をさらに西側へ降りて行くと、城を分断するように「第三京浜」が走ってました。
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第三京浜の下のトンネルをくぐって上の写真の反対側をさらに登ると城址が続いてました。
「富士仙元」と名付けられた見晴らしのいい場所があり、人工的な盛り土の塚がありました。
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約1時間の散策で帰りは南口から乗車しました。
横浜に僅かに残る北条氏の出城「小机城」、あの「空掘」は途中下車して寄ってみる価値のある城でありました。
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