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金沢文庫

昨日トレーニングを兼ねて、金沢文庫まで12kmの道のりを散歩しました。
実は横浜に住んでいながら写真ではよく見る「称名寺」を訪れたことがなかったのです。
途中腹ごしらえに立ち寄った回転すしの店を含めて約3時間の行程でありました。
金沢文庫の住宅街を抜けると称名寺の「赤門」がありました。
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参道を進んで行くと両側にはお蕎麦屋さんや料亭がありますが、ひっそりとしてあまり人出はないようです。
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立派な「仁王門」ですね。歴史を感じます。
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正面に「反り橋」があります。朱塗りが色あせてきていますね。
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もう1つ橋があり、向こう側には「金堂」と藁葺きの「釈迦堂」が見えてきました。
上空を大きなトビが飛んでいて、獲物を狙っているようです。
鯉にエサを与えていた人がいたので、急降下でかっさらって行きました。コワー。
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このアングルがよくカレンダーなどで使われる風景ですね。
紅葉や雪景色が似合うところですが、本日も山影が池に写りいい雰囲気です。
名所旧跡は寒い時期に訪れたほうが、がやがやしてなくていいですね。
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上の写真の左手の方にこの称名寺と金沢文庫を興した北条実時の胸像がありました。
鎌倉幕府の頭脳でもあった実時、2001年「北条時宗」では池端慎之介さん、なんとあのピーターが演じていたのです。
それと今日新しい発見がありました。
91年「太平記」で今は亡き児玉清さんが演じていた15代執権:金沢貞顕は、この実時の孫でした。
裏の方に貞顕と父の顕時のお墓がありました。
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さらに左手奥には「金沢文庫」へ通じる隧道が。
この辺はいくつかの隧道が掘られてあり、実際に歩けるのはこの1つです。
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これが現代の「金沢文庫」。実時が作った金沢文庫は場所の特定はできていないそうです。
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本日の散歩はさらに東側の「海の公園」まで歩を進め、「八景島」を遠くに眺める浜辺を散歩し、シーサイドラインという交通機関で帰ってきました。
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2013/01/27 09:55 |散歩COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

島田~金谷~日坂

東海道53次の旅、第三弾です。
今回は朝7時前に横浜の自宅を立ち、3時間かけて10時頃に駿河の国の外れ島田へ到着しました。
東海道線とは朝早くても大勢の皆さんが乗っているのですね。満員でした。
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島田宿は今では変哲もない商店街となっています。
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30分ほど歩くと大井川の川越遺跡の町並が見えてきます。
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一軒の家に立ち寄ってみると、「ギョッ!」。
川越人足さんが休憩中でありました。失礼しました。
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道中、おじいさんが寄ってきてあれこれ説明してくれました。
遺跡の先端には「川合所」があり、おばあちゃんが3人日向ぼっこをしているのどかな風景です。
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川合所の中をのぞいてみると、お役人さんや庄屋さんのチェックを受けます。
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これは高貴な人が乗る駕籠ですね。
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こちらは少しエライ人や女性が乗る蓮台です。
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川合所から右手に延びる土手がいい雰囲気だったので進むと、梅の並木が続いています。
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並木が途絶えるところで大井川を渡る橋にぶつかります。
延々と続く巨大な鉄の橋です。
左端が歩道となっています。富士川とは逆の位置ですね。
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真っ直ぐに続く歩道。1km以上はあるでしょうね。
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これが川越人足に担がれて渡る大井川です。
自分で歩いて渡る方が気が楽ですが、江戸時代は650人ほどの人足の稼ぎ場所だったそうです。
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大井川を渡り金谷宿へ入ってきました。
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前方に見える山の峠を越す準備のための宿場町ですね。
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丁度お昼時なので、石畳茶屋というところで食事と休憩です。
この先あまり食べるところはなさそうなので、グッドタイミングです。
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私は茶屋の裏側の山道から入店しましたが、食事が終わり表へ出ると石畳の道が続いてました。
平成の道普請でよみがえった金谷坂石畳です。
箱根の石畳より石が丸くてやや歩きにくい感じがします。
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途中、「諏訪原城址」のあたりで大井川からも見えた山の中腹の「茶」の文字が茶畑越しにくっきりと出現。
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石畳の道が終わる頃にも向こう側の山に再び「茶」の文字が見えます。
この石畳とのコントラストがグーです。峠を越え間の宿:菊川が見えてきました。
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菊川でトイレ休憩をすませ、今日の難所:中山峠へと向います。
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20分ほどすごい登りが続き、冬なのに汗だくでセーターはリュックにしまいました。
それから「小夜の中山」という平坦な山道になります。
山内一豊が関ヶ原に向う徳川家康を接待したという「久延寺」という古刹がありました。
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本堂右手にある大きな丸い石が「夜泣き石」の1つです。
妊婦が山賊に殺され、幸いお腹の子は助かり住職が水飴で育てたが、殺された母親の霊が石にこもり泣いたという伝説が残っています。
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山の上の道が茶畑の中を進んで行き、汗も引いてのどかな雰囲気です。
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ところが一転、最後にとんでもない下り坂が待ってました。
写真ではとても表すことのできない急坂でしたが、広重の描いた絵が見事にそれを表現していました。
これがその「日坂(にっさか)」です。坂というより崖ですね。
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急坂を下りてくると、そこは日坂宿でありました。
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ここら辺は、各家々を屋号で呼んでいるようですね。
すべての家同士が顔なじみなんでしょう。
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扇屋本陣跡の門だけが残されています。
中は空き地でしたので、敷地の広さが確認できました。
本陣とはすごい部屋数の広大な屋敷だったのですね。
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侍の宿泊施設だった「川坂屋」という旅籠も在りのまま残されています。
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宿場の出口には高札場が復元され、高札もリアルに掲げられています。
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日坂宿を過ぎ掛川に向う街道に出るとすぐ左手に遠州の一宮「事任(ことのまま)八幡宮」があります。
坂上田村麻呂が起こし、願い事が「ことのままに叶う」という言い伝えがあるそうです。
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夕暮れが迫り、夜の帳が下りる頃に掛川の城下町に入ってきました。
常夜灯にも灯が入れられ、往時の旅人の心境になりながら本日の宿へと向かいました。
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本日の歩いた距離は23km 38000歩でありました。

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2013/01/19 18:01 |東海道53次COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

「八重の桜」始まる!

会津若松城

また旅に出てまして、コメントが遅くなりました。
「八重の桜」が始まりましたね。
昨日遅くに旅から戻ってきましたので、第2回を先ほど観ました。

1回目、2回目とも順調な滑り出しでした。
ナレーションが女優では藤村志保さんと並ぶ大河の重鎮:草笛光子さんですね。
大河は9回目の出演ですが、シブい安定感を感じます。

第1回目の最初の方に会津藩主:松平容保の義父役に中村梅之助さんが出てました。
おなつかしい!お元気でありましたか。
梅之助さんが大河の幕末物に出てくると、どうしても「花神」の大村益次郎を思い出しますね。

拡大版の第1回では総花的に出演者をザッと紹介する形であまりインパクトはありませんが、
映像に東北の城下町といった落ち着いた風情を感じました。
藤沢周平作品に出てくる海坂藩のようで、「たそがれ清兵衛」なんかが出てきても不思議ではありませんね。

第2回の途中からついに「綾瀬はるか」登場です。
子役の目がクリクリッとした少女も可愛らしいので、もう少しエピソードがあってもよかった気がします。
この子役のコも現代的な顔立ちでしたので、綾瀬さんに変わってもあまり違和感はありませんでしたね。

佐久間象山役の奥田瑛二さん、なかなかスゴミがあっていいですね。
ここにヒョイとやって来たのが吉川晃司さん扮するところの西郷吉之助。
吉川さんの西郷役はどうかなあと思っていましたが、雰囲気出てました。
吉川さん、目方を増やして出演していたのでしょうか。

西郷登場のシーンでからんでくる少年の名前が「新島七五三太」。
ははーん、これが将来の夫「新島襄」なんでしょうな。
脚本の山本むつみさん、複雑な人間相関図を巧みに操っていますね。
「江」や「平」よりは、その辺のテクニックは上と見ました。

来週の予告編をチラッと見たら、会津藩内部の人間関係が描かれるようです。
その中で西郷頼母役の西田敏行さんがいました。
西田さんの西郷役と聞けば、それはもう「翔ぶが如く」の西郷隆盛です。
思い入れが強い私としては、当分錯覚が続きそうな気がします。

観てはいませんが、年末のテレビ東京の時代劇で里見浩太朗さんが同じ西郷頼母役を演じてました。
かつて里見さんも「田原坂」で西郷隆盛役をやってました。
芸能界の重鎮は西郷役をやるのがステータスの証しなのでしょう。

(追記:上の記述は勘違い。年末のテレ東は北大路欣也さんが西郷頼母で、里見さんは86年の日テレ「白虎隊」で西郷頼母でした。でも実際の頼母は当時もっと若いんだけど・・・)

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2013/01/14 10:35 |八重の桜COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

丸子~岡部~藤枝

話は東海道53次の旅に戻って3日目。
本日は雨ですね。前回の沼津でもそうでしたが、どうも3日目は雨になるようです。
天候に文句は言えません。合羽を着込みいつもどおり朝8時には出発です。
ちょっと道を戻るかたちにはなりますが、最初の「城めぐりの旅」で訪れた駿府城を確認しておきます。
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そして忠実に東海道をたどる七間通りに入ると伊勢丹の前に「札の辻」がありました。
この道は七間(13m)あったといいますから街道一の大通りであったのです。
ちなみに「札の辻」とは江戸時代に役所の高札が掲げられた場所で東京の田町の近くにもその名の交差点があります。
その時代の広報手段の1つですね。
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府中(静岡)から次ぎの宿場:丸子(まりこ)へ行く際に最初に渡る安倍川があります。
その手前には有名な安倍川餅の老舗が並んでいますが、朝早く開いてないので通り過ぎます。
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冷たい雨の降る中、強風にあおられながら安倍川を渡ります。
果たしてどこまで行けるのかと旅の行く末に一抹の不安がよぎります。
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丸子宿に入ってきました。
かつては鞠子とも書いたそうですが、丸子と書いてマリコと読みます。
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今では何も残っていませんが、本陣跡の石碑だけが残されています。
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丸子宿を過ぎたところに「とろろ汁」で有名な丁子屋があります。
いつもは観光客で賑わうのですが、昼前なのと雨であまり客はいないようです。
私も11時前でしたので入店はあきらめ、ここから歩いて1時間くらいの道の駅で「とろろ汁」をいただきましょう。
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実はその情報、丸子宿の手前で入った喫茶店で丁子屋の話をしていて、
時間が早いからもう少し行った道の駅でも「とろろ汁」を出しているよ。ということを知ったのです。
地元の店に入って話をすると、ガイドブックに載ってない情報が得られます。
丁度いい頃合いでお昼になりました。
これが国道1号の道の駅:宇津ノ谷峠の「とろろ汁」であります。しかも安い750円。
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道の駅から15分くらいで時代に取り残されたような山間の集落:宇津ノ谷に到着。
なんとも貴重で残しておきたい日本の村落ですね。
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こちらは「お羽織屋」と言って、豊臣秀吉が北条征伐に向う途中に寄った話が残っています。
秀吉が主人に馬の轡(くつわ)を交換するように言ったら、全部よこさず1つだけ残しているのでワケを聞くと
残った1つで戦勝を祈願しますとの返事。
気分をよくした秀吉が勝って帰る途中にも寄り、自分の陣羽織を与えたというエピソードがあったそうです。

この道を秀吉も通り、当然関ヶ原に向う家康も通ったことでしょう。
こういう道が「歴史の道」なんでしょうね。感激!
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峠の上のほうから眺めた宇津ノ谷です。何百年もこの風景のままなのでしょう。
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本来の東海道の山道の横に明治時代に造られたトンネルがあります。
珍しいのでこちらの方で峠越えしてみます。
200mくらいですが前にも後ろにも誰もいません。随分長く感じました。
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トンネルを出ると本来の東海道に合流します。箱根の山道が思い出されます。
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山を下り終えると岡部宿に入ってきます。トンネルを過ぎたあたりで雨も止んだようです。
これも前回と同じで、降り続く雨もいつかは止むもんです。

岡部宿に入るとすぐに「柏屋」という旅籠の様子を保存した資料館があります。
休憩に丁度いいのと、この先お土産さんがなさそうなのでここで購入。
お店のオバちゃんがお茶を入れてくれて一服です。

そうそうここで無駄話をしていたら、ここにも杏さんが現れたんですって!
東海道の各宿場をレポートしているのですね。
その時もそっけなかったとのこと。あとで注意しとかんといかんね。
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今日は最終日、先を急ぎましょう。かつての岡部宿っぽいところを通り国道1号に合流します。
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国道沿いには、ほんの一部ですが松並木も残されています。
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旧道と国道を交錯しながら藤枝の町へ入ってきました。単調な道だったので飽きてきます。
とても長い商店街ですが、地方都市の現状にかつての賑わいはありません。
夕方の4時で日も影ってきました。
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先を急いで島田宿あたりまで行きたいところですが、いつものカンで重々しい寺を発見。
ガイドブックで確かめてみると、日蓮上人が植えた「久遠の松」で有名な大慶寺でありました。
奥まったところにありますが、遠目にも風格が漂ってきます。
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川(後で調べたら瀬戸川)を渡ったところで久しぶりに常夜灯がありました。
昔だったらそろそろこれに灯が入れられる時間ですね。

とろろ汁だけでは腹が減ったので、隣の公園でコンビニのおにぎりとトイレ休憩。
新しい公園にしては珍しくトイレも新設してありました。旅人への配慮でしょうか。
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途中、藤枝駅と島田へ向う旧道の分岐である交差点「青木」の手前で「元町珈琲」という小奇麗な喫茶店を発見。
吸い込まれるように入店して、店の若い娘さんと無駄話。店を出る頃には辺りはもう真っ暗。
果たしてこの状態では島田宿に向う気持ちは失せ、ダイレクトに藤枝駅に向うことにしました。
そして17:42発熱海行きに乗り横浜へ帰ってきました。
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横浜の自宅へは3時間以上かかりましたが、各駅停車の電車ながら3日間歩いた距離を1時間で行く猛スピード。
完全に歩き旅の時間間隔に慣れているので、いつもなら長旅と感じる電車がアッという間でした。
しかも座っていれば目的地に着くのです。こんな楽チンなことありませんよね。

ということで本日の歩いた距離は24km 41000歩でした。
3日間トータルでは70km 117000歩となりました。

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2013/01/06 12:11 |東海道53次COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

鎌倉の大晦日と初詣

年末年始と2回も鎌倉を散歩してきました。
正月休みでいつも泳いでいるジムもなく、トレーニングを兼ねて毎日10km程度の目的のないぶらぶら旅です。
東海道を歩き出してからは、10kmくらいは徒歩圏という感覚です。

大晦日は自宅から鎌倉街道沿いを歩き、北鎌倉の手前でトンネルをくぐり裏道へ。
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途中から再度トンネルをくぐって、小高い丘に登ると「庚申塚」がありました。
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ぐるっと回り込むと、そこには古ぼけた神社がありました。
薄く書いてあるのを見ると「八雲神社」とあり、鎌倉時代からのものでしょうかね。
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神社の坂を下りて、さらに鎌倉方面に行くとお馴染み「円覚寺」があります。
北条時宗の菩提寺ですね。この辺はよく行くのでパス。
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さらに歩いて行くと、今度は「建長寺」です。鎌倉五山第一の名刹です。
この辺でトイレに行きたくなりました。
入館の受付の方に「この辺にトイレはありませんか?」
「中なんですよ」入館料を取られるのかなと思ったら、「どうぞ100mくらい先ですから」と
さすが建長寺、懐が深い!
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トイレを済ませて、ふと思いついたのが奥に進むとハイキングコースがあるはずだと。
「天園ハイキングコース」といって鎌倉アルプスを縦断するコースです。
そこに行くのにも入館料は必要なのですが、受付の方には申し訳なく思いながらそのまま奥へ進みます。
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建長寺の奥の院である「半層坊」まで来ました。
烏天狗たちがお出迎えです。
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汗をかいて登り切ると、鎌倉の森の向こうには相模湾が見えました。
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山道を歩いて行くとあちこちに「やぐら」という中世のお墓が点在しています。
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ほぼ登りきっているので険しい登りはありませんが、昨日の雨でところどころぬかるんでいます。
今日は箱根でも活躍したトレッキングシューズをはいているので大丈夫です。
確かに泥地を歩くより箱根のような石畳の方がいいですね。
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全面的に下りですが、下りの方が注意を要しますので筋肉疲労がたまりますね。
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1時間ほど山道を下って「覚園寺」のところに降りてきました。
鶴岡八幡宮の東側ですね。真っ直ぐ歩いて行くと「鎌倉宮」という表示がありました。
初めて訪れましたが、鶴岡八幡宮の賑わいとは異質の落ち着いた雰囲気です。
後醍醐天皇の皇子で、足利尊氏と対立し若くして非業の最期を遂げた護良(もりなが)親王を祀ってあるとのこと。
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さらに八幡宮方面に歩いて行くと、右手に「白旗神社」が見え、その奥に源頼朝の墓があるそうです。
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ここも初めてですが、これが頼朝のお墓です。わりと質素なのですね。
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ということで大晦日は鎌倉駅から電車で自宅に戻り、今度は昨日(3日)にあの雰囲気のよかった「鎌倉宮」へ初詣です。
今回行きは電車です。鎌倉駅を降りると初詣客でごった返しています。
鎌倉は正月3賀日は自動車の乗り入れ禁止で歩行者天国です。
駅前の喧騒を避け裏通りから「鎌倉宮」へと向かいます。
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「鎌倉宮」の鳥居を過ぎると、先ず右手にある前回の訪問で目をつけていた「厄割り石」を実行!
100円で素焼きの「かわらけ」を購入し、右手の石の上に立ち息を吹きかけ左の石にぶつけて叩き割るのです。
これはいい。厄落としとストレス発散になりますね。
私は命中して粉々に飛び散りましたが、後でやった女の人は外れて思わず笑ってしまいました。
周囲には破片が山のように積み重なっています。
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こんな感じで参拝を一列で並んで待ちますが、八幡宮と比べて百分の一いやいや千分の一の人出でしょうか。
入場規制もなく、待っていればすぐに順番が来ます。
並んでいる間、後ろの夫婦連れが「菊の御紋があるから天皇家の誰かを祀っているのかしら?」と話していたので、
「後醍醐天皇の子供で護ると良しと書く護良(もりなが)親王を祀ってあるのですよ。
 足利尊氏の弟:直義(ただよし)に幽閉されここで殺されたのです。
 そう、NHKの太平記では堤大二郎が演じていました。この裏に幽閉されていた土牢がありますよ。」
「そうなんですか。どうもありがとうございます。」と講釈を話しながら待ちました。
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柱に吊るされている「獅子頭」が、ここの魔よけのようです。
ミニチュアサイズを売っていたので、それと家族のお守りを購入しました。
なんとなく沖縄のシーサーと似てますよね。
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最後に裏手に回って、護良親王の最後とされる土牢を確認してみましょう。
訪れる人も少なく、そこはひっそりとしてました。親王の無念さが漂う雰囲気でした。
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ここはあまり観光地化されてなくていいですよね。
昼食のうどんも600円、饅頭も100円と普通料金で新年らしさを味わえます。
賑やかさを求めるのなら八幡宮でしょうが、土ぼこりと人混みにうんざりです。

その後、今度は朝比奈の峠を越えて横浜の環状4号を歩いて3時間かけ自宅に戻ってきました。
大晦日の行きは11kmくらいでしたから、帰りは13kmくらいでやや遠回りでしたね。

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2013/01/04 11:14 |散歩COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

謹賀新年

松江城

新年あけましておめでとうございます。
今年もこのブログをご覧になって、一緒に旅を楽しめたらと思います。

上の写真は昨年1月最初に訪れた「松江城」です。
ここを皮切りに1年間いろんなところに出没しましたが、いたるところで人情の機微に触れ旅の心を感じました。
果たして今年はどんな出会いがあることでしょうか。

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2013/01/02 09:29 |城めぐりCOMMENT(2)TRACKBACK(0)  

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