年も押し詰まりましたが、本年も当ブログをご覧くださりありがとうございました。
大河ドラマがパッとしなくて、メインは「城めぐり」と「53次」になりましたが、その分写真を沢山載せ見やすくなったような気もします。

さて、東海道53次の続きです。
いつものように朝8時には由比の旅館を後にし、本日の最大の楽しみである薩堆(さった)峠を目指します。
峠越えの難所と言われてますが、それよりも晴れて富士山が見えるかが心配です。
山と海のはざまである漁師町を歩いて行きます。
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由比の宿場を過ぎたあたりに「小池邸」という名主の家が残されています。
朝早いのでまだ開いてません。
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峠の入口といった江戸時代の面影を残す旧道であります。
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難所と言われてましたが、山城や箱根越えを経験しているこちらとしては20分くらいの山道でしたので、
「エッもう終わり?」という感想でした。
おー、駿河湾の向こうには富士が見えてます。やった快晴です!
午前中だと晴れる確率が高いと思い、由比に泊まった甲斐がありました。
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こちらは写真によく使われているベストアングル。
JR東海道線と国道1号と東名高速が交差し、バックには海と富士。絶景です。
今日みたいな晴れの日は大勢の観光客が展望台にたむろして撮影の場所取りになるのですが、本日は早朝のため私一人で独占でした。
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薩堆峠からの富士を満喫し、みかんの成っている遊歩道を興津方面に下って行きます。
ここらあたりで観光客にはポツリポツリとすれ違います。
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興津の町へ降りてきました。
蒲原や由比と比べると旧道の雰囲気が損なわれていますね。
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11時を過ぎ、少しお腹が減ってきたのですが食べ物のお店はないようです。
歩いていたら鯛焼き屋さんを発見。
店の中に入ると待合室のように席があって、オバちゃんが一人で焼いてました。
「鯛焼き1個ください。」「少し時間がかかりますよ。」「いいですよ、待ってますから。」
焼きあがるまで数分待ち、ホクホクの鯛焼きを店の中で食べます。
食べながらオバちゃんと無駄話を「横浜から歩いて東海道を旅してる。」とか「蒲原でのテレビロケ」の話。
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食べ終わり出て行こうとしたら、オバちゃんが「コレ持っていきなさい」と追加の鯛焼きを3個。
1個買ってオマケに3個もいただくとは!静岡の方は旅人に優しいと感激しました。
「オバちゃん、ブログで宣伝しとくね。」と言ってお店を後にしました。
興津の鯛焼き「伏見屋」さん、店構えも年代モノで見ごたえあります。
甘さ控えめでお尻まで餡が入っておいしかった。そして美味しさ以上に人情が厚かったね。
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昼食は適当なお店がなかったので、興津の本陣跡でもらった3個の鯛焼きをいただきました。
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興津宿を通り過ぎると興津清見寺という町名になります。
歩く右手を見ると清見寺(せいけんじ)という、いかにも名刹といったお寺がありました。
これはタダモノではないという旅人のカンが働き、山門を登ります。
山門の向こう側には東海道線が走り、それを渡ってから本堂へ。
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梵鐘が立派だったのでパチリ。後で調べたら1300年代のものとのこと。
臨済宗の歴史あるお寺でした。
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再び旧道に戻って歩き始めると、やはり静岡。
いたるところでみかんを売ってます。しかも横浜の半値くらいです。これなんか100円です。
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徐々に江尻宿が近くなっています。江尻と言えば今の清水。
清水の次郎長なんかが有名になって江尻という名は聞かれなくなりましたが、53次を旅する者には「江尻」の方が通りやすい。
静岡も「府中」と呼ぶ方が雰囲気が伝わってきますね。

こちらは松原のなごりですが、ただ1本の松が残っているだけです。
「無縁さんの碑」がありますが、この辺りを掘り返したらおびただしい人骨が出てきたそうです。
多分、東海道を旅して行き倒れになった人たちを供養したものでしょう。
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江尻も古い蔵のある町屋が残されていますね。
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こちらは江尻宿の中心街、今では「清水銀座」と呼ばれてますが寂れた感じは否めませんね。
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上の写真の先の信号を左折し、稚児橋(ちごばし)を渡ると府中への道となります。
徳川家康の命令でこの橋を作り、渡り初めの日に河童姿の稚児が現れ府中方面に消えたことから名づけられたそうです。
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旧道をしばらく行くと久能山への分かれ道(追分)にある有名店「追分羊羹」です。
今日も観光バスが停まって、大勢の観光客が購入して出てきました。
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府中宿はもう間近です。ユニークな「草薙一里塚」の道標です。
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夕暮れが迫る17時半頃にやっとこさ府中(静岡)の中心街に入ってきました。
今宵の宿は街中にあるビジネスホテルです。
食事らしい食事をしてないので、なんとなく肉が食べたくなりました。
前回の沼津でもそうでしたから、やっぱりスタミナのつく肉系が欲しくなるのでしょうね。
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本日の歩いた距離は26km 43000歩でした。
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「東海道53次の旅」第2弾!今回の旅の始まりは富士川の手前吉原からです。
JR吉原駅に降り立ちました。前回は雨にたたられ富士がみえませんでしたが、今日は晴れ。
しかしながら富士の頭が雲で隠れてますね。さて今後の姿はどうなるのでしょうか。
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先ず通りがかるのが「左富士神社」。
通常江戸から京都に行く場合、富士は右側にみえるのですが、ここは北上する道なので左に見えるというわけです。
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しばらくすると「平家越」の碑があります。
先日の「平清盛」でもあった「富士川の合戦」の舞台ですね。
水鳥のざわめきに源氏の来襲と勘違いした平家軍があわてて逃げ出した場所です。
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ここが吉原の中心街、今では近代的な商店街ですがかつての宿場町であります。
江戸初期にはもっと海側にありましたが、地震の津波で被害を受け内陸へ移動したそうです。
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宿場を過ぎ、街道を行くとこんなユニークな仏像?もあります。
きっと江戸の時代からあるものなんでしょう。
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さていよいよ富士川を渡ります。東海道では大井川、天竜川に並ぶ大河といえます。
こんな長い橋を徒歩で渡った経験は過去にありませんね。
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富士川越しに見る富士山。欲を言えばたなびく雲が晴れてくれませんかねえ。
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間の宿:岩淵にある一里塚です。この辺は吉原と次ぎの蒲原の中間点でお休み所であったのでしょう。
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同じく岩淵の常夜灯。なんともゴツゴツした作りで素朴な感じです。
あとで気付いたのですが、全部「秋葉山」と彫ってありますね。
火を祀る神社の総本山のようです。
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山道を越え、東名高速を横切ると静岡市に入ります。
東名高速とその先に見える富士。なかなかのアングルですね。
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山を下って海の近くに来ると蒲原宿はもう間近です。
手前に「光蓮寺」というお寺があり、その駐車場に大きな安藤広重の「夜の雪」という蒲原を描いた絵がありました。
有名な絵ですが、温暖な蒲原にこんな大雪が降るはずはなく広重が想像で書いたのではないかと言われてます。
新潟にも蒲原というところがあるそうですから、広重はそこと間違えた。
流行作家がよくやるアレですかな。つまり広重は53次を全部は歩かなかったのかも。
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こちらが「光蓮寺」。なかなかシブいお寺です。
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蒲原の宿場に入っていくと異様な集団が・・・。
地元の人も大勢出てきているので、聞いてみたらテレビの取材で女優さんもいるとのこと。
「誰ですか?」と聞くと「アンさん」とのこと。
「アンて?」「杏さんよ」「ああ、大河で北条政子をやってる杏さんね。」
さっそくパチリとやるとスタッフが「写真はダメです。消してください」と。
地元の人も「写真は禁止ですって」と同情した様子です。

学者風の人と杏さんが並んでしゃべっていて、中央のマスクの男性の後ろに隠れてます。
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蒲原は古い時代の住宅が多く残っていて、タイムスリップした雰囲気です。
これは旅籠の建物をお店にしてあります。
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こちらは「旧五十嵐歯科医院」といって大正期のモダンな住宅が2階の医院とともに保存されてます。
この医院には明治の元勲:土佐の田中光顕も通院しており、貴賓用の待合室もありました。
外観は洋風ですが、中は純和風の畳の部屋ばかりです。治療室だけは洋間でした。
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古い時代を堪能して、あちこち訪問していましたが、またロケ隊と遭遇。
こちらは醤油の醸造元であった「志田家」という旧家ですが、杏さんのロケで支障があるようです。
私が憮然としていると「どちらから来られましたか?」と高齢の紳士が話しかけてきました。
「横浜から歩いて東海道を旅してます。」
「そうですか、私が案内してあげましょう。」と、どうやらこの家の当主のようです。

親切にも有料なのにタダで、しかも公開されてない奥の方まで見せてもらえました。
ホントその後の旅でもそうでしたが、温暖な気候の静岡の方々はゆとりがあり旅人に優しいですね。
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そんなこんなで蒲原を後にし、次の宿場:由比に1時間かけて歩いてきました。
するとまたまたロケ隊に遭遇。やつら車で移動して来たのですね。
私がまた写真を撮っていると「写真はダメです。消してください。」と
あーあまたかいな。「さっき蒲原でも会ったでしょ!私はタダの旅人。自由に写真を撮ってるだけだよ!」
そう言ったら、注意しなくなりました。

こちらは江戸時代の初期、幕府転覆を計画した由比正雪の生家です。
「正雪紺屋」というお店になっており、右横に杏さんがいたので急いで撮ったらピンボケになってました。
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こちらは由比の本陣跡です。
中は「安藤広重美術館」となっていますが、午後4時を過ぎ閉館となっていました。
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さて夕暮れになり、今宵の宿は由比宿の近く豊積神社の奥にある西山旅館にとりました。
由比の名物は桜海老。もちろん桜海老が目当てでこの宿を予約したのであります。
夕食は桜海老のかき揚げがメインに桜海老の佃煮、ゆでたもの、生と桜海老三昧です。
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部屋は一人部屋のこじんまりとしたものでしたが、久しぶりの和室に布団で9時には爆睡でありました。
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本日の歩いた距離20km 33000歩でした。
やっと「平清盛」が終わりました。
昨年まで3年間は12月に「坂の上の雲」がありましたので、久々の12月末まで放映された大河でした。
でも視聴者は「早く終わってくれ!」という気持ちが強かったのではないでしょうか。

一体何がそんなに面白く無かったのでしょうか?
主役の清盛以外の脇役が全く機能していませんでした。
今までにヒットした大河においては、必ず魅力的な脇役が随所に散りばめられていました。
今回は思い出しても阿部サダオさんが演じていた信西入道と三上博史さんが演じていた鳥羽帝くらいでしょうか。

これはひとえに脚本の貧しさからくるものでしょう。
主役の活躍を縦糸に主役以外の人物が織り成す人間模様を横糸としてからんで行かせるのが大河ドラマの王道です。
それらの幾重にもなる人間関係を脚本家がうまく操れなくなった作品が最近は続いてます。

具体的に過去の作品でいえば、
「太平記」の ましらの石(柳葉敏郎)
「翔ぶが如く」の大山綱良(蟹江敬三)
「武田信玄」の八重(小川真由美)
「独眼竜政宗」の最上義光(原田芳雄)
「黄金の日日」の石川五右衛門(根津甚八)
などなど、こういったアクの強い人物を泳がせ主役とからんでくる状況をうまく描けないのです。
ホント困ったもんですねえ。

「ましらの石」なんか物語の途中でどうなったのか分からなくなりましたが、それでもいいのです。
広げ過ぎた人間模様を脚本家やスタッフが悩みながら物語を展開し収束させる。
それが大河ドラマの醍醐味なのであります。

どうですかNHKさん、たまには私のような市井のイチャモンオヤジを呼んで「大河の今後」を話し合ってはいかがでしょうか?
NHK内部でも第1作から生でつぶさに見ている人は、そんなにはおらんのではないかな。
泉岳寺
昨日は12月14日で「赤穂浪士の討ち入り」の日でした。
この泉岳寺ではきっと「義士祭」が行われていたことでしょう。

今年はテレビ番組もないようですが、過去に大河で忠臣蔵が行われたのは4回。(右側は大石役の俳優さん)
64年「赤穂浪士」 長谷川一夫
75年「元禄太平記」江守徹
82年「峠の群像」 緒形拳
99年「元禄繚乱」 中村勘九郎(当時の名前)
(95年「八代将軍吉宗」でも「峠の群像」の映像が使われたことがあります。)

皆さんはどの大石役が印象に残っているでしょうか?
私のように最初から大河を観ているものにとっては、長谷川一夫さんの内蔵助はインパクトが強いです。
「おのおの方・・・」という太い声の貫禄には、緒形拳さんでも敵わない気がします。

さて問題です。この内蔵助役の俳優さんの中で嫡男の「大石主税」も演じたことがあるのは?

答えは中村勘九郎さん(先日亡くなった中村勘三郎)です。
「元禄太平記」で主税(ちから)役でした。
「元禄繚乱」では実の息子の中村七之助さんが主税役でしたから、将来七之助さんが内蔵助をやれれば面白い記録になることでしょう。

中村勘九郎さんと言えば、88年「武田信玄」の今川義元役が印象的でした。
信長のことを「尾張の守護のその下の、そのまた下のずっとずっと下・・・」と
名門である自分とは全然格下の家柄であると見下したセリフが歌舞伎の口上のようで面白かった。

歌舞伎界の人はセリフの言い回しが独特ですから、貴族や名門の武門役にはピッタリです。
市川亀治郎さん(現在の猿之助)もそうですし、勘九郎さんの芝居を思い出しても
口の中に唾が溜まっているんじゃないかと思わせる、粘っこい感じのしゃべり方が特徴的でした。

歌舞伎界の方には時代劇にうってつけの役者さんが多いですが、今回の勘三郎さんの訃報を聞いてとても残念に思います。
ご冥福をお祈りします。
2012.12.09 沼津~原
「東海道53次の旅」3日目です。今日は雨ですね。
何日も旅をするわけですから当然雨具の用意はしてますが、箱根山中で雨に逢わなくてよかった。
あの石畳を雨中に旅していたら、何度転んでいたことでしょう。
それこそ「男転坂(おとこころしざか)」でした。

ということで雨合羽に身をくるみ沼津のホテルを朝8時に出立です。
ホテルの壁に古城の石垣が使われているようです。
武田氏が築いた「三枚橋城」のものでした。
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沼津市内には宿場の面影はなく、真っ直ぐに続く旧東海道に入るとすぐ左手に立派なお寺が見えました。
あとでガイドブックをみたら、「乗運寺」という名刹だったみたいです。
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門も立派でしたが、中の庭も手入れが行き届いていました。
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旧街道はこんな単調な道をトボトボと、しかも雨の中を歩いて行きます。
富士も見えないし、あまり面白いものではありませんね。
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こういう旧道を歩いていて、困るのはトイレと食事ですね。
新しい道だとコンビニなどもわりとあるのですが、旧道にはほとんどありません。
今回も困って1回だけ動物病院のトイレをお借りしました。
お寺や神社は、それこそ頻繁に通るので休憩場所や雨宿りには不自由しませんね。
ホント街道沿いには寺社が多いです。
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沼津を出てから3時間。原宿の手前でミニストップを見つけ、コーヒーでホッと一時。
今日は3日目で足取りも重いです。
ここでトラブルが・・・多分思考力も低下していたのでしょう。
何を勘違いしたか、ミニストップを出てから反対の沼津方面に歩き出したのです。
「この辺は同じ名前の地名や病院が多いなあ。」と感じながら、どうも変だなと気付いたのが1kmして。
往復で2kmくらい損しました。何の変哲もないこんな道が原宿です。
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昼過ぎにやっと見つけた富士宮やきそば「ゆきちゃん」という店で食事にありつけました。
この店の夫婦は丁度「笑っていいとも」をテレビでみていましたが、タモリと顔見知りのようでした。
店内にはタモリと写した写真が数多く飾ってありました。
その後も食べるところは、ここ以外ありませんでしたね。そして午後1時過ぎには富士市へ。
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午後の2時頃になると雨も上がりましたが、曇りで富士山は見えません。
東田子の浦を過ぎ、大きな「毘沙門天」と書いてある巨大寺院の境内で休みをとります。
すると人なつっこい子猫がこちらを見つめています。
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このお寺、大そう立派な造りでした。
でも子猫と寺の右手にあるお守り売り場の女性が追いかけっこしている のどかな雰囲気でした。
私も家族や知り合いへのお土産は、ここのお守りしようと思いつき購入しました。
後で調べたら、正式には「妙法寺」というそうですが、通称「毘沙門さま」といってダルマ市には何十万人も来る名刹とのこと。
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本来は富士駅あたりまで行く予定でしたが、せっかくの富士山も見えないし足取りも重いので
先ほどのお寺から1km先にあった吉原駅で今回の旅は終了して横浜に帰ることにしました。
次回はこのホームから富士山がくっきり見える「吉原」からスタートすることにしました。
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横浜の自宅へは各駅停車を乗り継ぎ約2時間でした。(なんと3日の徒歩がわずか2時間とは・・・)
3日目は午後の3時まででしたが、21km 35000歩でありました。

今回3日間トータルで歩いた距離68km 113000歩と相成りました。
最初の5kmくらいと最後の1kmくらいは同じくらいの距離感を感じましたので、
今後の旅は1日20kmを目安に計画を立てたいと思います。
「箱根越え」の二日目です。今日は箱根西坂を下って行きます。
後で超えることになる箱根峠を境にして、小田原までを「箱根東坂」三島までを「箱根西坂」と呼ぶそうです。
さてこちらは昨日泊まったペンション。中央の2階の窓が私の泊まった部屋でした。
独占入浴できる温泉があって、露天風呂でゆっくりできました。朝食付きで6900円。
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朝食が朝8時からだったのですが、早く立ちたいとお願いして7時半にしてもらい8時には出発です。
箱根駅伝のゴール前で見かける箱根神社の大鳥居を8時半には通過。箱根峠へ向かいます。
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箱根の関所は9時前ですが、すでによい子の皆さんが見学中でありました。
そうだ急いで出てきたので、朝のトイレを省略してました。関所でトイレ休憩。
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関所を過ぎると本格的な旧街道に入って行きます。道はもちろん朝露でツルツル滑る石畳です。
かなり登り、芦ノ湖が眼下に見えてきました。右下の建物は駒形神社です。
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向坂という急坂を一気に登るとそこはもう箱根峠でした。
峠のドライブインで休憩し、これからは「箱根西坂」となります。
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石畳とこんな竹に囲まれたトンネルを通りながら坂を下って行きます。
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途中「兜石」という大きな岩が右手にありました。
兜の形に似ているからとか豊臣秀吉が北条征伐に来た時に兜を置いたからとかの謂れが書いてありました。
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この辺の石畳でついにステンと転んで「イテテ・・・」という状態に。
後でホテルの風呂に入ったら右膝に赤アザができていました。
今回の旅で一番の危機でしたね。
もし打ち所が悪くて倒れても誰も通っていないもんね。ホント西坂では誰にも会いませんでした。
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ずーっと進んで行くと、突然民家の庭先に出てきました。
そーっと静かに通り過ぎます。
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芦ノ湖を出発してから3時間、11時になりました100名城の1つ「山中城」に到着です。
建物は何1つ残っていませんが、空掘りが整備されてあります。
豊臣方の猛攻に半日で落城したそうですが、広大な敷地の城跡です。
じっくり見学したら何時間もかかりそうなので、40分くらいで切り上げ駐車場横の食堂でお昼をすませ復帰です。
こうやって旧東海道を旅していると、店で食べるのは「もち」「だんご」「うどん」「そば」のどれかですね。
今回は「天玉うどん」でした。
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再びこんな石畳の道を歩いて行きます。
ここで感じたのは、神奈川県側より静岡県側の方が道が整備されていて案内も多いような気がしました。
担当行政の東海道に対する熱意の差なんでしょうかね。
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こんな風に旧道は国道を横切りながら続いて行きます。
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そして箱根西坂の最後の難所「こわめし坂」です。
今回の私は下りでしたが、急坂がいつまでもいつまでも続きます。
上りの旅人はさぞや息が切れたことでしょう。
登っているうちに背中の米が汗と熱気で「こわめし」(おこわ?)になったということから名付けられたそうです。
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坂を下り終えたところに「六地蔵」という表示がありました。
しかしお地蔵さんは、それの倍くらいの数ですね。
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三島の市街地に入ってきて、交通量の多い道を歩きます。
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今日は曇りでずーっと富士山が見えませんでしたが、やっとうっすらと垣間見ることができました。
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午後の3時半、三島大社に到着です。
境内の茶店で「福太郎」という漉し餡でくるんだ草餅を2個お茶つきでいただきました。
なんと200円!疲れた体に一服という感じです。
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三島大社で休んでいると4時になり夕暮れも迫ってきました。
さて、今日の目的地:沼津へはまだ6kmの道のりが残っています。
「電車で行こうかな~」という弱気の虫が・・・それを振り払い、行けるとこまで行こう!と再出発。

これは途中にあった「常夜灯」、ロウソクを灯して旅人の歩く目印にしたものです。
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こちらは宝池寺というところにあった「一里塚」。
反対側にもあったのはショボかったので写真に撮らなかったら、後で調べたらあちらはホンモノでこちらは復元とのこと。
そういうもんでしょうかね。
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まだ5時前ですが、あたりは真っ暗。これは確認しようと思っていた八幡神社の「対面石」です。
奥州平泉から駆けつけた義経が、ここで兄の頼朝と対面し、お互いが座った石との謂れです。
左側が頼朝で右側の石が義経の座った方だったのでしょうね。
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そんなこんなでなんとか午後の6時に沼津駅付近に到着したのでありました。
暗いし疲れて腹も減ってきたので、とにかく肉食系のレストランを見つけたらすぐに入ろうと思ってました。
すると今日泊まるホテルの手前でハンバーグの店をみっけ!
ライスにスープとサラダもコーヒーもついて1500円。デミグラスソースのおいしい満足の一品でした。

二日目に歩いた距離26km、なんと43000歩にもなりました。
ホテルにチェックインし午後8時半には就寝。