岡山から1時間ばかりローカル線を乗り継いで「津山」という中国山脈の盆地へやって参りました。
津山駅

城下町に入る「今津屋橋」を渡りますが、何やら怪しげな雲行きです。
今にも大粒の雨が降ってきそうですね。先を急ぎます。
今津屋橋より

城への大手通りはノスタルジックな雰囲気で、いかにも老舗という店ばかりです。
大手通り

駅から15分ほど歩くと城の正面が見えてきます。
あまり有名でない「森忠政」という武将の銅像があります。
この方が津山城を最初に築いた方で、「本能寺の変」で信長とともに横死した「森蘭丸」の末弟だそうです。
一応、清和源氏の流れを汲む末裔で関ヶ原の後に美作一国を賜り、18万石で入封したとのこと。

森氏は4代で改易となり、その後は徳川家康の次男:秀康の子孫が松平姓で幕末まで続きました。
やはり親藩だから、この地においてはやや大きすぎると思える城が維持できたのですね。
森忠政像

ということで「いざ登城!」と思ったら、滝のような雨が降り出しました。
入口のすぐ上にあった「鶴山館」という藩校の跡で、しばし雨宿りです。
みるみるうちに周りは池のような水溜りになりました。
夜ニュースを見たら「津山地方の集中豪雨」と流れたくらいの凄まじい雨でした。
30分ほどしたら小降りになってやや明るくなったので、次の予定もあり急いで再出発です。

二の丸を歩いていたら、2004年に復元された「備中櫓」が見えてきました。
備中櫓

そしていよいよ本丸への石段を登ります。
この城の規模を感じさせる大きくて格調の高い石段ではないでしょうか。
本丸への石段

小高い丘の頂上にある本丸跡です。右手の櫓群跡が見事です。
本丸

城の南側が入口で、ここは北側の最も高い位置にある「粟積櫓」があったところです。
なんとも見晴らしがいいですね。薄日も差してきました。
山間の盆地であることが、よく分かります。
粟積櫓跡から

本丸の西側にある天守台です。ここに幕末まで4層5階の大天守があったそうです。
天守台

天守台の内部です。大きくて内部の構造が分かります。
こういう建築方式で天守は建てられるのですね。
江戸城や安土城の天守台はさらにデカかったのが理解できました。
天守台内部

その天守台のすぐ南隣にあるのが、先ほど紹介したこの城のシンボル「備中櫓」です。
本丸からの備中櫓

内部は2階建てで、櫓にしては珍しく畳が敷いてあります。これはくつろげます。
2階の奥にある「御上段」という貴賓席ですかね。
備中櫓二階御上段

集中豪雨のせいでロスタイムがありました。
もうちょっと見ていたいのですが、津山駅に急ぎます。
16:40発の列車に乗らないと次は何時間待ちになるか分かりません。
列車が通常に動いていればいいのですが・・・中国路の旅つづく。
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最近、火坂雅志さんの「墨染の鎧」という本を読みました。
上下2冊で文庫本の方です。
主人公は戦国末期に毛利家の外交僧として活躍し、僧侶でありながら秀吉に気に入られ戦国大名となり、
最後は関ヶ原の合戦に毛利輝元を西軍の大将に担ぎ出し石田三成らと敗軍の将となった安国寺恵瓊の物語です。

いかにも怪しげで謎の多い人物ですが、火坂さんがやっと小説の主人公にしてくれました。
火坂さんは直江兼続や黒田如水とか参謀・軍師的な人を描くのが得意ですね。
内容は小説を読んでもらうとして、以前より安国寺恵瓊が天正元年(1573年)に書いた以下の手紙のことが気になっていました。
(天正元年は信長が浅井を滅ぼして、秀吉が長浜城主になった頃です。)

「信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候」
織田信長の転落と羽柴秀吉の躍進を予想し、それが的中したことで恵瓊の時代を見る目が正しかったと言われています。

ところで「さりとてはの者」とは本当にその人物を評価していたのでしょうか?
意味を調べてみると、
さり‐とて【▽然りとて】そうだからといって。そうかといって。「悪くはない。―感心するほどの出来映えでもない」
という意味であります。

僭越ながら私の解釈としては、
「信長の時代はそう長くは続かんでしょうが、家臣の秀吉はまあまあいいやつだから付き合っておけば毛利家に損になることはないよ」
という織田家を軽んずるコメントのような気がします。

そうですね大河での安国寺恵瓊は
65年「太閤記」の桑山正一さん
78年「黄金の日日」の神山繁さん
2000年「葵徳川三代」の財津一朗さん
を覚えています。
神山さんは押し出しがよく、財津さんはお調子者という感じでした。
中でも一番うさんくさかったのが「太閤記」の桑山さんですが、そんな話をしても相槌を打ってくださる人はおらんかもね。


旅に出ますので、ブログの更新が滞ります。悪しからず!
10:42発の電車で松本を立ち、12:44に甲府に到着。
降っていた雨も運良く上がり、甲府駅の南口の「信玄公」がお出迎えしてくれました。
目指すは駅のすぐ近くにある甲府城であります。
武田信玄像

信玄の「躑躅ケ崎館」は有名ですが、こちらは徳川時代の城。
今は「舞鶴城公園」となっています。
ここも明治維新では幕府方なので中央線が城の真ん中を通過する形になっています。

維新の際土佐出身の官軍参謀:乾退助が甲斐を攻めるに当たり、武田信玄の重臣であった板垣信方の末裔ということで
板垣退助と名を変えて鎮圧したという話があります。
甲府城入口

甲府城の目玉である2003年に復元された「稲荷櫓」です。
稲荷櫓

小高い丘の上に築かれた天守台ではありますが、天守の存在は確認されてないそうです。
天守台

天守台からの城下町です。雲がなければ盆地であることや遠くの富士が見えたことでしょう。
天守台よりの町並

天守台を降りてきたところにある「内松陰門」です。
最近になって甲府城の復元が進んでいるようですね。
内松陰門

こちらは中央線を渡り、駅の北側にある2007年復元の「山手御門」です。
線路の向こう側に先ほどの「稲荷櫓」が見えます。
本当に城の中央を線路がぶった切っていたのですね。勝った側のやることは荒っぽいです。
山手御門

「山手御門」の係りの方と話していたら、「武田神社に行かれるのなら駅前でレンタサイクルを借りなさい。」とのアドバイス。
行政がやっているということで、わずか200円で電動自転車が借りられます。
甲府駅から武田神社へはバスもあるが、ゆるやかな上り坂。自由に動けて非常に助かりました。
電動自転車

ここがあの有名な武田信玄の「躑躅ケ崎館」(現在は武田神社)ですか。わりとこじんまりとしていますね。
武田神社正面

土塁で囲まれた堀が中世の城をイメージできます。
館の堀

中を進んで行くと、休日で何組か結婚式を挙げています。
「茅の輪くぐり」と言って、厄払いの神事を行っていました。
茅の輪くぐり

神社の裏手を歩いていたら、空掘り越しに館の入口がありました。
両脇が櫓のようになっています。
木がうっそうと繁り、暗くてジメジメしています。
こんなところに館を建てて生活をしていた武田信玄(あるいは親父の信虎)は陰謀好きの陰湿な性格だったような気がします。
少なくとも明るく朗らかな人ではなかったかも。
例えば安土山では信長の性格が、ここでは信玄の性格が、現地に行くことによって垣間見えたような気もします。
館の裏手

甲府の最後に電動自転車ならではのフットワークが使えました。
武田神社からはかなり離れたところにある「信玄公の墓」をお参りすることができました。
徒歩ではとても行く気にはなれませんが、電動だとチョイです。
訪れる人もなく、ひっそりとそれはありました。あの信玄公にしてはお寂しいことです。
信玄の墓

16時を過ぎ、全てのスケジュールが終わり横浜へ戻ります。
各駅で帰るか、八王子まで特急を使うかと迷っていたら・・・
な、なんと休日は横浜直行の16:41発「はまかいじ号」がありました。
これなら乗り換える必要もなく横浜へ一直線。2時間しかも空いていて楽チンでした。
はまかいじ号

帰って調べてみたら、「はまかいじ」とは「浜甲斐路」という意味なんですね。
特急「かいじ」に横浜の「はま」をつけ加えたネーミングだそうです。
これにて甲信の旅はオシマイ。
本日は現存12天守のうち唯一残っていた国宝:松本城への登城です。
胸が高鳴る中、朝8時にホテルを出立!生憎の雨ですが、梅雨時ですから仕方なか。

松本城を訪れる前にお城の北側にある「開智学校」を散策。
ここは現存する最古の小学校跡だそうです。
開智学校

朝早くて、まだ開いてなかったので外観だけ撮影。中央の塔が工事中ですね。
開智学校横

さて開門時間が過ぎたので、松本城へ。赤い朱塗りの橋越しに見えてきました!
「雨に煙る松本城」という風情です。
天守左

お堀の周りをグルッと半周して入口に向います。
天守正面

上の正面の写真よりこちらからのアングルがベストショットのような気がします。
どの写真を見ても城の中よりも堀の外からが多いですから、「堀越し」がウリなんでしょうね。
天守右

平成11年復元の「太鼓門」です。ここで料金600円を支払います。
太鼓門

こちらは昭和の復元「黒門」であります。
「笹竜胆」の家紋が目に付きますが、最初の城主:石川氏のものです。
石川氏といえば、秀吉に籠絡され徳川を出奔した石川数正が思い出されます。

そうですね。大河「徳川家康」での江原真二郎さんが印象的でしたね。
それと江原さんは「草燃える」での梶原景時役。数少ない出演ですが、よく覚えてます。
蛇足ですが頼朝における梶原景時と秀吉における黒田如水は立ち位置が似てるような印象です。
黒門

門をくぐるとすぐに本丸に入り、天守の全景が眼前に見えてきます。
割とあっけない造りという気もします。
天守を中央に右が小天守、左が付け櫓と手前の月見櫓の構成ですね。
天守全景

天守最上階からの眺めです。
最初に見た赤い橋があります。晴れていたら遠くの日本アルプスが見えたのに残念。
天守からの眺め

こちらは、月見櫓から本丸御殿跡を望みます。
こういう出丸のような低い位置から外を見られる天守は珍しいですね。
この月見櫓で酒宴を開けば、優雅な雰囲気に浸れることでありましょう。
本丸御殿跡

国宝:松本城、お堀からの天守は見事なものでした。
ただ、城郭としては「たったこれだけ!」という印象でした。
隅櫓もないし、高石垣もなく、国宝でない松江城や松山城の方が城全体としては見応えがありました。

しかし、城下町の松本はよかったです。
江戸時代から続く町としての伝統を色濃く残していて、つい最近都市化した町にはない落ち着きを感じました。
この町に根ざして、この町に愛着を持っているという地元の方の気持ちが会話に強く伝わってきましたね。

甲信の旅、まだ続く。