2012
06.30

甲信の旅:小諸城

Category: 城めぐり
次は上田から「しなの鉄道」で約15分の小諸へやってきました。
目指す小諸城は駅のすぐ横、つまり城の入口付近を鉄道がぶった切っている状態です。
こんなやり方をするのは、明治維新で幕府方についた藩に相違ありません。
と思って調べたら、幕末の藩主はやはり譜代の牧野氏でありました。

「懐古園」という看板がかかっている重文の「三の門」が入口です。
この名称も旧幕時代を払拭するために名づけられたものでしょうね。
この城は全国でも珍しい「穴城」と言って、城が城下よりも低い位置にあります。
「三の門」の向こうが低くなっているでしょう。
この入口以外は断崖絶壁に囲まれ、天然の要害になっています。
三の門

城への平坦な入口は、この1箇所しかありません。
大手道

上の写真の右手にあった「二の丸跡」です。
二の丸跡

真っ直ぐ奥に行くと、「南丸跡」があります。
南丸跡

本丸跡は「懐古神社」の境内となっています。
その横には「鏡石」というものが、「風林火山」の山本勘助愛用の石とのことです。
鏡石

本丸は神社と民宿みたいな建物で占有されており、城としての保存は当初考えていなかったみたいです。
そういえば、ここも動物園や遊園地が併設されていました。
民宿のような建物に隣接する形で「天守台」があります。
天守台

「天守台」に登り、奥の方を望みます。
天守台より

上の写真の奥に進むと断崖絶壁が現れ、橋がかけられていたのでそれを渡り更に進みます。
すると忽然と「黄金の寅さん」が現れました。
ビックリしたーーー。「こもろ寅さん会館」だそうです。
そうそう第40作「寅次郎サラダ記念日」がここが舞台でした。三田佳子がマドンナのやつね。
松竹か山田監督かに近しいファンの方が設立されたものですって。
寅さん

先ほどの「三の門」の入口に戻って、「しなの鉄道」の下のトンネルをくぐり駅の反対側に出てきました。
こちら側が駅の正面なのですが、そこになんと小諸城の「大手門」が唐突にありました。
民家として使われていたものをつい最近の平成20年に復元したとのこと。
いかに城としては粗末に扱われていたかが分かりますね。
大手門

さて、本日の宿は松本にとったので篠ノ井で乗り換えての約2時間の列車の旅です。
すると途中で通過列車を待ち合わせするためにスイッチバックして停車しました。
「姨捨(おばすて)駅」というところです。「善光寺平」のパノラマが眼前に広がっています。
撮り損ねましたが、右手には棚田もありました。何となく得した気分になりましたね。
善光寺平

17:20に松本に到着。
まだ明るいので、街中をブラブラしていたらツタに絡まれた不思議なブティックを発見!
ブティック

どうしても気になるので、勇気を出して店の中に入ってみました。
高級紳士服のお店でした。同年代のマダムが気さくに対応してくれました。
オーナーはここらで何種類かの洋品店を展開しているようです。
店の周りにはオーナーの趣味である大甕が沢山ころがっていました。

マダムと話していたら、私の住んでいる横浜のすぐ近くに住んでいたことが分かり、大いに盛り上がりました。
長話をしていたら、夕暮れが迫ってきたのでホテルへチェックインです。
暗くなったので、城攻めは明日としましょう。

明日はいよいよ現存12天守の最後の1つ「松本城」であります。

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2012
06.28

大河ドラマ検定

Category: 未分類
NHKのこういうページを見つけて、トライしてみました。

大河ドラマ検定

結果は44/50問の正解でした。皆様も試してみてください。

(間違えた問題)
①「龍馬伝」のシーズンタイトルの最後は?
②「風林火山」の山本勘助の眼帯数は?
③本能寺の変でサーベルと鉄砲で戦った信長は誰?
④「武蔵」の巌流島で使われた撮影手法の元ネタ映画は?
⑤「義経」での壇ノ浦合戦シーンを彩ったモノは?
⑥最も多く脚本を手がけた脚本家は?

なかなか細部を問われる手厳しい問題でした。


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2012
06.24

甲信の旅:上田城

Category: 城めぐり
梅雨の間隙をついて、信州・上田にやってきました。
駅前で迎えてくれるのは真田幸村の騎馬像であります。目指すは上田城!
真田幸村像

上田城に向う途中のジグザクとした道に堀が残っています。
三の丸にあった藩主の屋敷跡だそうです。
石垣ではなく土塁になっていますね。
真田屋敷

重厚な造りの表門を見ると、なんと名門:上田高校の敷地となっています。
大学時代の同級生にここの出身の人がいたので、早速写メしてあげました。
その後、本人から「久しぶり、よく覚えていたね」という返事がありましたよ。
上田高校

さて見えてきました。復元された上田城の「本丸東虎口櫓門」です。
左側の南隅櫓と(写真には載っていない)北隅櫓を結ぶ形になっています。
土塁がメインですが、この辺りだけは石垣中心ですね。
本丸櫓門

櫓門の正面右手の石垣にある横約3mの大石。
真田昌幸が築城の折り柱石として据えたものと伝えられ「真田石」と呼ばれています。
真田信之が松代へ転封に当たって父の形見に持ち運ぼうとしたが、大勢の人の力をもってしてもびくとも動かなかったと伝えられているそうです。
真田石

本丸を真っ直ぐに進んで行くと、真田神社の敷地となります。
その左手に真っ赤に塗られた六文銭の大兜がありました。
真田神社

真田神社を過ぎ、さらに奥(西側)へ進んで行くと西隅櫓がありました。
復元された櫓門の内部を見た際に係りの方に確認したところ、西隅櫓は現存のものとのこと。
西櫓

城の北側の方を回って行くと、水堀が見えてきました。
城の南側(JRが走っている方向)は断崖絶壁なので、守りは固そうです。
守りの弱い西・北・東にのみ堀を配したようです。
初心者ながら50近くも城郭を見ていると、なんとなく縄張りの思惑が見えてきます。
内堀

本丸は水堀で囲まれていますが、二の丸は空掘で囲んでいます。
今では橋の下は散歩コースとなっています。
外堀

城の全体を回って正面に戻ってきました。
2度にわたって撃退した徳川軍は、多分こちら側(城の東側)から攻めてきたのでしょう。
あの空掘を越えられずに退散した徳川秀忠はこの辺りから上田城を眺めていたのかもしれませんね。
中村梅雀さん(真田太平記)や西田敏行さん(葵徳川三代)の悔しそうな顔が思い浮かびます。
大手道

お昼も過ぎていたので昼食をと。
信州といえば蕎麦!蕎麦屋を見つけながら歩いて上田駅に戻ります。
表通りでは見つからなかったのですが、駅近くの横道に入ったところで「塩田屋」という店を見つけました。
オバちゃんを含め女の人が数人でやっているような家族的雰囲気の店でした。
蕎麦だけでは足りないので、メニューにある「そば定食」850円を注文。
蕎麦にご飯とおかずが少々という説明でしたが、ご飯とおかずがメインのかなりのボリューム。
田舎料理に蕎麦がついた満足の一品でした。
そば定食

甲信の旅つづく・・・
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2012
06.16

ジギに等しい?

Category: 政宗
「平清盛」にあまり熱中できないので、どうしても過去の大河に目が行きがちです。
最近、25年ぶりにある疑問が解消しました。

87年「独眼竜政宗」での名シーン、大河ファン必見のシーンでのセリフです。
政宗が小田原参陣に遅参し、秀吉に命を奪われるかもしれない場面で死装束で現れるヤツですね。
このブログで何度も言っている政宗が秀吉に杖でバシッと叩かれる迫力満点の名シーンです。
この日の撮影のために勝新:秀吉と渡辺謙:政宗は事前に会わなかったそうですから、二人の意気込みが伝わってきましたね。
放送日が6月14日ですから、丁度25年前の今頃です。

確かこんなやりとりでしたよ。

(政宗)御前に平伏しますは奥州探題、伊達藤次郎政宗にござりまする、此度は親しく御拝顔の栄を賜り恐悦至極と存じ上げ奉り上げます
(秀吉)政宗、遅かったの、誠の事そちの心の中が知りたいのじゃ
(政宗)奥州の情勢、殊の外不安定のため、越後信濃路を迂回いたし、心ならずも遅参致しました
(秀吉)その方、どちらが勝つか旗色を見ておったのか
(政宗)滅相もございません、政宗打ち首覚悟で参りました
(秀吉)その方、いくつになる
(政宗)24でございます
(秀吉)ふふふ、24しては芝居心があるの
(政宗)恐れながら芝居ではございません、政宗の身上すべからく殿下に献上する覚悟でございます
(秀吉)運のいい奴よの、小田原城が落ちた後なら、この首は無かった、政宗、命は助けてやる
(政宗)ありがたき幸せにございます
(秀吉)政宗、その方、奥州一の暴れ者と聞くがどうじゃ
(政宗)殿下の御前におかれましては奥州の戦など「ジギに等しい」かと存じまする、願わくば後学のため、小田原の御陣立てをしかとこの目で拝見しとうございます
(秀吉)ふふふ、「ジギに等しい」とな、政宗、近う寄れ、どうじゃ、小田原は既にわしの手の中にある、蟻も這い出る隙間もない、このような手立てをその方した事あるか
(政宗)このような大軍はとても
(秀吉)わしも初めてじゃ

YouTube

そうこの「ジギに等しい」であります。
このセリフを25年前に聞いた当初から最近まで、話の流れから多分「つまらないもの。他愛の無いもの。」と理解してました。
ところが最近気になって、かな漢字変換したら出てきました。
児戯に等しい」だったのですね。
そうかー、こういう漢字を書くのかーと1つ勉強になったわけです。


ついでにもう1つ。
子供の頃、山内賢さんと和泉雅子さんが歌っていた「二人の銀座」。
その歌の最初の歌詞で「待ち合わせて歩く銀座 ひともしごろ恋の銀座♪」とあります。

子供心に「人も日頃 恋の銀座」と理解していました。
「日頃」を「しごろ」と歌うのは、江戸っ子は「ひ」と「し」が逆になるというのを知っていたので、そうなんだろうなと思ってました。

中年になって、ある小説を読んでいたら「火灯し頃」という記述が。
そうかー、これかーとやっと理解した次第です。
そうですよね。「ひ」と「し」が逆なら「しともしごろ」とやらなくちゃおかしいですよね。
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2012
06.10

伊勢の旅:伊勢神宮・田丸城・松阪城

Category: 城めぐり
今回の旅も話が長くなりましたので、最後はまとめてドンと三ヶ所を一挙に。
小倉を出発し、名古屋に到着したのが夜の8時。いろんな用事を済ませて遅くなりました。
そのまま横浜へ帰ればよかったのですが、1つだけ思案がありました。

実は全国46都道府県を旅しているのですが、唯一行ってないのが三重県。
そこで今回思いついたのが伊勢路の旅。これにて47都道府県完全踏破となります。
先ずは伊勢神宮をお参りして、帰りに城をいくつか回ろうと計画したのですね。

名古屋駅前のホテルに泊まり、8:10発の近鉄特急で伊勢市へ。
9:30に伊勢市駅に到着。伊勢神宮の外宮(げくう)は歩いてすぐです。
外宮

足早に外宮参りをすませると、次は内宮(ないぐう)へ向います。
結構離れているので、バスで移動。あちこち寄るので約20分くらいかかりました。
参道の横が「おかげ横丁」という観光スポットになっているようです。
有名な「赤福」の看板や伊勢うどんの店やお土産屋さんが並んでいます。
おかげ横丁

午前中ですので食事をするわけでも、お土産と言う気にもなりませんのですぐに内宮へ。
内宮

格式の高い荘厳さがあり、なかなか気軽にお参りするという雰囲気ではありませんね。
やはり国家神道の総本山。一般庶民の神様というより天皇家の神様という遠い存在感です。
個人的感想では一生に一度お参りすれば十分ではないでしょうか。
本殿

信仰心の薄いものにとっては、次の計画が待っています。
伊勢市駅から11:56発のJR参宮線で14分かかる田丸駅に向います。
ローカル線は、これを逃すと1~2時間待ちになるから大変です。
なんとも鄙びた駅舎ですが、ここの待合室にて伊勢で買った押し寿司の昼食をとりました。
田丸駅

さて出かけようと駅の正面を見ると、ユーモラスなモニュメントが。
材質は陶器のようにみえますが、昔の「お伊勢参り」をイメージしてますね。
お伊勢参り

歩いて10分くらいで「田丸城」の大手道に到着です。
城の縄張りが町役場や中学校になっているようです。
役場の昼休みに外で体操をしていたオジさんに話しかけたら、親切にもいろんなパンフレットを持ってきてくださいました。
全体は小さいようですが、立派に1つの城郭を形作っています。
大手道

小高い丘を登りつめると本丸に到着。
中央の奥に天守台の石垣が残っています。天空の城「但馬竹田城」のミニ版という風情です。
あまり有名な城ではありませんが、「掘り出し物」といった感じですね。
天守台

天守台から望む伊勢平野ですが、当地が気候温暖で実りの豊かな土地柄だと感じ取れます。
戦国末期の領主が織田信長の三男:信雄(のぶかつ)であったということから、
近江平野をバックにした安土城のイメージとダブりますね。
田園風景

本丸から二の丸へ向うところの石垣です。
二の丸

丘を降りて城の外周をグルッと周り、元来た道に戻ってきました。
その間、犬の散歩の人などとも誰にも会わず独占状態であったとは!
訪れる人もいないこの城の大楠だけが私を見送るのでありました。
楠木

次に向うのは、田丸駅から列車で25分の松阪へ。伊勢商人の本拠地ですね。
松阪駅から歩くこと20分くらいで松阪城にたどりつきます。石垣がメインの城ですね。
蒲生氏郷の築城だそうです。
大手道

広々とした本丸です。何も無いのが、かえって往時をしのばせていいのではないでしょうか。
本丸

お城もそうでしたが、シンプルでとても落ち着いた町並みです。
やはり伝統と文化が定着しているところは、近代に都市化した町とは風格が違いますね。
左手前が「松阪商人の館」。向こう側は「三井家発祥の地」だそうです。
商人の町らしさが色濃く残っています。
商人の町屋

16時過ぎに松阪を後にして、名古屋に向かい新幹線で横浜への帰途に着きました。
車内で食べる駅弁は850円の「みそかつ弁当」。
千円以上の駅弁が増える中、この値段でこのボリュームはお買い得です。
丸いヒレカツ3枚と卵焼きと煮物や煮豆が付いていました。疲れた体にはやっぱりカツだよね。
みそかつ駅弁

最後にオチが。
家への土産にと伊勢神宮の帰りに伊勢名物「赤福」を買ったつもりでした。
帰って開けてみると、パッケージの色と形はそっくりなのに名前が「御福餅」(比較サイトを参照)となっていました。
慌てて買い物すると、こういうこともあるんですね。
味は特に問題なし、でした。ちゃんちゃん。
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2012
06.02

九州の旅:福岡城

Category: 城めぐり
朝7時半に熊本のホテルを出立。今日はとても忙しくなりそうです。
できるだけ車や新幹線・特急列車を使わず、徒歩がメインの旅ですからいつも駆け足です。
行き先は熊本駅ではなく、九州を北上しますから徒歩で20分くらいの上熊本駅へ。

予定では久留米で下車し、久留米城をめぐろうと思ってましたが北九州での用事ができたため省略。
ダイレクトに博多へ向かいます。
8:05の各駅停車に乗り込みましたが、平日でしたので通学の学生さんで混んでいました。
徐々に空いてきて、30分も経つとガラガラに。約2時間かけて博多へ到着。
博多駅からは地下鉄に乗り換え、大濠公園駅へ。目指すは福岡城であります。

お堀越しに「潮見櫓」が見えてきました。
お堀端

正直、福岡城は都会に埋もれてしまい大したこともないだろうと軽く見ていましたが、
この「下之橋御門」を見て、考えを改めました。
さすが黒田52万石のお城ですね。
大手門

門を入りすぐの右手に三の丸があります。
なにげなしに歩いていると、そこに「牡丹園」がありました。
なんと、ここは黒田如水の隠居屋敷跡だそうです。
今回九州の旅の始まりが中津城、そして最後が福岡城とは。
まるで「黒田官兵衛」の跡をめぐるような旅でありましたね。
如水隠居所

さて大手道を進んで行きます。平日ですので、ひっそりとした「たたずまい」です。
大手道

ただひたすら真っ直ぐ歩いていくと、本丸横の高石垣が見えてきます。
ぐるーーっつと回る造りのようです。こういうのを「梯郭式」の城というのでしょうか。
なかなか高度な縄張りをしているという感じです。さすが官兵衛様!
本丸石垣

時計と反対周りに入り込んで行くと、二の丸を通り本丸をショートカットして天守台に到着します。
天守への入口は「鉄御門(くろがねごもん)」という特殊な形をしています。
この城の特徴は、奥に行くほどに狭くなり守りを固めるような構造が得意ワザのようです。
鉄御門跡

天守台に上ると福岡の街が見渡せます。
こちらは西側の大濠公園方面です。
天守台よりの大濠公園

下を見ると天守台の礎石が見えますが、天守の存在は不明だそうです。
黒田長政が徳川幕府の「天下普請」に協力するために、天守を破却して資材を提供した説があります。
なんとなく彼ならそうするかもね、という気がします。
天守台礎石

本丸跡は今では全くの公園と化して、平日の午前中はひっそりとこんな感じです。
本丸跡

帰路に通りがかった本丸北東隅の「祈念櫓」です。
北東の鬼門を封じるために祈念するわけですね。
北九州市八幡東区の寺に移築されていましたが、昭和58年に元の位置に戻ったそうです。
祈念櫓

帰り際、城の北東部の広大な地域を発掘しているのを見つけました。
ここはかつての西鉄ライオンズの本拠地「平和台球場」があったところです。
でも、元々は「鴻臚館」という古代の迎賓館があった遺跡で、
今から考えるとそんなところを球場にしたとはトンデモナイ失態でした。
鴻臚館発掘

これにて九州での「城めぐり」はオシマイです。しかしこの後が忙しかった。

天神で女房に頼まれた買い物をすませ、続いて北九州・八幡での用事をば。
そして次の目的地へ行くため、小倉で新幹線に乗り込み名古屋へ向かいました。
あー、しんど!
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