13時丁度に豊後竹田を出発し、九州横断特急はただひたすら九州の屋根と言うべき山並みを走り続けます。
途中、手持ちのカメラでの記念撮影などのサービスを受け、阿蘇山の中央を駆け抜けると熊本市内へ入って行きます。
熊本到着は14:50。快適な列車の旅でした。

熊本城へは何で行こうかなと案内所で聞くと、15:10発の観光用コミュニティバスが来るとのこと。
それに乗り込み、熊本城の手前で下車します。
先ずは「清正公」にご挨拶。
清正像

清正像から橋を渡って、最初に歴史文化体験施設の「湧々座」へ向います。
熊本城単体の入場料は500円で「湧々座」は300円、でもセット券だと600円と割安。
CGを駆使して熊本城がいろんな角度から体験できます。
周りのお土産屋さんも繁盛していて、大変な人出でした。
熊本城は人生で3度目ですが、今回は襟を正して大手門に当たる「頬当御門」からの登城です。
頬当御門

門をくぐると正面に大天守の上半分が見えています。威圧感のある巨大な城郭です。
天守遠景

ここから一般の観光客はワンサカワンサカと天守を目指しますが、私は左手の「宇土櫓」へ。
(宇土城から移築されたから名付けられたとのことですが、それは不明だそうです。)
「西南戦争」の折、灰燼に帰した熊本城ですが、西風のためにこの「宇土櫓」は焼け残ったとのこと。
多くの皆さんが行く「天守」はコンクリート製ですが、「宇土櫓」はホンモノ。
さて、どっちが価値があるか。お分かりでしょう。
宇土櫓

ホンモノの「宇土櫓」から西出丸方面を望みます。
櫓とは言え、普通の城の天守よりも立派な造りに驚きます。
宇土櫓から戌亥櫓方面

これが「大天守」です。コンクリート製ですが迫力あります。おみそれしました。
やっぱり観光客は自然とこちらに集まっていますね。
大天守

小天守からの熊本市街です。
熊本市街

こちらは「二様の石垣」と言って、造られた時代の技術が比較できるアングルです。
手前の右手が古い時代のもの。奥の左手が技術革新されて急傾斜の石垣が可能になったのです。
二様の石垣

熊本城は広くて見所が多く、とても1回の登城では見渡せませんね。時間が足りなくなってしまいました。
築城400年事業の一環として、櫓や本丸御殿の復元に取り組んでいて観光客も増えているようです。
しかしながら、私のような駆け出しの「城ウォチャー」でも復元された真新しいものを見てもあまり感激はしません。
今回も本丸御殿の「昭君の間」なども撮りましたが、わざわざ載せるほどでは・・・という気持ちです。

閉門時間が迫り、今宵の宿泊ホテルに一番近い「不開門(あかずのもん)」より急いで下城です。
(鬼門である北東を向いているので、通常は使われなかったことから名付けられたそうです。)
この重文の門の方がよっぽど見応えがあるように感じます。
不開門

翌朝、お城に一番近いということで宿泊した「KKRホテル熊本」での朝食の席からです。
この風景が味わえるだけで、このホテルは◎ですね。
ホテルで朝食

九州の旅もうちょっと続く。
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駅前のホテルを朝8時過ぎに出て、大分駅にやってきました。
さすが湯どころ大分。駅前のビジネスホテルでも露天の風呂があり、朝からさっぱりしての門出です。

おやー、上りは次の駅は1つですが、下りは3つもありますね。
そう上りは小倉方面の日豊線だけですが、下りは宮崎方面の日豊線、熊本方面の豊肥線と久留米方面の久大線があります。
大分駅

私は熊本方面の九州の中央を横断する豊肥線に乗ります。
この列車で終点の豊後竹田に向かいます。
JR九州の車両は特急でも各駅でもどれもキレイですよね。乗る度につくづくそう思います。
目指すは山奥の古城:岡城であります。
豊後竹田行き

8:31に大分を出発し各駅停車で9:43に豊後竹田に到着。
車両がよかったので、長く揺られても疲れませんね。
本日は強行スケジュールなので、体力温存のため行きの上りはタクシーにしました。
歩いて30分くらいの距離・・・2kmくらいかな。すぐに岡城入口に着きました。

駐車場横の受付で300円を支払い、早速登城です。
いかにも秘境の山城という雰囲気ですね。
岡城登り口

階段を5分くらい登ると、もうすぐに大手門跡が見えてきました。
前に汗だくになった但馬竹田城や安土城並の登山を覚悟していた割には拍子抜けです。
「なんだもう着いちゃったの!」という感じです。
大手門を通り過ぎてから振り返ってのショットであります。
大手門跡

平坦な道をまっすぐ行くと、岡城名物の三の丸横の高石垣がそびえ立っています。
ここが写真のベストアングルでありますから、早くもクライマックスです。
三の丸高石垣

三の丸を通り過ぎ、二の丸へ入るところで「太鼓櫓跡」があります。
公園としてキレイに整備してありますね。
行政が地域の宝としての岡城を大事にして行こうと気持ちが伝わってきます。
二の丸太鼓櫓跡

二の丸の広場から町並みは見えませんが、道路と車の小ささでかなり高いところにあることが分かります。
二の丸より

二の丸広場には豊後竹田出身の大作曲家:滝廉太郎の銅像があります。
ここで幼い頃遊んだ滝廉太郎が、その頃を思い出して名曲「荒城の月」を作曲したといいます。
バックには遠く九重連山の美しい山々が望まれます。
滝廉太郎像

本丸の上の方はパッとしませんが、降りてきてみると高石垣の並びは見ごたえがあります。
天守閣はなくとも、この石垣を見るだけで満足しますね。
城めぐり歴僅か1年で、この心境になれるとは。お城の持つ魅力に魅入られたのでしょうね。
本丸高石垣

本丸の反対側の絶壁にそそり立つ石垣も見事です。
頂上に植えられた桜の木が絵になっていますね。
本丸の絶壁

帰り際に三の丸方面を振り返ったら、「桜馬場」と呼ばれる平坦な道が続いてました。
行く時も通ったのですが気持ちが高揚していて、この道筋の落ち着いた雰囲気を感じ取ることができていませんでした。
桜馬場

城からの帰り道はなだらかな下りですので、予定どうり車を使わずに徒歩にします。
街中に入ったところで「広瀬神社」というところがあります。
ここは日露戦争で英雄となった広瀬中佐を祀っています。広瀬中佐もここの出身であります。
その小高いところにある広瀬神社から竹田の町が一望できますが、高い建物がなくて落ち着いた町並みです。
竹田の町並み

そうこうして30分くらい歩くとJR豊後竹田の駅へ戻ってきました。
駅のすぐ近くに温泉センターみたいな施設があったので、とりあえずそこで腹ごしらえをして13:00発の「九州横断特急3号」の到着を待ちます。
豊後竹田駅

九州の旅さらにつづく・・・。
このブログをご覧になっている方から見れば、「この人相当なヒマ人だな。」「旅ばっかりしている。」
と思われるでしょうが、一応しがない勤め人。月1回の有給休暇で「城めぐり」をしている次第であります。

ということで今回降り立ったのが九州は大分県の中津という町です。
中津の駅に着くと先ず出迎えてくれるのが、このオジサン。
慶応義塾大学の創始者、「学問のすすめ」を書いた福澤諭吉先生であります。
福澤さん中津藩の出身ということで、「町興し」に使われているようです。
諭吉さんは確か大坂で生まれて、中津は少年期まで過ごしたという関係だったみたいです。
福澤諭吉像

それともう1つ「町興し」のテーマを見つけましたよ。
駅前のさびれたアーケード街を歩いて中津城方面に向う途中、
「黒田如水を大河ドラマの主人公に!」という看板がありました。

司馬遼太郎の「播磨灘物語」がありますから、まずまず大河ドラマとしては可能でしょうね。
「天地人」の直江兼続よりは城持ち大名ですからマシな気がします。頑張ってください。
そんなことを思いながら、15分ほど歩くと見えてきました。
黒田官兵衛ゆかりの中津城です。
天守

隣接する奥平神社に圧迫されているので、城の風景としては堀を渡ったこちら側からの方が見栄えがします。
左の櫓とともにコンクリート製で造られた観光用の模擬天守です。
奥平という名前からも分かるように最後の藩主:奥平氏の所有だったのですが経営難でどこかに売却したらしいです。
昔の殿様も大変なんですね。

掘からの天守

そう言われて見てみるとこの城、石垣の土台より上物の方が大きくて不安定ですね。
そのうち傾くような気がしないでもないのが不安要素です。

それはともかく、天守の裏側に回ってみると面白い石垣がありました。
向って右側が最初の黒田氏の石垣、左側が後で入封した細川氏の石垣だそうです。
シロウト目には黒田の方が仕事が丁寧なように感じます。
黒田と細川

山国川の河口に築城した水城で今治城や高松城と並ぶ「三大水城」だそうですから、河側もチェックしておきましょう。
なかなか古城の雰囲気が残っていますね。
一般の観光客は城の正面には大勢いても、ここまでは来ないものですね。
河側の石垣

さて、城の周りをグルッと一周して駅への帰途につきました。
行きと違う道を歩いていたら、「大手門跡」の看板がありました。
今では隣接する小学校の塀として使われているようです。
大手門跡

今日は午前中所用がありスタートが午後になったので、もうじき夕方です。
16:10に中津を立ち17時に大分に到着。
ホテルに入る前にもう一仕事残っています。
この時期の九州は横浜よりかなり日が長くて幸いです。

大分といえば府内城。駅から歩いて10分程度で櫓が見えてきました。
手前が現存する宗門櫓、向こうは南側の再建された隅櫓です。
隅櫓

府内城名物の「廊下橋」です。
福井城や和歌山城にあったものと同様ですね。
そういえば、この府内城なんとなく福井城と似てますね。
ドドーンと役所の施設が城の大部分を占有しているところでしょうかね。
廊下橋正面

役所の罪滅ぼしでしょうか。この「廊下橋」はキレイに整備してありますね。
廊下橋側面

廊下橋に隣接する天守台周りも庭園などがあり、お城らしさをなんとか維持しています。
天守台より現存する人質櫓が見えます。
人質櫓

天守台下の庭園側から天守台を見上げます。
天守台

大分は大友氏以降は国持ち大名がおらず、10万石以下の小粒の大名に分割された地域です。
この府内城も江戸時代末まで2~3万石程度の大名が入封し、最終的には譜代の大給松平家が領したものです。
その割には、城郭やこの大手門は立派過ぎるのではと思います。
大手門

最後に夕食に街に出て、歩いていたら見つけた「大分銀行赤レンガ館」。
旧二十三銀行の本店だったところで、今は銀行のサービスセンターになっています。
説明を見たら、やっぱり「辰野金吾」でした。
東京駅の赤レンガと白い縁取りがおんなじだもんね。
大分銀行

九州の旅まだまだつづく・・・。

2012.05.03 小倉城
九州方面へ長旅のため当分更新できません。あしからず!
小倉城天守