2012
03.31

播但の旅:赤穂城

Category: 城めぐり
明石城を後にして、赤穂線経由で次に向ったのは播州赤穂。
そうあの「忠臣蔵」で有名な赤穂浪士、浅野氏の居城だったところですね。

「忠臣蔵」と言えば、日本の歴史上5本の指に入るくらいの有名な事件ですが、
若手社員に聞いてみたら、ほぼ全員が知りませんでした。
皆さん名の聞いた大学を出てきているのに、日本の歴史教育は一体どうなっちょるのでしょうか。
播州赤穂駅

駅から歩くこと10分くらいで、お堀と隅櫓が見えてきました。
随分とキレイに復元されています。5万石程度の大名にしてはかなりの規模を感じさせます。
大手門と隅櫓

大手門を入り、三の丸右手は「大石神社」の境内になっています。
「大石良雄宅跡長屋門」という風格のある門が残されています。
大石宅跡長屋門

これが大石神社の参道。左右に四十七士の真新しい石像が並んでいますね。
まるで、秦の始皇帝の兵馬俑坑の雰囲気であります。
大石神社

一番神社よりには主役の大石内蔵助像。子孫の方が奉納したとの記述があります。
大石内蔵助像

大石神社を後にして、左手の二の丸を突き進むと本丸門が見えてきます。
本日は休日で2階を開放しています。
本丸門

本丸門2階から天守台方面を眺めます。
本丸御殿の間取りがコンクリートで形成されてます。
大名の御殿は、なんとまあ広いものでしょうか。迷子になってしまいそうです。
本丸門からの風景

天守台の跡です。石垣だけで天守は造られなかったとのことです。
そうでしょうね。外様でしかも5万石程度が天守を作れば幕府にイチャモンをつけられることは予想されますもんね。
でも造れるだけの経済力は持っていたのでしょう。
「赤穂の塩」で実力は10万石くらいなのかも。
天守台

天守台から入ってきた本丸門を望みます。
平野の中にポツンとお城があるのがよく分かります。
天守台からの風景

本丸から「厩口門」を出て、城の東側へ向います。
こちら側は観光客も少なく、ひっそりとしています。
厩口門

さらに城外に出て、運河沿いの道を進みます。
水の利があり、肥沃な土地柄といった風情を感じます。
一時は荒れていたのかもしれませんが、お城が公園として整備されて行くモデルケースだと思います。
こういった落ち着いた町並みを見ていると、浅野の殿様も短慮を起こさずにいれば
家臣も穏やかな人生を送れただろうにと思わずにはおれません。
城外の道

そうこして城の外周を歩いていたら、元の大手門の隅櫓に戻ってきました。
大手門隅櫓

さて、播州赤穂駅から岡山方面へ下るとしましょう。
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2012
03.25

播但の旅:明石城

Category: 城めぐり
最近、火坂雅志さんの「軍師の門」というのを読んでます。
内容は秀吉の軍師である竹中半兵衛と黒田官兵衛の物語であり、私の最も好きな場面が描かれる展開です。
ということで、その辺の話が出てくる播州や但馬を旅しました。

旅の始まりは明石から、新横浜を9時頃出て12時にはもう明石駅に到着。
明石駅

昼時でお腹も空いたので、何かたべようかなあ。と思っていたら駅の改札を出る手前に牛丼の吉野家がありました。
これは便利で手軽。時間も節約できるので、「並定食」を注文して腹ごしらえ。
食べ終わり、駅前の道路を渡るとすぐに大手門が見えます。
こんなに便利なお城は福山城とここくらいなものでしょう。
大手門

三の丸の池越しに巽(たつみ)櫓が見えます。
城めぐりをしだしてから、良(丑寅)といえば北東、巽(辰巳)といえば南東、坤(未申)といえば南西、乾(戌亥)といえば北西と
すぐに分かるようになりました。
巽櫓遠景

明石の日時計越しに坤(ひつじさる)櫓が見えます。
軽く見てましたが、どちらも十分「天守」と言ってもいいくらいの風格があります。
そういえば、明石は東経135度。日本の標準時の場所でしたね。
坤櫓遠景

両櫓を見ながら、大手筋の石段を登って登城します。
7万石程度の大名の居城にしてはなかなかの規模。
最初の小笠原家から後は親藩松平家の城だったので、これだけの城が持てたのでしょう。
大手道石段

この2つの櫓が、この城のウリです。どちらも重要文化財であります。
良櫓(北東)と乾櫓(北西)は現存しません。
巽櫓より坤櫓

巽(南東)櫓のアップ。
巽(南東)櫓

こちらは坤(南西)櫓。本日はこちらを公開してました。
日によって公開する櫓が変わるそうです。
ボランティアのオジさんも明石城の櫓には自信を持っているようで、
現存天守の話が出たら、それには負けないようなプライドを感じました。
「国宝級だよ!」と言いたいのでしょうね。
坤(南西)櫓

両櫓の前に広がる本丸です。
当日は休日で人出も多かったのですが、なぜかここはひっそりとしてました。
本丸

本丸から二の丸をめぐり、城の北側に降りて行きました。
堀の石には亀が甲羅干しをしています。ここはのどかな時間が流れています。
甲羅干し

さらに北西の方へ行くと、「剛の池」という大きな池があり市民の憩いの場になっています。
かつての城内には野球場や運動場ができ、どこかの学校が運動会を実施していて歓声が流れていました。
剛の池

播但の旅つづく・・・
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2012
03.18

大河オープニング・テーマ

Category: ランキング
昨日YouTubeで大河ドラマ関係を検索していました。
以前はオープニングを含めいろんな名シーンがありましたが、昨今著作権の問題からか少なくなりましたね。

オープニング・テーマで記憶に残っている作品は何かな、と考えると一番古いのが1964年「赤穂浪士」ですね。
大河第2作目。中学生の頃でしたが、あの竹刀を叩きつけるような単調な荘厳さが耳に焼き付いています。
なんと芥川也寸志さんの作曲です。芥川さんはこの1曲しか手がけていませんね。

その後記憶はとぎれ、時代は過ぎ78年「黄金の日日」へとジャンプしています。
タイトルバックの大きな赤い夕日とともに鮮明に思い出されます。
作曲は池辺晋一郎さん。
独眼竜政宗」や「八代将軍吉宗」もこの方の作曲で、いい作品を多く残しています。

その間の好きだった「太閤記」や「国盗り物語」も聞けば思い出しますが、出せと言われても出てきません。
記憶は遠い彼方へ消し飛んでしまっています。「忘却とは忘れ去ることなり!」
音楽を記憶するメモリーがちょっと少ないような気がしますね。

「黄金の日日」以降はわりと順調に覚えていて2年後の80年「獅子の時代」は鮮烈でした。
作曲は宇崎竜童さん。そうダウンタウンブギブギバンドですね。
ホンモノのライオンがガウォーってやつ。第1回でパリの駅をサムライが歩くやつでっせ。

「独眼竜政宗」もレーザー光線を使って特徴的なタイトルバックで斬新でしたが、
翌年の88年「武田信玄」が更によかった。
「武田信玄」の文字がビヤッと出てきて、いきなりクライマックスという出だしです。
大河史上ナンバーワンのオープニング・テーマだと思っています。
作曲はあの山本直純さん。76年「風と雲と虹と」もそうですね。

91年「太平記」も好きなオープニングです。
「武田信玄」もそうでしたが、時代物は騎馬武者が出てくると迫力が違いますね。
作曲は三枝成彰さん。いい作品はやっぱりねえという名前が出てきます。
そうそう94年「花の乱」も三枝さんでした。納得!

その後は96年「秀吉」や2000年「葵徳川三代」などもよかったと思いますが、
2001年以降はピンとくるものがあまりありません。
ずーーと見渡してみると、躍動的な戦国ものに気に入ったオープニング・テーマが多いようです。
反面、幕末物は重々し過ぎて印象に残らない傾向にあります。
唯一の例外が77年「花神」ではないでしょうか。
吉田松陰や高杉晋作などの長州の青春群像がモチーフとなって、ほとばしる勢いを感じさせますよね。

※(色の変わっているタイトルはクリックするとYouTubeへリンクします。)
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2012
03.11

関西の旅:大阪城

Category: 城めぐり
堺の「仁徳陵」から次は関西の旅の最終目的地「大阪城」を目指しました。
大阪城は2度目ですが、コンクリート製エレベータ付きのあの天守からは「大坂城」という匂いはしません。
やはり昭和復元の「大阪城」ですね。

阪和線から天王寺で大阪の環状線に乗り換えます。
ホームがいくつも入り組んでいて、上野駅によく似た雰囲気です。
やっと環状線のホームにたどりつき、乗り込んだら車内はガラガラ。
東京の山手線をイメージしていたけど、座席も前向きでリラックスできます。
押し合いへし合いの電車は首都圏だけですね。
大阪環状線

「森ノ宮」という駅で下車。ここからは大阪城の南端から攻めることができます。
位置的には定かではありませんが、「大坂冬の陣」での「真田丸」の方向だと思います。
森ノ宮駅からは写真右手の玉造口からの入場が近いのですが、ここはやはり大手門から登城しましょう。
現存する一番櫓が見えています。
一番櫓

大手門は南西の方角にあるので、外堀の南端をグルッと歩いて行きます。
ホント大阪城の堀は広くて見事です。日本一の「お堀」だと思いますね。
これも現存する六番櫓。午前中の曇り空から冬の青空になりました。
六番櫓

前回訪れた時は、北端の「極楽橋」からの登城でしたので「大手門」は初めてです。
キレイに整備されてますね。江戸城の大手門より美しい。
左に見えるのが、これも現存する「千貫櫓」です。
大手門

本丸に入る「桜門」の横にある巨石。
こんなデカイ石をよくまあ運んだな!「さすが太閤秀吉」と思ってました。
後で調べたら徳川の天下普請で運ばれたものとのこと。
「太閤の威信」を払拭するために、こういうオブジェが必要だったのでしょうか?
桜門の巨石

本丸広場の右手に古色蒼然とした戦前の香りのする建築物が・・・。
「大阪市博物館」と書いてありますが、営業はしてないようです。
帰って調べてみたら、「旧陸軍第四師団司令部」として昭和2年建てられたものらしい。
造りが頑丈に出来すぎていて、改装しづらくて未使用とのこと。
もったいないですね。映画やドラマで使えそうな気がします。
大阪市博物館

さあ、いよいよ大阪城のシンボル天守です。
華麗な雰囲気はあるのですが、どうも私の感じる「大坂城」とは違いますね。
内部は前回登ったので、今回はパス。正直コンクリートのお城はあまり登る気がしません。
天守

天守の北側へ回り、かつての「山里廓」あたりを抜けます。
花が手向けられてある「秀頼 淀殿ら自刃の跡」ですね。
豊臣の無念が漂っているような物悲しさがありました。
秀頼自刃の跡

北側の「極楽橋」から見た大阪城。もう夕暮れが迫ってきてます。
極楽橋

あっと言う間に1日で和歌山城・仁徳陵・大阪城をめぐりました。
大阪城を後にしたのが午後の4時15分前。リュックをしょっての一人旅なのでそれからが電光石火。
大阪城公園駅に着いてから乗り継ぎがよかったのでしょう。
新大阪発4時17分の「のぞみ128号」に滑り込みセーフ。
ギリギリ駅弁を買える時間もあり、午後の7時過ぎには横浜の自宅へ帰ってこれました。
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2012
03.03

関西の旅:仁徳陵

Category: 城めぐり
雪の和歌山城を後にして、次に向ったのは大阪・堺の「仁徳陵」
JR阪和線の「百舌鳥(もず)」駅で下車します。
駅前で地図を見ていたら、「仁徳陵」はすぐ近くのようです。

やはり地図を覗き込んでいた二人連れの若い娘さんたち「現在地どこやろか?」と
私「現在地はここですよ。」
「○○マンションて、知りまへんか?」
私「横浜から城めぐりに来ていて、和歌山城から大阪城へ向う途中で寄ったんですよ。」
「へー、そうですか。お城なら岸和田城もありますよ!」
私「岸和田城もいいですが、今日のところは大阪城へ。」
「ほな、よろしう。」
大阪の人は陽気でんな。

道路を横切って歩いて行くと、すぐに見えてきました。
「仁徳陵」の前方後円墳「前方部」の右端であります。
三重の堀に囲まれているうちの一番外側の堀です。「城郭」という雰囲気もありますね。
前方部

さて、これからグルッと1周しようか、それとも先に博物館か、はたまた昼時だからメシか。
と歩いていたら、観光案内所みたいなところがあり立ち寄ってみました。

漫才の大助・花子の花子さんみたいな女性が一人で対応していました。
またこの方が、大阪人らしくよくしゃべる方でした。
私が「城めぐり」の途中で寄ったと話したら、全国のお城の話まで発展しとめどもありません。
私も、この城やあの城はよかった。と相手してましたが時間も気になり、こちらから切り上げました。
それと、この方面白いことを言ってました。
「堀に観光船を浮かべて1周すれば、収入も増えて活性化するのに。」と
松江城のように「堀川めぐり」をすればいいのかも。
でも絶対に宮内庁が許さないと思います。

花子さんにアドバイスを受け、案内所の隣のレストランで腹ごしらえを済ませてから先ずは博物館へ。
行く途中「百舌鳥耳原」という地名の由来が書いてありました。
日本書紀の中に
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生前に仁徳天皇の陵地を河内の石津原(堺市石津町)に定めた。
丁酉の日に築陵を始めたところ、最初の日にいきなり野の中から鹿が現れて、造営している役夫たちの中に走ってきて、倒れて死んだ。不審に思って傷を探していると、鹿の耳の中からモズが飛び出した。そこでいよいよ怪しんで耳の中を見ると、モズが食いさいてちぎれかかっていた。それでここを名付けて「百舌鳥耳原」と呼ぶようになった。
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百舌鳥耳原

堺市博物館の方は「古代の古墳」と「中世都市:堺」が二大テーマでした。
帰りがけ、堺の生んだ有名人「千利休」の像にやっぱりお会いしました。
千利休像

さて、「仁徳陵」に戻るとこの日は丁度今上陛下が心臓のバイパス手術をされている時間。
私めも記帳所が用意されていましたので、陛下の無事を祈り記帳しました。
拝所

上の写真の手前ではボランティアの方がいろいろと説明して下さいました。
その途中で、少しイタズラ心が起きたエピソードがありました。
ボランティアの方「これから先は皇室の方しか入ることができません!」
私「それは少し違うような気がします。あの先に工事用のブルーシートが見えますよね。
あのブルーシートは皇室の方が運ばれたのですか?」
「それはまあ・・・工事の人が運んだものですが・・・」
私「そうでしょ、正しくは皇室の方と工事関係の方しか入れないんですよね。エヘへ。」

そんなこんなで1周2700mを右回りに歩き始めました。
途中小雪が舞い、ここは真ん中左のくびれ部分にある「陪塚」あたりです。
「陪塚」とは殉死?した家来の墓だと推定されてるそうです。
陪塚

正面にあった「拝所」の反対側である前方後円墳の「後円部」側の歩道橋から最頂上部を眺めたものです。
手前のこんもりとしたのも陪塚のようです。
この頂上にある大きな石棺の中に仁徳帝は眠っているのでしょうか?こっそり入ってみたい!
後円部

周囲を3分の2ほど歩いたところで快速電車が止まる三国ヶ丘駅があります。
そこから次は大阪城を目指します。


大きな地図で見る
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