2011
11.27

「坂の上の雲」と「蝶々さん」

Category: 坂の上の雲
昨夜は久ぶりにドラマらしいドラマを観て、充実した週末の夜を過ごしました。

いよいよ始まるのですね「坂の上の雲」最終の第3部が。待ち遠しかった。
11ヶ月も「江」でお茶を濁され、大河ファンとしては「開いた口が塞がらん!」とはこのことでしょう。
第3部は「203高地」や「日本海海戦」などクライマックスの連続で、「平清盛」の予算が無くなってしまったのではと心配です。

始まる前にNHKさんもちゃんと第1部と第2部の「おさらい」をしてくれるとは、気が利いてますね。
BSでは全部を再放送するようですが、こちとらは忙しい身でありますから地上波のダイジェスト版で十分です。
土曜日の総集編2回を観て、本番を迎えるのが現役ビジネスマンの正しい見方のような気がします。
(もし私がリタイア後のヒマ人ならBSを観るかもしれません)

昨夜の第1部を観ていて気付いたのですが、2年前と見比べると役者さんも僅か2年ですけど老けるんですね。
メイクによる老け方ではなく、2年という時間が確実に人間を老化・・・いえ深みと言った味わいを増加させていることを発見しました。
こういう点は3年間という長丁場のドラマ作りのメリットであると感心してしまいました。

よく俳優さんが何十年も同じ役を演じていたりしていますが、(代表的なのが森光子さんの「放浪記」)驚異ですね。
まず日頃の鍛錬と観る人を飽きさせない努力に敬服します。
大河においても緒形拳さんの秀吉とか津川雅彦さんの家康とかが、その例でしょう。
10数年後に同じ役を演じても確実にスケールアップして魅せてくれます。
そういう意味では、今回の上野樹里ちゃんが10数年後に「江」を演じて魅せてくれるかが、一流と二流の分かれ目のような気がします。


昨夜は「坂の上」に続いて「蝶々さん」の後編もありましたね。
「篤姫」以来の宮崎あおいさんですが、さすがに大河の主役経験者うまいですね。
長崎が舞台でしたので、昨年の「龍馬伝」の雰囲気を引きずっているような気がしました。
ひょっとして、蝶々さんの親戚のワルをやっていた本田博太郎さんが同じような役で「龍馬伝」に出ていたからでしょうかね。

あと脇を固める重要な役で、「篤姫」つながりの女優さんが目立ちました。
ともさかりえさんと余貴美子さん。
ともさかさんは「篤姫」では小松帯刀の妻となる幼馴染ですから、同じような役回りの女中さん。
余貴美子さんは蝶々さんを苦境から救い出す置屋の女将でしたが、白塗りの不気味さが出色でした。
余さんは「篤姫」でも常に頭巾を被った(疱瘡のアバタを隠すため)島津斉彬の正室役でしたので、こういった不気味というかミステリアスな女性を演じるのがうまいですよね。

港町:長崎を舞台に旧い日本を美しい映像美で表現していました。
あれだけの出演者を揃え脚本は鬼才:市川森一とくれば、うまく仕上がるに決まっています。
久々にNHKらしい佳作小編でありました。
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2011
11.23

弘前城

Category: 城めぐり
秋田で仕事は終了したのですが、この際と思い青森県:弘前まで足を延ばしました。
目的は言うまでもなく「現存12天守」の1つ弘前城であります。
各駅停車に揺られること3時間、午後の2時過ぎ弘前に到着。

晩秋の日は短いので、道を急がねばなりません。
弘前駅から歩くこと20分くらいで弘前城のお堀端に。
最も近い東内門よりの登城です。鮮やかな紅葉が眼に入ります。

東内門

二の丸を最短距離で横切ると見えてきました!
へーーー、これが弘前城天守ですか。
本丸の真ん中あたりにあるイメージでしたので、ちょっと違和感。
桜の季節の写真が有名ですが、今回は紅葉の中に映えてます。

二の丸より天守

料金300円を払って本丸の中へ。西日本のお城に比べて安いですねー。
これが本丸正面から。天気もよく季節外れの暖かさで夏服でもよかった。

天守内の説明で分かったのですが、やはりこの天守は元は「櫓」だったのですね。
落雷で天守を失った後は、幕府をはばかり再建しなかったそうです。
その後、津軽藩の蝦夷地警備の功績が認められ天守再建を認められたのですが、
幕府への遠慮と予算の関係から「隅櫓」を「天守」に改造した結果が現在の形状となっています。
私の感じた「これは櫓じゃないの?」という違和感は正しかったようですね。

本丸から天守

本丸から望む岩木山です。これほど美しい風景はそうそうありません。

岩木山

秋田でも思いましたが、青森でも市民なのか行政なのか配慮が行き届いています。
城内は広いのに、ゴミが全く落ちていません。
枯れ葉が沢山落ちていますが、これも収集車を使い大勢で拾っていました。感心します。

そろそろ帰途に着くところで、二の丸の「未申櫓」(南西隅)です。
いつものことですが、天守には大勢人が集まるのに隅櫓はあまり見向きもされないのですね。
それでも重要文化財ですよね。

未申櫓

南内門を出たところにある「杉の大橋」です。
朱塗りと曲線が美しいですね。つい見とれます。

杉の大橋

「追手門」です。通常はこちらから入場でしょうが、今回は出口となりました。
門がいくつかありましたが、どれも風格があります。質実剛健といった風情ですね。
城の全体的イメージとしては、手入れのよく行き届いた造形美を感じます。
津軽10万石の居城ですが、とても10万石クラスの大名のお城とは思えない優雅さと美しさを保っています。
わざわざ時間をかけて来てホントよかった。

追手門

秋田から弘前まで3時間かかりましたが、帰りは新青森から新幹線「はやぶさ」で東京まで僅か3時間。
その日のうちに横浜に帰れました。早い!
このスピードは便利でしょうか?それとも古いものを失うきっかけになるのでしょうか。
何はともあれ、「現存12天守」の5つ目をゲットです。

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2011
11.20

鶴岡・秋田

Category: 城めぐり
ほぼ毎日プールで泳いでいますので、特別の番組以外ほとんどテレビを見ません。
例外は毎週日曜日の大河ドラマだけ。「江」も途中ダレていましたが、結局は見ています。

ところが最近もう1つ見続けているドラマが増えました。
水曜10時からの「家政婦のミタ」です。
主役の松嶋菜々子さんがターミネーターのように無表情で、結構ハマッテます。
「女王の教室」や「ハケンの品格」に続く日テレが得意なスーパーウーマン物ですね。

これを見ていて「江」との共通点を見つけました。
千姫役の娘さんが「家政婦のミタ」での中心となる家族の長女役で出ていました。
忽那 汐里(くつな しおり)ちゃんという美少女集めで定評のあるオスカープロ所属の有望株です。
やはり「全日本国民的美少女コンテスト」で特別賞をもらっていたみたいです。
まあ、後藤久美子(独眼竜政宗)や小田茜(太平記)の系列ですね。

ということで、前置きはさておき鶴岡・秋田と旅してきました。
今年は暖かくて夏のスーツを1着しまっていなかったので、
出張でクシャクシャになると思い着ていきましたが、さすがに秋田の朝では寒かった。
その前の福山でも暑いのでタンクトップで新幹線に乗り込みましたが、車内の人はコートや厚手の上着を羽織っていました。
歩き回る旅なので、列車に乗り込む時は体が暑くなっていますから周りとのギャップを感じますね。

東京から上越新幹線で新潟へ、そこから特急を乗り継いで約3時間。
山形県の鶴岡・・・、西郷さんが官軍として乗り込んだ町ですね。
庄内藩は「奥羽列藩同盟」に加担して賊軍となりました。
会津と異なり、降伏後の仕置きが西郷さんの温情により過酷ではなかったということです。
維新後も西郷さんや薩摩に対する思いは厚く、遠く鹿児島へ留学した若者もいたそうです。

その後、西南戦争が勃発しても鶴岡に帰らず西郷軍に従軍した人もいたということですから、
この地の人々の人情の厚さを感じずにはおれません。
町を歩いていても、そういった気配りを感じますね。
そうそう、「たそがれ清兵衛」や「武士の一分」などの藤沢周平の世界です。

先ず最初に訪れたのは、鶴岡の精神が宿る藩校「致道館」です。
致道館
「致道館」から歩いてすぐのところに「鶴ヶ岡城址」があります。
藩の雰囲気を残す、のどかな城跡公園です。隅櫓も穏やかな造りですね。
城内には「藤沢周平記念館」もあり、数々の彼の作品が紹介されていました。
鶴岡城址
仕事の途中で時間を見つけて寄ったので、先を急ぎます。
その日のうちに秋田に入らなければなりません。
約2時間くらいかけて、鶴岡から秋田へ。この日は快晴でしたので日本海が素晴らしかった。
夜7時に秋田に到着。名物:稲庭うどんでの夕食をすませ、翌日に備えます。

翌朝は7時に起きて朝食を済ませると、仕事まで1時間ほど間があったのでホテルの周りを散策。
先ほども書きましたが、夏のスーツには朝の寒気がこたえますが歩いていると暖まって平気になります。
わりと駅に近いところに佐竹氏の居城:久保田城址がありました。
今では「千秋公園」という名で、市民の憩いの場になっています。
千秋公園
「秋田城」ではなく「久保田城」なのですね。
さすがに20万石の大名の城ですね。広大な敷地です。
他の城との違いは石垣がなく土塁で築かれているところです。
佐竹さんはわりと金銭的にシブいのでしょうか?他の城も土塁造りが多いと聞きます。
久保田城址
復元された表門です。わりと地味ですね。
なんとなくこの地の気風が表れています。
気風と言えば、この城址公園の中にはやたらとあちこちにトイレがありました。
広大な城郭ではトイレを探すのに苦労することもあるのですが、ここではそんなことはありません。
市民の考え、行政のキメの細かさなのか、なんとなく県民性を感じる配慮ですね。
表門
最後の藩主:佐竹義堯(よしたか)の銅像です。
そういえば、ホテルで見た朝のテレビで知事さんの名前が「佐竹さん」でした。
殿様の末裔の方でしょうか?
後でタクシーに乗った時にそんな話を運転手さんにしたら、
「お客さん、詳しいですね。他のところからいらして、ここの殿様が佐竹だったなんて知ってる人はいませんよ!」
と褒められました。
佐竹義堯像
これも復元された「御隅櫓」です。城の一番奥の北西にありました。
うっそうと松が繁り、朝日を受けて映えてました。
朝も早いので、誰も見物人はいません。ここにも櫓の横にちゃんとトイレがありましたよ。
御隅櫓

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2011
11.13

福山城

Category: 城めぐり
次は広島から各駅停車を乗り継いで2時間。広島県の東はずれ福山にやってきました。
ここは新幹線のホームから間近にお城が見えるところですね。
何度も山陽新幹線には乗っていて、その度に見ているのでつい軽視していました。
「どうせ戦後再建されたコンクリートの城で、チンケなものだろう。」と

ところがどっこい!予想は大きく裏切られました。
新幹線の横にこんな立派な城郭を有した城があるとは、驚きです。
全国の皆さん、声を大きくして言います。「福山城をバカにしてはなりませんよ!」

福山駅に降り立つと、正面の石垣の上には月見櫓が見えます。
駅の正面
今回は城の右手、裏門の方から攻めてみましょう。
不動産表示風にいうと、駅から徒歩1分ですね。

右手を回り込んで石段を登ると二の丸、さらに石垣を積んだ上に天守が見えてきます。
コンクリート製で味気ないイメージを持っていましたが、城郭の壮大さに合った巨大な天守です。
二の丸より
城の裏門でしょうか、「冠木門(かぶらぎもん)」からの入場です。
冠木門
本丸広場では「菊花展」をやっていましたが、当方興味がないのでパス。
そうそう広島城でも大々的にやってましたね。雨のせいで訪問客が少ないようでした。
これが正面からの天守です。やはり城は何製であっても天守閣があった方がいいですね。
天守正面
内部は広島城と同じように5階建ての博物館となっていました。
関ヶ原以降、当初は水野氏、その後は阿部氏と徳川譜代の大名が城主となっています。
一番有名なのが、幕末の老中:阿部正弘。
そうですね、90年「翔ぶが如く」の若林豪さんが印象的でした。
島津斉彬(加山雄三さん)と将軍後継に一橋慶喜をということで協力していましたが、
激務に耐えかね若くして急死してしまい、その後の混乱を招いてしまいます。

この日は「阿部家」の特集をやっていて、阿部家代々の宝物が展示されていました。
代々の阿部家の当主は芸術家的な人が多く、書や絵画の展示が多かったですね。
これが天守最上階からの風景です。ホント新幹線のホームが目の前です。
天守から福山駅
天守は残念ながら戦災で焼けてしまいましたが、門や櫓はいいのが残っています。
これは重要文化財の「筋鉄御門(すじがねごもん)」。
筋鉄御門
これも重要文化財の「伏見櫓」ホンモノです。
内部を上りましたが、小さな城の天守クラスの大きさがありました。
伏見櫓
西国の守りの要として、代々譜代の有力大名が藩主となった福山城。
10万石クラスの大名の居城としては、分不相応な巨大な城です。
外様の西南雄藩に睨みを効かすために、これだけの規模の築城を許したのでしょうね。
いやー何度も通り過ぎていたのに気づきませんでした。お許しを!

それにしてもJRの駅のすぐ横。こんな立地そうはありませんよね。
多分、右の道路とJRあたりが堀だったのでしょうね。
石垣横
ということで、夕方には福山を後にし横浜へ帰りました。
ちなみに、福山には1時間に1本だけ広島発の新幹線「のぞみ」が停車します。
急ぐ場合、これを使うと早く移動できますよ。

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2011
11.12

広島城

Category: 城めぐり
先週から今週にかけて西へ東へと大忙しの日日でありまして、こちらの更新が滞ってしまいました。
いろんなところへ旅しましたから、書く内容が沢山あります。
先ずは旅の始まりは広島から。当日は生憎の雨でした。

広島は川の中州に出来た町で、市内あちらこちらに橋があります。
私の印象では「橋」と「お好み焼き」の町という感じ。
そうそう前夜に食べた「広島焼き」もおいしかった。
駅ビルの2階で食べたのですが、「お好み焼き屋」が5、6軒同居してましたね。
広島
駅前のホテルに泊まり、朝早く雨の中を広島城に向けて歩きました。
20分ほど歩くと見えてきました。
堀の向こうの中央が太鼓櫓、左に多門櫓、平櫓と続きます。
平成6年に復元されたものです。
太鼓櫓
これが城の虎口。
さすが福島家、浅野家と40万石クラスの大大名の作りですね。石垣の石がデカイ!
虎口
わりと、あっけなく天守へ到着。まだ9時前で開いてませんねー。少し待ちますか。
あの原爆で破壊されましたので、コンクリート製ですが忠実に板張りで再現しています。
往時の雰囲気を残しているのではないでしょうか。
40万石クラスの天守としては、意外と小ぶりな気がしました。
(シロウト的にみて熊本城や姫路城と比べての気持ちです。)
そうこうするうちに9時となり開門です。本日第1号の入場者となりました。
天守
城の内部は5階建ての資料館となっており、当日は「福島正則」の特集をやっていました。
僅か20年の治世だったのに人気があるのですね。
彼のドラマチックな人生が人々の印象に強く残っているのでしょう。
私も2000年「葵徳川三代」の蟹江敬三さんの福島正則、感激しました。よかったですねー。

広島城の石垣を幕府に無断で改修したと咎められ、信州川中島4万5千石へ移封。
「大御所(家康)存命ならば、言うべき事もあるが・・・」と我慢して、
改修した城の石垣を破却したといいます。正則の無念さが伝わる出来事でありました。

天守からの風景です。今日は正則の涙雨でしょうかね。
最上階風景

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