2011
09.23

「生麦事件」を行く

Category: 街道をゆく
小説「生麦事件」の作者でもある吉村昭さんのエッセーを読んでいたら、生麦に住んでいる浅海武夫さんという方の話が載っていました。
浅海さんは生麦在住でしたが、明治維新のきっかけとなった「生麦事件」を誰も注目しないので個人で資料を集め、
自宅に「生麦事件参考館」という資料館を作り、今では講演で全国を飛び回っているそうです。

というわけでネットなどで調べ予約が必要なことを知り、早速浅海さんに連絡をとりました。
19日の敬老の日ならOKということで、急遽「生麦」を歩くことにしました。
先ずは横浜のJR鶴見駅で下車し、旧東海道を歩きます。薩摩藩:島津久光の大名行列と同じ道のりです。
これは、途中にある以前にも紹介した鶴見線の「国道駅」です。レトロな昭和の香りがいいですね。
国道駅
国道駅を過ぎると、何の変哲もない魚河岸の商店街です。ここは昔からの漁師町です。
休日で朝早いから誰も歩いていませんねえー。
旧東海道
歩いて15分くらいすると、右手の個人住宅の塀に記念碑がかけられています。
これも浅海さんの尽力によるものです。
生麦事件記念碑
通り過ぎて後ろを見てみると普通の住宅街ですが、150年前ここでまさに「生麦事件」が起きたのです。
(左手に小さく看板が見えますね)
殺害されたリチャードソンは、この辺りで薩摩藩士:奈良原喜左衛門らに斬られたようです。
事件現場
さらにここから歩いて10分くらいのキリンビール工場の見学門近くに慰霊碑がありました。
瀕死の状態でここまで逃げて来たリチャードソンが落馬し、苦しんでいるのを見つけた有村俊斎(後の海江田信義)が、トドメを刺したところがここら辺です。
この慰霊碑は明治になって建てられたとのこと。(現在は公共工事のため仮説の位置に移設中)
生麦事件慰霊碑
一通り事件の現場を歩き、浅海さんと会う時間になったので生麦駅近くの「参考館」へGO!
これが自宅を改造された「生麦事件参考館」です。ずいぶんモダンな造りですね。
生麦事件参考館
浅海さんは80歳くらいの恰幅のよいオジサンでした。
最近奥様を亡くされたそうですが、そういうことは微塵も見せずいろいろと説明してくれました。
1999年に吉村昭さんが来られた時の写真も飾ってありましたよ。
10月にはウォークラリーで2000人訪れる日もあるそうで、気丈に話されていたのが印象的でした。
こういう市井の歴史を愛する方の話が、生でしかもマンツーマンで聞けて快い時間でもありました。

そうこうするうちに時間も昼時になりましたので、すぐ近くのキリンビール工場のレストランにでも寄ってビールを一杯いただきましょう。
レストラン内はこんな感じ。
キリンビール工場内レストラン
昼間だから、これくらいにしておきます。
生ビール
ほろ酔い気分で、JR新子安駅を目指します。
国道15号線を横浜方面に歩いて行くと、途中京浜急行の踏み切りが参道となっている「遍照院」というお寺を見つけました。
JR線と京浜急行に挟まれた形の立地で、しかも入口は踏み切りを渡ってすぐ。
これは「珍百景」だと思いパチリ。これだから散歩は楽しい。
遍照院
充実の半日を過ごして、酔いが醒める頃には自宅に戻って来ました。
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2011
09.18

城巡りの旅:掛川城・駿府城

Category: 城めぐり
前日の岐阜にて台風が東海地方に向っているとのニュースを聞きました。
紀伊半島に甚大な被害を起こした、あのノロノロ台風です。
犬山城や名古屋城をゆっくり見て、東海道をのんびり旅しようと計画していた矢先です。
天気情報を聞き、「風雨の中での城めぐりは、ちと厳しい。予定を早めて明日は先を急ごう。」
ということにしました。

急遽、午後は掛川城と駿府城を巡ることにしました。
午前11時過ぎに名古屋を出発して、豊橋行きの電車の中で昼食を食べる。
今回の旅で分かったこと、次の目的地に向う電車の中が食事と休養の時間になることが判明。
新幹線ではすぐ着くのに各駅停車では時間がかかり過ぎて無駄とお思いでしょうが、
冷房の効いている車内の1~2時間が足で旅する者のいい休息になるのです。

豊橋まで1時間、乗り換えてさらに掛川行きに1時間で、午後1時頃に掛川駅到着。
こじんまりとした落ち着いた街ですが、人があまり歩いていません。
ここも北へまっすぐ10分くらい歩くと、お城に着きます。
いざ、登城!
掛川城
お城もこじんまりとしていますが、なんとなく抹茶のような味わい深いものがあります。
再建した天守閣です、資料が少なくて現存する高知城を参考にしたそうです。
そういえば、「功名が辻」のポスターがいまだにありましたね。
掛川城アップ
お城のアップです。コンクリートではなく木造ですので、かなりリアルに出来てます。
天守閣の最上階では人のよさそうなオジサンが丁寧に説明してくれました。
浜松の高層ビルまで遠望できましたよ。

また、城を降りてセット料金になっている二の丸御殿の方は旧来のもので見応えがありました。
よく映画の時代劇で使われるそうで、俳優さんの色紙が沢山ありました。
「必死剣 鳥刺し」とか「小川の辺」でも使用したそうです。

大河「功名が辻」の観光ブームが去ったので、城前のお店なんかもヒマそうにしています。
「煎茶ソフトクリーム」というのを見つけて頂きましたが、ついでに店のオバちゃんと話をしました。
ノンビリとしていて温暖な人柄の方が多いようですね。
煎茶ソフトがおいしかったので、もう1品「煎茶バームクーヘン」も購入。
帰宅して食しましたが、これも美味。

さて、午後3時前に最後の目的地:静岡に向って出発。
3時半過ぎには静岡駅に到着。駅前では竹千代君(家康の幼名)がお出迎えです。
竹千代像
駿府城も駅からは近いはず、メインストリートを城の方角へ進みます。
通常は駅から最も近い東門から入るのがスジでしょうが、途中から気が変わり迂回して北門の方へ向います。
こういうことができるのが一人旅のメリットでしょう。
何か目的があってのことではなく、単なる散歩人のカンであります。

「北御門」は大そう立派な石造りの橋と門でした。
なるほど天下普請の城では、こういうところにまで手間がかかっています。
石の大きさが掛川城と比べても揃っていますよね。
北御門
駿府城内はすべて平地の公園になっており、江戸時代の面影は残っていません。
東京での皇居前広場や芝公園などのたたずまいに似ています。
江戸時代に火災で焼失した天守閣の跡地には「家康」の像が立っていました。
(逆光で申し訳ない。これが携帯カメラの限界か。)
家康像
駿府城の見納めは、唯一復元された「巽櫓」です。
これだけが、在りし日の家康の隠居城である駿府城をしのぶ風景と言えるでしょう。
巽櫓
さあ、これで今回の「城めぐりの旅」は予定完了です。
時刻は午後の5時。お土産と弁当を買い込んで東京方面の各駅停車に乗り込みました。
横浜へは2時間半くらいかかる見込み。

ところが、乗り込んだ電車のシートを見てビックリ!
なんと通勤電車のような横向きのシートです。
「これじゃ、弁当を食べるわけにはいかんな。」
というわけで、発車まで時間があったので考え直し新幹線に変更することにしました。

静岡までの各駅停車の電車は、いずれも二人掛けの前向きシートで食事をするのに支障はなかったのにね。とほほ。
仕方なく新幹線「こだま」に乗り込みますと新横浜まで1時間ちょっと。
「こだま」は意外なほど空いてました。皆さん先を急いで「のぞみ」や「ひかり」を利用するのかしら。
食事もゆっくりできて、携帯カメラで撮った画像を振り返り今回の旅を反芻していたら新横浜到着です。

横浜に着くと平日の帰宅の時間帯。すぐさま現実に引き戻されます。
台風情報のために1日早めの帰宅となりましたが、旅の収穫は盛り沢山。
これからもどんどん日本国中「城めぐりの旅」を続けたくなりましたね。

おしまい


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2011
09.17

城巡りの旅:名古屋城

Category: 城めぐり
岐阜から電車で約20分、名古屋に到着。朝8時半くらいですが、通勤時間帯のわりには電車空いてました。
名古屋駅から仕事に向うサラリーマンと一緒にリュックをしょったオジサンも歩きます。
30分くらい歩いて、名古屋城正門へ到着。入場料を払い、いざ登城です。

これが名古屋城の天守閣。やはりデッカイですね。
名古屋城天守
本物は空襲で焼けたので戦後の再建天守閣ですが、熊本城や姫路城よりも大きいのではないでしょうか。
さすが天下普請の城、迫力があります。石垣の石も整っていますよ。
石垣のソリ具合などは加藤清正の影響でしょうか、熊本城に似ています。

ここで、今回「城めぐり」をしたお蔭で勉強したことを僭越ながら披露。
「現存12天守」という言葉を始めて知りました。
名古屋城のように消失して再建された天守閣でなく、旧来の天守閣を持つお城のことです。

北から 青森の弘前城、福井の丸岡城、長野の松本城、岐阜の犬山城、滋賀の彦根城、兵庫の姫路城。
中国地方では 島根の松江城、岡山の備中松山城
そして最後に四国 高知城、愛媛の宇和島城、松山城に香川の丸亀城です。

これらの現存天守閣のある12城は早いうちに全部網羅したいものです。
そう思っていたら、なんと四国に4つも揃っていますね・・・ということは次回の「城めぐり」は四国で確定です!

さて、これは戦災を免れた「西北隅櫓」です。
西北隅櫓
同じ重要文化財の岡山城の「月見櫓」よりもキレイですね。
メンテナンスの差なんでしょうか。入場料収入が違うのかも。

ぐるーっと天守閣を回り、内部を見学して表に出てきました。
正門から入場したので、帰りは東門から出ようと歩いて行くと、「おや」清正公が。
「石曳きの像」です。
加藤清正
天下普請の城造りですから、全国の大名が総動員です。
それぞれの大名が大きな石を運んできますから、間違えたり盗られたりしないように大きな石には刻印が打ってあります。

いやいや動員させられたので、ブツブツ言う福島正則に
「文句があるなら、国許へ帰って戦の支度をしろ!」とたしなめたのが加藤清正。
自ら率先して大石を曳いたという話が残っています。

名古屋城を去る前に、これも重要文化財の「東南隅櫓」
東南隅櫓
「尾張名古屋は城で持つ」・・・広くて大きい天下一品の城でありました。
見るところが多くて、時間がかかりました。午前中全部を使いましたので、次の目的地へ向うため名古屋駅に急ぎます。
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2011
09.11

城巡りの旅:岐阜城

Category: 城めぐり
安土駅で米原行きの電車に飛び乗って、更に大垣行き、豊橋行きと接続して岐阜に到着したのが午後の2時。
滋賀から名古屋方面へは1本で行ける普通電車がなく、苦労しました。2時間弱かかりました。
岐阜駅を降りて喉を潤そうと思ってお店を探しましたが、いわゆる都会風の(駅ビルにあるような)店が見つかりません。
そうか岐阜は新幹線が通ってないから、都市化されていないのか。
案外いい街かもしれないな。と思いましたね。

岐阜城のある金華山まで約3kmかー。歩くと遅くなるので、今回はバスを利用することにしました。
駅直結のぺデストリアンデッキを通って、岐阜城方面行きのバス乗り場へ。
すると左手に黄金の像が見えます。
多分アノお方でしょうが、先を急ぐので明日の朝にでも確認しましょう。

ということで、バスの運転手さんに岐阜城に行くことを確認して乗り込みました。
揺れること10分くらいで、運転手さんが「ここでいいですよ。」と教えてくれたのが、「岐阜公園前」の停留所。
金華山の麓は大きな公園になっていて、博物館などもありました。
中を歩いて行くと、なぜか板垣退助の銅像が。なんで?
板垣退助
どうやら、暴漢に襲われ「板垣死すとも、自由は死せず。」のあの岐阜事件の記念碑のようです。

公園内では信長の屋敷跡の発掘調査が続けられているようですが、それを見下ろす形でロープウェイに乗り込んで金華山山頂へ。
ロープウェイ
ロープウェイの終点から、しばし行くと岐阜城の二の丸・冠木門があります。
山城ですから平地の城の壮大さはありませんね。

二の丸・冠木門
そこから10分くらい登ったでしょうか。岐阜城の全景が見えてきます。
午前中の安土城で山登りに慣れていますから、これくらいはなんともありませんね。
ただし、山登りは下りの方が大変でした。膝がガクガクです。
岐阜城
案外の小ささに、やや拍子抜け。山城とはこんなもんでしょうか。
そうですよね。あの時代に山の上に大きな城を築く余裕はないですもんね。
安土城や肥前名護屋城などは、富と力を持った後の産物ですからね。

石垣にご注目。岡山城、姫路城などの江戸初期の城に比べてまだ粗野で荒っぽい組み方です。
岐阜城石垣
午前に安土城、午後に岐阜城を見て信長の思惑が分かりました。
やはり彼は山城が好きなんですね。それと周りに対して猜疑心の強い人です。
「天下平定を進めるために京に城を築きたいが、まだまだ回りに敵が多すぎる。
 防御の面を考えると山城の方が守り易い。それに小高い山の方が見晴らしも利く。
 ならば、交通の要所である近江の安土山あたりに城を築けばいいのではないか。」
彼の防衛本能、「お山の大将的」自尊心、地理的起動力から安土に決定したと確信しました。
まだまだ、時代が大坂城や江戸城を築くような安定前の不穏な状況からの判断でしょう。

この日は、岐阜の柳ヶ瀬(美川憲一の「柳ヶ瀬ブルース」で有名?)近くのホテルを予約。
夕方食事をしに、柳ヶ瀬のアーケード街へ。のんびりとした地方都市の風情です。
「大福屋」という小さな定食屋で「井ノ口丼」とやらを食べました。なんと550円安い!
山菜のかき揚げと鶏肉の丼でした。
信長が「岐阜」と命名する前は、「井ノ口」と言われていたそうです。
そういえば、バスで市庁舎の前を通った時「井」のマークがありましたね。
食後にアーケードの中に喫茶店を見つけ、シフォンケーキとコーヒーのセットを。これも700円と安い!
ホテルの対応もよく、なんとなく「岐阜」という街が好きになりました。

翌朝、岐阜を出発する際に前日気になっていた駅前の黄金の輝きを確認しました。
やっぱり思った通り、「信長公」でしたね。
黄金の信長像

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2011
09.10

城巡りの旅:安土城

Category: 城めぐり
ここで掲載している写真ですが、やや不鮮明な写りのモノがあります。
実は携帯電話のカメラだからです。
いろんなところを散歩したり、旅行に行った時にすぐに写したいケースがありますね。
そこでいつもデジタルカメラを持参しているわけではないので、
携帯電話の中でカメラ機能が一番よさそうなシャープの「AQUOS SHOT」を今年購入しました。
こいつで、いつでもどこでも気軽に撮っている次第であります。

というわけで本日は、今回の旅でも一番の目玉:安土城であります。
新大阪を8時過ぎに出発し、野洲行きの快速列車に乗り込みます。
東京周辺と違って、そんなに混んでいませんね。空席があり座れました。
1時間ほどで野洲に到着。安土駅へはここで各駅停車に乗り換え2つ目です。
9時半に安土駅に到着しました。

駅前は閑散としており、田舎の駅といった風情です。
信長公のショボイ銅像がありましたが、パスして安土城近道と書いてある方向へ出発!
歩いて15分、途中「セミナリヨ跡」という看板あり。
セミナリヨとはイエズス会(キリスト教)の初等教育機関で、信長の肝いりで安土に初めて建てられました。
ヴァリニャーノやオルガンチーノもここにいたのでしょうね。
ルイス・フロイスなんかも立ち寄ったのでしょうか?
セミナリヨ

さらに田舎道を15分ほど歩くと、田んぼの向こうにそれらしきモノが見えてきました。
さあ、これが安土城の大手道の石段です。興奮でドキドキしますね。
大手道石段
石段の左右に橋のような渡がありますが、向って左が秀吉の屋敷跡、右が利家の屋敷跡らしいです。

8月の終わりですが、残暑厳しく炎天下の中をリュックしょって汗だくになりながら安土山の頂上を目指します。
後で見たら、帽子から白い塩が吹き出してました。
長く感じましたが、20分くらい登ってやっと二の丸の虎口に到着。
二の丸入口

さらに15分くらい登って、やっと天主跡に到着!
安土駅から歩いて1時間以上。登山家には失礼ですが、峰に登頂した気持ちに近い感激でしょうか。
これが天主跡から眺める近江平野とその向こうには琵琶湖も。信長も見た景色です。
近江平野
ここで20分くらい「信長の気持ち」に浸りながら、汗の引くのを待ちます。
そうですね。今回の旅では毎日ペットボトルの水を3~4本飲みました。
こういったスタイルの旅には水が不可欠なので、無くなりそうになるとすぐに補充しました。

近江平野を望む上の写真のバックには、下の写真の天主跡があります。
この風景を見ると、僅か3年でその役目を終えた安土城の「はかなさ・哀れ」を感じずにはいられません。
天主跡
他のお城は「天守」と言うのですが、この安土城だけは「天主」と呼ぶのだそうです。
安土城が史上初めて天守閣を備えた城だからでしょうかね。

さて次の予定もあるので、これにて安土城を後にしました。(山を下る途中で総見寺跡なども見学。)
昼になるので安土駅に向う途中で食事でもと思っていましたが、食堂などがありません。
途中1軒だけ「ほか弁」の店があったので、急いで作ってもらい12時過ぎの米原行きに滑り込みセーフ!
電車の中で弁当をいただきました。

食後の車中で「なぜ信長は、この地に城を建てたのだろう?」ということを考えました。
岐阜よりこちらの方が地理的に有利という理由だけでは、こんな不便な山の上に建てないだろう。
車中では結論が出ませんでしたが、次のお城を見てからその理由がはっきりと分かりました。

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2011
09.04

城巡りの旅:姫路城

Category: 城めぐり
岡山駅から岡山城・後楽園へは大通りを東へ一直線で来れます。
その道を昨夜とは逆に岡山駅へ向います。
昨夜は表通りを歩きましたが、今朝は明るいので太陽の影になる裏通りを歩きます。
これはいつもの散歩のクセで、来た道とは違う道を帰り道にします。
そうすると、いつも新しい発見がありますね。

10時過ぎの相生行きの普通列車に間に合う。これだと相生で姫路行きに接続。
約1時間半かけて姫路へ到着。新幹線なら30分弱ですがね。
姫路も駅前からお城へは北に向って大通りを一直線です。約1km弱。
岡山や姫路のように駅からお城へ直線の大手道がある城下町は明解でいいですね。
城を中心に街づくりが成され、何よりも我々旅人が迷わなくて済みます。

駅前でカレーとコーヒーを腹につめ、さあ着きました。姫路城の大手門です。
姫路城門
さすがに国宝の城。入口からしていい雰囲気です。

事前に聞いてはいましたが、大天守は補修工事中でスッポリと覆われ本丸からの記念撮影もできませんね。
とりあえず小天守で我慢して下さい。右側の壁が大天守を覆っている箱です。
姫路城小天守

一応、200円払えば、工事中の箱の中へ入れてエレベーターで上り補修の状態を間近で見学できます。
しかし瓦も取り外され、壁も剥がされている「白鷺の城」を見ても感激はしませんでしたね。
やはり姫路城は本丸広場から大天守を中心とした白亜の形での遠景がベストだと思います。
工事が完成して全貌が現れる日が待ち遠しいですね。

とりあえず、西の丸からの遠景。
姫路城遠景

天守閣には登れませんでしたが、西の丸の化粧櫓やそれに続く長廊下は見ごたえありました。
表面的な華やかさはありませんが、ここらの作りが時代や人の営みを感じさせるものですね。
それと石垣が時代感覚を表していました。
(後で気付いたのですが)戦国時代の野面積みの石垣よりは洗練されてはいますが、
名古屋城や駿府城などの天下普請の城の緻密さ丁寧さはない、中程度の戦国的荒々しさを感じました。
(この意見も専門家ではないので悪しからず)
天守だけではなく、こういう部品1つ1つが国宝たる所以だと思いました。

さて、城めぐりの初日はここまで。
次の宿は知人に会うために新大阪にとりましたので、姫路駅より午後3時過ぎの新快速で新大阪駅へ向います。





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2011
09.03

城巡りの旅:岡山城

Category: 城めぐり
今週、遅い夏休みをとって「城めぐりの旅」に出かけました。
以前5月の連休の時に横浜の自宅から小田原まで歩いて、いたく感激しました。
そして城のある町の風情が歴史を愛する者にとって、とても味わい深い旅であることを認識しました。

そうだ、城をめぐる旅を計画したら、面白いかもしれない!
今回は山口県の方へ所用があり、往復切符を利用して「ぶらり途中下車の旅」であります。
(そういえば、旅の途中で滝口順平さんの訃報を知りました。ご冥福をお祈りします。)

旅の始まりは、先ずは岡山城からです。
山口での用事を済ませ、夜8時くらいに到着。
翌日の行程を考え、お城に最も近いホテルを予約しました。
ちなみに今回の旅ではJRの切符以外は全て徒歩で走破することにしましたので、岡山駅から1km歩いてホテルへ。

翌朝、ホテルを出てすぐ近くの岡山城へ
岡山城
朝早いから誰もいませんねえ・・・。
ここで失敗しました。天守に登れるのは朝9時からなのです。
まあ、しょうがないですね。旅は朝早くからの行動が原則だからね。
あとで分かったのですが、お隣の「後楽園」は朝7時半から開いてるそうです。

重要文化財の月見櫓
月見櫓

この岡山城、特殊な形をしてますね。台形のような。
私の印象としては黒さ形が秀吉の大坂城に似ているのでは?と思いました。(専門家ではないので悪しからず)
こちらの本丸庭園側から見ると平地に立っているように見えますが、反対の川側(後楽園側)から見ると高台にそびえています。

こんな感じ。(左がお城で、右が月見櫓)
岡山城遠景

次は橋を渡って、上の写真のこちら側にある「後楽園」へ。
そうですね。今回は岡山城と後楽園を見学しましたが、お城よりも「後楽園」の方が主という印象を受けました。
さすがに日本三名園の1つですが、個人的にはナンバーワンではないかなと思いました。
後楽園
後楽園蓮池
かなり広い庭園ですから、見て回るのにかなりの時間が必要です。
もう少しゆっくり鑑賞したかったのですが、徒歩と各駅停車での旅ですから次の目的地へ向う時間となりました。
新幹線や車を使わないと汗をかきかき、早足の旅となりまする。
そうそう、今回初めてリュックを使いましたが荷物を預けることなく何処へでも行け便利でしたよ。
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