昨日は休日だったので、横浜の自宅から桜木町まで歩いてみました。(帰りはさすがに電車にしました。)
途中公園などでトイレ休憩をとりながら、約12kmを2時間半で歩ききりました。
日頃から「東京散歩」をしているので、脚はなんともなかったですが、やや腰の張りを感じました。
夕方にはいつもの水泳で血液の循環をよくしたので、今朝起きても筋肉痛などは無いようです。

「東京散歩」と「横浜散歩」を比べてみると、断然「東京散歩」の方が充実していますね。
なんと言っても東京と横浜では公園の数が違います。
都心は大きな大名屋敷や寺社が多かったので、その名残が多く憩いの場所が点在しているのです。
反面、横浜は港周辺は整備されていますが、残念ながらその他の地区は100年以内の歴史しかなく、
道路とビル、住宅の連続で歩いていても退屈な風景です。

歩きながら思いついたことが1つ。
せっかく桜木町まで歩いて来たのだから、これを継続して次回は桜木町から鶴見まで、その次は鶴見から蒲田までと。
こうやって休日毎に繰り返して行けば、職場のある東京:田町までたどりつけるのではないでしょうか。
そうすれば、1度歩いた道ですから帰宅難民になっても迷わなくて済むし、おおよその歩く時間も分かります。

昨夜のテレビ東京「アド街」を見ていたら、「芝 増上寺」をやってましたね。
おー、私のいつもの散歩コースではありませんか。
散歩しながら携帯カメラで写していた建物がいくつか紹介されていて、へーそういう「いわれのモノ」だったのかと再認識。

これは2代将軍:徳川秀忠(お江の夫ですね。)の台徳院霊廟があったところ。(戦災で焼失たものを再建したので見かけは新しい。)
右に東京タワー、左にプリンスタワーが見えますね。
台徳院霊廟

これはマラソンの中継の時によく映る「三解脱門」という増上寺のシンボル的なところです。
三解脱門

ためしに昨日、一昨日と娘の万歩計を借りて計ってみました。
平日の「東京散歩」の日は約14000歩、休日の「横浜散歩」では22000歩くらいでした。
これから近くの電器屋に行って、自分用の万歩計を買ってきます!
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2011.03.20 東京散歩
大震災から10日経ちますが、被害の状況が分かってくるにつれ戦後最大の危機的状況であることがヒシヒシと伝わってきます。
被災された方たちのお気持ちや如何にと、ただただ遠方からお見舞いの言葉しかありません。

あの日はたまたま休暇で自宅にいたものですから、地震直後はわりとのんびりした感じでマイペースでパソコンを検索などしていました。
ところが夕方にかけて東北地方を中心に甚大な被害が起きて大変なことになっていることを知りました。
しかも、その余波は東京周辺に及び会社の同僚を含め多くの帰宅難民が出てパニック状態であったとのことです。
混乱は今週以降も続き、計画停電や突発停電の情報に振り回され、その度に交通機関の大混乱が発生しています。
また、米やパン、飲み物、トイレットペーパーまで買いあさっているオバサン、オジサンを見るにつけ、
人間の浅はかさを見せ付けられるようで、こんな人たちと生きているのかと残念でたまりません。
家族には「買いだめ禁止令」を出していて、「米やパンやトイレットペーパーが無くても人間は生きていけるよ!」と固く戒めています。

あの大地震の日にもし会社(東京の田町)にいたら、どうしていただろうとよく考えます。
日頃から運動を心がけていて体力には自身がある方なので、迷わず歩いて自宅を目指したと思います。
横浜の自宅へは30kmくらい、まあ明け方には着いたのではないでしょうか。

いつも会社の昼休みには40分くらい散歩をしていますが、そのことを実証するために今週から目標を持って歩いてます。
先ずは自分がどのくらいのスピードで歩けるのか?
計測したらトップスピードは1分で100mくらい、つまり10分で1kmですね。
これなら1時間で6km歩けるはずですが、30分くらいそのスピードで歩いたらバテてしまいます。

そこで、どのくらいのスピードで歩いたら、バテずに速く歩けるかを計測してみました。
結論は1分に80mくらいのスピードです。これなら1時間で5kmは歩ける勘定になります。
そう計算すると実践です。田町から昼休みに歩ける範囲を歩いてみようということにしました。
東京タワーのところくらいまでは軽く往復でき、芝公園を散策する余裕もあります。
東京タワー

翌日は品川方面を攻めてみました。
泉岳寺の手前に「高輪大木戸跡」という大きな石垣が残っていました。
高輪大木戸

今まで目的も無く散歩していたのが、新しい目標ができて楽しくなりました。
東京の内部にはまだまだ知らない名所・旧跡が残っています。
それを自分の足で昼休みに巡ることができ、しかも脚力を鍛えることもできるのです。
毎日泳いでいるので、泳力には自信があります。
仮に多摩川の橋が崩落しても泳いでわたることもできるでしょう。
これに脚力が加われば、何十キロ離れていようが家族の下へは必ずや到達できるはずです。
昨日の地震は大変でしたねえ。
たまたま予定がキャンセルされたので、休暇にしておいたのが幸いし帰宅難民にならずに済みましたが、
自宅では食器棚が倒れてはいかんと、必死でガラス戸を支えておりました。
東北の方は甚大な被害で、犠牲者も多く心からお見舞い申し上げます。

一昨日の午後は永田町の方へ出かける用事があったので、少し早めに出てお堀端を歩いてみました。
災害の1日前でしたので、ゆったりとした時間が持てました。1日違いで天地がひっくり返る騒ぎです。
下の写真は、1度は確認してみたかった「桜田門」であります。
あー、この辺りで井伊大老は襲撃されたのね。と感慨にふける。

桜田門
夕方になって用事も済んだので、前々から訪れてみたかった紀尾井町の清水谷公園へ。
「紀尾井町」とは紀伊家と尾張家と井伊家の屋敷があったことから名づけられたとのこと。
そう、明治の元勲:大久保利通が暗殺された紀尾井坂があるところですね。
永田町の都市センターホテルの前から細い階段の小道を数分下って行くと、右手にありました。
都心のなかにひっそりと緑に囲まれた「清水谷公園」。
ブラタモリではないですが、東京の真ん中は新しい発見のあるミステリーゾーンが一杯です。

公園の真ん中には「贈右大臣 大久保公哀悼碑」というでっかい石碑がありました。
そうかー、大久保さんはこの辺りでやられたのか。とまたまた感慨にふける。
大久保公
90年「翔ぶが如く」の鹿賀丈史さんの熱演は今でも白眉として記憶に残っています。
幕末物で何人かが大久保を演じていますが、鹿賀さん以外はどうもパッとしませんね。
しいて上げれば80年「獅子の時代」の鶴田浩二さんくらいでしょうか。
大久保さん自体があまりドラマ向きのキャラではないのでしょうかね。

とかく西郷さんに比べて冷酷,非情の印象が強く、人気の点で見劣りのする大久保さんですが、
これほど度胸、気概、実行力を持った政治家は明治以降そんなにいません。
特に現代の政治家を比べると、あまりのスケールの小ささに同じ日本人かよ!と言いたくなります。

この石碑が立つ位置から少し赤坂側へ下った地点で、非業の最期を遂げた大久保利通。
その懐には家族にも内緒で、西郷から送られて来た2通の手紙が袋に入れてあったとあります。


2011.03.06 水戸黄門
水戸黄門
昨日は梅を観に水戸の「偕楽園」まで初めて行ってきました。
これも初めて日帰りのバスツアーを経験してみましたが、とても快適で満足しました。
また利用したくなりましたね。
まだ五分咲きでしたが、春めいた天気で沢山の人出でした。
写真は駐車場の横にあった黄門様の銅像で、かなりデカイものです。子供と比較すれば分かります。

とにかく水戸は①に黄門様、②が徳川斉昭、③が徳川慶喜という順番で話題になっていましたね。
そうでしょう。今のテレビドラマのレギュラー番組で時代劇は「水戸黄門」と「大河ドラマ」だけです。
このままでは時代劇を制作するスタッフの技術が廃れるのではと、先日購入した「大河ドラマ大全」で危惧されていました。
今や日本の時代劇を守るのは2つの番組だけとは、視聴者も心して見続けて行かねばなりませんね。

「偕楽園」では好文亭や千波湖を望むベンチでお弁当を食べたりして、2時間ほど梅を観ながら散策しました。
確かにこれほどの梅林がある公園は2つとないほどの広さで、いいタイミングで来れたものだと納得の1日でした。
帰りに東門を出て、しばらく下って行くと少し入り込んだところに大き目の石碑が訪れる人も無く立っていました。
看板をみると「大日本史完成の地」との記述がありました。
梅見には何万人も人が来るのでしょうが、こういう石碑に興味を持つのは私くらいかなと微妙な気持ちでした。
石碑

そういえば、思い出しました。天下の名優:石坂浩二さん、大河の主役や吉良上野介や千利休もやってますが、
今の「水戸黄門」である里見浩太朗さんの前は僅かの間でしたが石坂さんでしたね。
やっぱりここにも名優の証が残ってました。できればもう1度、黄門様を演じてほしいものです。