2013
08.13

そしていよいよ京・三条大橋へ!

Category: 東海道53次
最終日はいよいよ京・三条大橋へ向かいます。
こちらは宿泊した「滋賀県青年会館アープしが」です。「アープ」とは「水の神」とのこと。
立派な公共の宿で、部屋は普通のホテルより広くて居心地はとてもよかった。
夏休みの直前でしたので、宿泊客はなんと私一人でした。
写真の左手の食堂で朝食をいただきましたが、一人でしたので上品そうな給仕のご婦人相手に旅談義を咲かせていたら、出立がいつもよりゆっくりになってしまいました。
それでも昼ごろには京都に着くことでしょう。
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昨日の義仲寺(ぎちゅうじ)の辺りから東海道をたどりますが、もう1度琵琶湖を見たくなりました。
琵琶湖に面した常夜燈、それと左手には比叡山が見えます。
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まだまだ古い町並を残す大津の中心街を抜けて行きます。
高層のマンションなんかも1階部分は和風に作られていました。
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通りの隅にひっそりと「大津事件」(ロシア皇太子ニコライが警備の巡査に斬られて負傷した事件)の石碑がありました。
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東海道は京阪電車にぶつかるところで左折し、一路京都へ向う道になります。
途中、右手には百人一首で有名な蝉丸ゆかりの神社が続きます。
蝉丸神社は下社もありましたが、こちらの上社の方が大きいようです。
「これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関」という和歌を詠んだ蝉丸は、この辺りに住んでいたそうです。
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こちらがその「逢坂の関」であります。
古代における「不破の関」と「鈴鹿の関」に続く京を守る3つ目の関だったそうです。
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逢坂の関を過ぎて山科の追分に入ると寺の境内に「車石」が展示してありました。
江戸時代に牛車で京への坂を登る際に、石で轍を造り車を引き易くした名残であります。
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上の「車石」が展示してあった閑栖寺(かんせいじ)というところです。なんとなく南蛮風ですね。
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山科から京へはまだまだ一山越えそうな風景です。東海道らしい一本道が続きます。
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「徳林庵」という六角堂がありました。
オジさんがポンプで井戸水を汲んで水を撒いていました。話しかけて井戸水に触れたらとても冷たくて爽やかでした。
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山科を過ぎ、天智天皇陵のところから車が行き交う三条通りを離れ、山道へ入って行きます。
本当にこの道でいいのか不安になるように、どんどん山の中へ向かって行きます。
とりあえずガイドブックの表示を信じて進みます。
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そして再び三条通りに合流しました。ホッ!
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合流地点の左手には例の「車石」のサンプルが数台展示してありました。
なーるほど、こういう風に荷車を引いていたのですね。
さあて三条大橋までは、この道を行けばあと3kmほどで着きます。
時間は丁度正午。着いてからの昼飯はどこにしようかな、などと考えていましたがね。
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蹴上の浄水場を過ぎて、京都の街中に入ってきました。
交差点で信号待ちをしていたら、右手に赤い鳥居が見えています。平安神宮の鳥居でしょう。
三条大橋はもうすぐです。
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ところが信号待ちをしている間に、どうも気になることが・・・。
信号の手前でチラッと見たこの店のことが気になって戻ってきました。
すると女将が笑顔で迎え入れてくれました。
カレイの一夜干に6品のおかずとコーヒーが付いて1000円という破格の値段に吸い込まれるように入店しました。
多分、今までの旅の経験が「これを逃したら他に食べるところはない!」と言っていたのでしょう。

やっぱりカンは当たりましたね。6品のおかずがどれも満足できる料亭の味でした。
「横浜から歩いて三条大橋に向っていて、普通なら着いてから食事なのに吸い込まれるようにこの店に入ってしまった。」と言ったら、女将や息子さんの板前さんまで出てきて歓待してくれました。
今までの旅の話をしていたら、お代わりのアイスコーヒーまで出て1時間も長居してしまいました。
帰りには次回もどうぞと名刺までいただいた京都・東山の「竹泉」さんでした。
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到着直前に昼食をとるハプニングがありましたが、残り1kmを15分くらい歩いて三条大橋へゴールインです。
出迎えは誰もいませんが、三条大橋の擬宝珠(ぎぼうしゅ)のみが暖かく迎えてくれます。
長かった約500kmの旅の終点であります。
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陽も高く時間もあるので、まだ行ったことのない銀閣寺へ寄ってみました。
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初めて見る「銀閣」であります。
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その後は疎水沿いの「哲学の道」を南禅寺方面へ歩いてみました。
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そして大きな南禅寺の山門を見上げて、先ほど三条通で通り過ぎた地下鉄「蹴上」駅から京都駅に向いました。
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この日の夕方、新幹線で京都駅を立ち僅か2時間後には横浜に戻ってきました。
トータルで20日間もかかった「東海道53次の旅」が新幹線ではアッという間です。

しかし、この20日間に経験できた53次の人々との交流は2本の足で歩くことでこそ出来たことです。
苦しかった箱根の山越え、蒲原や興津で味わった人情、そして土山で受けた会う人全員の挨拶、どれもこれもいい思い出となりました。
全てを自分で判断する一人旅で53次を踏破するということは、大げさに言えば今までの人生感を試されるような旅でもありました。
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2013
08.09

52草津~53大津

Category: 東海道53次
今日は石部宿を出立し、53次の最後:大津宿まで歩を進めます。
ところで、手堅く融通が効かないような人のことを「石部の金吉」といいますが、
石部の近くに金山があったことからとても堅いもののセットで、ここの出身ということになってます。
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石部からその金山とJR草津線の間の道を歩いて行きます、細い道を通勤の車が前後から来て往生しました。
しかも途中から雨が降り始め、気の使う道のりでありました。
今回の旅で本降りの雨は初めてですので、途中の如来堂で合羽と傘を取り出して装備を直します。
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石部から1時間ほど歩くと、大そう立派なお屋敷が見えてきました。
「旧和中散本舗」の石柱が見えます。薬の販売で財をなした大角家の邸宅であります。
徳川家康がこの地で腹痛を起こした時にここの薬で治ったということで、小堀遠州作の庭もある豪商の姿を今に伝えるものです。
そういえば、この街道沿いに「大角さん」という家が数軒ありましたね。
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この辺は石部と草津の間の宿で、まだのどかな田園風景が残っています。
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どんどん琵琶湖の方に近づいていますが、こんな石柱もありました。
丁度東経136度の子午線を通過ということです。
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東海道では数少ない足利将軍の名残ですが、私が注目したのは「金」へんに「句でなくム」でなんと読むのかしらということです。
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近くの交差点に答えがありました。「まがり」と読むのですね。
道中こんな遊びもありませんとね。
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この幅の道が延々と続くのが東海道らしい「たたずまい」であります。
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草津宿の少し手前です、この辺りには「目川田楽」の茶店が多くあったといいます。
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新幹線と国道1号を越えて、さらに水無川となった草津川を越えた左手の方が草津宿です。
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このトンネルの上が草津川で天井川になっています。この交差点で中仙道と合流します。
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上の交差点の右手にあった標柱です。「左中仙道美のぢ 右東海道いせみち」とあります。
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草津宿での見所はこの「田中七佐衛門本陣」です。入館料は200円と割安。
東海道で本陣の中まで見れるのは二川とここだけですね。
ここを見るために昼間に草津を通過できるようスケジュールしました。
草津泊まりでは夕方か早朝になり本陣が開いてませんもんね。
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本陣を見学してから表に出て向う大津方面への草津宿の町並です。なんとなく名残はありますね。
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そろそろ昼時で食事でもと思いますが、草津でもあまり食べるところはありません。
やっと寿司屋を見つけて入店。時間が少し早いのか客は私一人でした。
水口でもそうでしたが、この辺は京大阪の食が影響してか箱寿司が目につきます。その箱寿司セットを注文900円なり。
箱寿司のネタを聞いてみたら「鱧(はも)」ですって。とてもおいしかった。
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ほんと東海道を歩いていて食べられるのは、うどん、そば、団子、餅にちょっと贅沢といえば寿司くらいです。
でもこの選択は間違っていませんでした。入った寿司屋さん以降食べるところは大津までありませんでした。
旅に慣れると、こういうカンは発達してきます。

大津の手前の瀬田あたりで、ため池のほとりに「立場跡」の石碑があります。
のどかな風景もここらくらいまでで、これからは大津・京都といった都会へ向って行きます。
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今日の泊まりである大津が近づいた余裕から、「近江国府跡」という表示につい寄り道をしてしまいました。
だだっ広いところに石柱と館みたいのが建っていました。
ちょっと前に行った多賀城みたいなとこですが、住宅地に突然空き地があるという空間でした。
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さていよいよ「瀬田の唐橋」を渡ります。
右手に見えるのは瀬田川の中州にある「滋賀青年会館アープしが」であります。奥の方は琵琶湖。
今宵の私の宿でして、1泊朝食付きで6000円です。
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これが戦乱で幾たびも焼け落とされ、政争の舞台となった「瀬田の唐橋」です。
武田信玄もここに御旗を立てたかったと言い残して、亡くなりました。
そういう歴史を経て、今は擬宝珠(タマネギのようなヤツ)が青空に映えるのみであります。
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草津から4時間、とりあえずリュックをホテルに置き、陽も高いので旅をさらに続けます。
大津にはまだまだ古い家並みが残されています。
例の朱塗りの連子格子も健在。やや色が海老茶になっていますかね。
「こういうメンテナンスに自治体からお金は出ているのですか?」とおそるおそる尋ねたら、
「まったく個人の費用で賄っている。」との返事でした。やはりお金持ちにしかできませんよね。
玄関の横にある梯子みたいなものは、倒してベンチや花台になる昔ながらの「ばったん床几」というものだそうです。
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琵琶湖を見ようと膳所(ぜぜ)城跡へ向うと、お城のような建物がありました。
膳所城ではなく、お城を意識した市民センターでありました。
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膳所城の大手門がありました。
徳川家康に命じられた天下普請の第1号の城で、築城名人:藤堂高虎の縄張りによるものであります。
「瀬田の唐橋を征する者は天下を征する」と言われてましたもんね。
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今では公園になっている本丸から、夕暮れの琵琶湖に架かる「近江大橋」を望みます。
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本日は木曽義仲や松尾芭蕉が眠る「義仲寺」まで行こうと思ってましたが、すでに午後の7時を過ぎて閉まってました。
仕方ないですが、明日も出立は早朝ですから中は見られませんね。本日の行程はこれで終了とします。
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ホテルの部屋からは琵琶湖を行き交うボートの練習が見え、「琵琶湖周航の歌」が思い出される風情でした。
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2013
08.02

50水口~51石部

Category: 東海道53次
3日目、「大安旅館」は素泊まりだったので、朝の6時には出立です。ちなみに料金は5250円なり。
朝食を求めて近くのコンビニに行く途中、高さ10mくらいの「平成万人灯」が交差点にありました。
竹下内閣の「ふるさと創生資金」で造られたとのこと。
そういえば、鈴鹿峠を下ったところにあった「万人講」もそうなのかもしれませんね。
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サンドウィッチで腹ごしらえをした後、東海道は川沿いの道を琵琶湖に向って行きます。
ここは琵琶湖にそそぐ「野洲川」の上流です。
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この辺はまだ土山の一部ですが、滋賀県に入って朱塗りの連子格子の家が頻繁に見られるようになりました。
虫除けなのか防腐なのか関宿などでは見られなかったものですね。
あとで気付いたのですが、こういった処理をしている御宅は比較的裕福な感じがしました。
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のどかな宿場町が延々と続いています。
この土山は、道をすれ違う小中学生、オジさんオバさん、お爺ちゃんお婆ちゃん全員が「あいさつ」してくれるのです。
いやー、感心しました!こんな旧宿場?の習慣がまだ残っているのですね。
さすが「あいの土山」!
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歩き始めて2時間、丁度トイレ休憩できる場所があり、腰掛ける日よけつきのベンチもあったので一休みしてました。
見ると、ここは小学校の敷地内だったようです。写真の右手の方にトイレとベンチあり。
目の前には校長先生と思しき中年のオジさんが水をまいていました。

すると「どちらからいらしゃいました?」と話しかけてきました。
「横浜から歩いて東海道を京都まで行くつもりです。」と10分くらい旅行談を。
最後に「ここ公共のトイレかと思ったのですが、小学校の敷地内ですよね。セキュリティとか関係ない感じですか?」
「一応、校門(門柱のみでフェンスなし)には関係者以外は立ち入り禁止と書いてあるのですが。」と笑ってました。
なんとも鷹揚な土山がとっても好きになりました。
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長かった土山宿の終わり近くに一里塚が復元され休憩所になっていました。
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しばらく歩いたところに「岩神社」という標識があったので、少し丘を登ってみました。
中腹に岩神様を祀った祠がありました。
古い民間信仰でしょうが、素朴でいいですね。
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歩くこと4時間、やっと次ぎの「水口(みなくち)宿」の江戸見付に到着しました。
いろいろ話したり見学したりで、歩くのに時間がかかります。
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すぐに本陣跡はありましたが、説明のみで遺構は何もありません。
ほんと宿場毎に古いものを残してあったり、近代化されたり様々ですね。
水口は鉄道が通っているので、古いものが失われたのでしょう。
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道が3本に分かれて行く、個性的な町並は残っています。
常夜燈や高札場は残されています。
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かつての宿場のメインストリートです。なんとか風情を残そうとしている様子は伺えます。
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そして3本の道が再び合流するところ、真ん中の道を歩いてきました。
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昼時だったので、うどん屋さんで「うどんと箱寿司のセット」をいただいたあと寄り道して「水口城」を見学しました。
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この城は三代将軍:徳川家光が上洛の際に宿泊用にわざわざ建てられた城で、防御用というより二条城のような接待用の城であります。
小ぶりながら上品な感じで、小堀遠州作の庭もあったそうです。

この櫓は再建されたもので、中は資料館になっています。入館料100円。
入ると客は私1人で、案内のオバちゃんが麦茶を入れてくれたりしてとても親切にしてくださいました。
今までの旅をいろいろお話していたら、帰る時はわざわざ見送りに出てきてくれました。
こういう旅話は結構中高年にウケルということがわかりました。
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水口宿から次ぎの石部宿へは、ほぼ真っ直ぐで単調な道が続きます。
こういうのを畷道といいます。ここは僅かに残った松並木です。
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再び野洲川にぶつかりますが、もうここではかなりの大きな流れになっています。
釣り人がチラホラ釣り糸を垂れてます。鮎でしょうか?
橋はなくなって国道の方へ大きく迂回しなくてはなりません。
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川の手前には大きな常夜燈がそびえてました。かなりでかく東海道一ではないでしょうか。
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石部(いしべ)宿が近づいてくると、「大沙川(野洲川の支流)」の下のトンネルを通ります。
いわゆる天井川というやつですね。川の下をくぐるのは初めて。
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単調な道のりを2時間歩き、何の変哲も無いところにひっそりと石部宿の本陣跡はありました。
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現在の石部宿の町並です。土山や水口と比べてもパッとしませんね。
徐々に琵琶湖が近くなり、ベッドタウン化されているのでしょう。
今日は、この近くの甲西駅にあるホテルで泊まることにしました。
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2013
07.26

48坂下~49土山

Category: 東海道53次
関ロッジを朝の8時に出立。今日は最後の難関「鈴鹿峠越え」であります。
しばし国道沿いの脇道を歩きます。
前方の山々が鈴鹿山脈で、峠はそこを縫って行きます。
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国道を右折し、のどかな田園地帯に入って行きます。
山の間間に村落があり、かつての里山の風情が残っています。兎追いし~♪
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こちらはかつての小学校。過疎化で廃校になり、今では公共の施設になっています。
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右手に小学校で左手が鈴鹿馬子唄会館ですが、本日は休館日でした。
その間の道に53次の宿場名が書いてある柱が立っています。
今まで歩いて来た道のりを振り返ることができました。
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10分くらい歩くと、旧坂下宿の中心に入ります。
道の両側に民家はありますが、かつての賑わいは全くありません。
鈴鹿峠を控えて、本陣、脇本陣や多くの旅籠が立ち並び繁栄していた町も明治以降は鉄道などの近代交通に取り残されて急速にさびれたそうです。
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かつての本陣は茶畑と化していました。
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さていよいよ峠の坂道に入って行きます。
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いかにも古そうな片山神社の横の旧道を登って行きます。
ここは「鈴鹿流薙刀術」の発祥の地だそうです。
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おう、久しぶりの石畳ですね。金谷(掛川の手前)以来でしょうか。
石の感じは箱根に似てますが、箱根ほど滑らずに歩き易かった。
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そんなこんなで国道の下をくぐったり、階段を登ったりしていたらすぐに平たいところ出ました。
あっけなく鈴鹿峠を越えてしまいました。難関と言われてたわりには軽かったですね。
多分、関宿から徐々に登って来ているので負担がそれほどなかったのでしょう。
あれが舗装のない道ばかりでしたら、やはり難所だと思います。
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峠の左手奥の150mくらいに「鏡岩」という名所があるとのことで行ってみました。
この岩肌が鏡のように反射して、山賊が旅人の様子を観察したと言われてます。
山賊が今の私の姿を見たら、ヒゲがのび放題で同業者だと思うのではないでしょうか。
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「鏡岩」に登ってみると、国道1号のつづら折をトラックが行き来しているのが見えました。
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三重県(伊勢)と滋賀県(近江)の国境が、この峠ですね。
京まで17里(68km)ですか、まだまだです気は緩めませんね。
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滋賀県に入るとスーッとのどかな空気が流れてきます。
何故でしょうか?山の手前と向こうでは風土がガラッと変わることがよくあります。
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こんなところに「万人講」とある大きな石灯籠がありました。目的がよく分かりません。
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そうそう鈴鹿馬子唄の文句に「坂は照るてる 鈴鹿はくもる あいの土山雨が降る」とあります。
坂下は晴れていても峠を越えた(間の)土山は雨が降るくらい天候が変わるという教えです。
そういえば土山に入ってから少しパラッと降りましたもんね。
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実は土山への途中、峠越えで飲む水の量が増えて持参の水が切れたとこでした。
この暑い中、水がなくては困ったなと思いながら歩いていたのですが、ある村落で1台の自動販売機を見つけました。
ホント砂漠にオアシスという気持ちでした。
延々と国道沿いの脇道を歩くこと1時間。田村神社手前のうっそうとした森の中に新設された「海道橋」を渡ります。
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この田村神社はかなり格式の高いところだと歩いていて分かります。
祀ってあるのは「坂上田村麻呂」ですね。
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数日後にお祭りがあるようで、電灯が飾られてあります。
東海道を歩いていると意外なところに古い格式のある寺社があり、土地の歴史を感じさせます。
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がーーん!坂下から土山にかけては食事するところがなく、道の駅「あいの土山」ですればいいと思っていました。
ところが本日は定休日と、「あいの土山」に空腹の私への「愛」はなかったのですかね。
もう午後の2時ですが、このまま歩き続けるしかありません。
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とぼとぼと土山宿を歩いて行きます。道がカラー舗装されて東海道歩きの人のコースガイドになります。
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土山は民家の前にかつての旅籠名の石碑があり、町をあげてかつての宿場気分を盛り上げています。
亀山などの板に屋号を書いてあるのもいいですが、こちらの方がよりいいですね。
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土山宿を歩くこと1時間。やっと食事ができそうな店「うかい屋」を見つけました。
食事をした後に聞いたのですが、ここのご主人は私がガイドブックにしている本の協力者でもあるそうです。
私は蕎麦を注文しましたが、これも後で聞いて名物の「夕霧そば」だったとのこと。メニュー選択は正しかったかな。
古民家を改築して、東海道歩きの本や情報を発信しているお店作りに感心しました。
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土山宿の中心にある本陣跡です。子孫の方がお住まいのようで公開はされてないようです。
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そしてこれが私めの今宵の本陣となる「大安(だいやす)旅館」です。外観はいたって普通の民家です。
土山宿にはここ1軒しか泊まるところがなく、選択の余地はありませんでした。
過去に東海道を歩いた人のブログを参考にすると何人かがここに泊まっていました。
評価は「全く競争がなくサービスは最低」とのことでしたが、人の意見は話半分ですね。
宿泊客は私一人でしたが、わりと親切に応対してくれました。普通じゃないでしょうか。
お風呂もちゃんと沸かしてくれて、洗濯も洗剤をもらい脱水してくれたりしてサービスよかったですよ。
ひょっとすると人を選ぶのかもね。ぐっすり眠れました。
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2013
07.20

46亀山~47関

Category: 東海道53次
昨年11月に始めた「東海道53次の歩き旅」も今回の旅で最終回となりました。
あれから8ヶ月も経ち季節は夏になりました。
荷物は夏服で軽くなりましたが、暑さとの戦いになります。
伊勢路から向こうは東海道線からも外れ、一気に京都まで行くしかありません。
それでは前回の続き46番目の宿場:亀山宿から再び旅立ちます。
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朝6時に横浜の自宅を出立。各駅停車を乗り継いで7時間掛けて午後1時に亀山駅に到着。
飛行機や新幹線が当たり前の現代人にとっては長旅でしょうが、今まで歩いた道のりを思い出しながらの車窓はとても短く感じました。
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前回亀山宿はお城までの東町を歩いたので、今回は西町からスタートとなります。
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歩き始めたとたんに空腹感が、そうだ昼飯を食べていませんでした。
右手に洒落た「コ・ビアン」というレストランを見つけました。
1階右手が洋食屋で左手がブティックのようで、上は住居でしょうか。
この辺では場違いな和風モダンなつくりです。

若い30代のシェフが応対してくれて、ランチ800円を注文。中身はハンバーグと鳥唐揚げと魚フライ。
ここものすごく安くておいしかった。800円が一番高くてチキンカツなんか300円くらいでした。
帰りにキレイなご婦人がレジにいましたが、シェフのお母さんのようです。隣のブティックをやっているのでしょう。
「これから東海道を歩く前の腹ごしらえ。」と話したら、店の経緯などいろいろ説明してくれました。
2009年の8月に開店したんだって。
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しばらく行くと「野村一里塚」がありました。
京都まで歩いてみて、これが一里塚らしい最後の見納めでした。
あとの一里塚は石碑とか代わりの木で代用してありましたもんね。
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亀山の東海道はずーっと高台を歩いて行きます。
低地の方には田圃が青々と広がり、割と豊かな城下だったことがしのばれます。
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次ぎの関宿までは鈴鹿川沿いを歩きます。遠くに見えるのが鈴鹿山地です。
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1時間ほど歩いて、関宿の入口に到着しました。
亀山宿から関宿は6kmくらいと宿場間の距離が短い。
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こちらは伊勢神宮へ向う伊勢街道への分岐点でもあり、一の鳥居がありました。
50kmくらいですから、2日歩けば伊勢神宮へも行けますね。
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映画のロケ地のような宿場が続いています。
休日の午後3時過ぎですが、誰も歩いていません。
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連子格子の平屋が続き、いい雰囲気です。軒の高さが揃っているのがスゴイ。
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こちらは「関まちなみ資料館」で、昔の商家の造りや資料が鑑賞できます。
旅籠玉屋との共通券で300円と良心的。
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ここは、しばらく行った「眺関亭(ちょうかんてい)」という見晴台で関の町並と明日歩くことになる鈴鹿峠が眺望できます。
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ここが関宿の本陣ですね。
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「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と言われたその「玉屋」が資料館になっています。
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こちらは玉屋の二階で、8畳間が3つ続いた造りです。奥には布団が敷いてあります。
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宿場の西方にはお決まりの「高札場」がありました。
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関宿もそろそろ終わりで、今日の宿に入る前に夕食の算段を考えた方がいいような気がしました。
と言うのも食堂とかコンビニとかが全くないのです。
宿泊する「関ロッジ」へ電話してみると、昼までに予約がないと夕食は準備できないとのこと。
うーん困ったと、たまたま通りがかった「会津屋」さんに「食事は何時までやってますか?」と聞いたら
「5時閉店です。」との返事。
時計を見るとなんと4時50分。
仕方なか、さっきコビアンで食べたばっかりだけど食うか。と
東海道歩きの鉄則、食べられる時に食べるしかありません。
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名物のおこわと蕎麦を食べ終わり、しばし店の女将とオジサンと歓談。
あわてて入ったけど、ここは「まだも泊まるなら会津屋か」の元旅籠だったのです。
オジサンの話によると仇討で有名な「関の小万」はここ(旧山田屋)で育ったとのこと。
小万が女だったことも初めて知りました。
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関宿はもう少し続きますが、この先を右折して山の高台にある「関ロッジ」へ。
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古いブルトレがあり、中で泊まることもできるようです。
元は国民宿舎で最近経営者が変わり、今週から改装して営業再開されました。

鈴鹿峠の前後には泊まる宿がなくて、計画にとても難儀しました。
亀山からもう少し前に進みたかったのに宿がなく、この「関ロッジ」しかなかったのです。
偶然ですが、夏休み前のこの週に予約できてラッキーでした。
ということで短いですが最終旅の1日目が終わりました。
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