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足利直義(ただよし)

足利直義
この方をご存知でしょうか?
歴史の教科書などでは「伝:源頼朝」と習った記憶があります。
最近の研究では足利尊氏の弟:直義という説もあります。
いづれにしても、源氏の嫡流で冷静な事務屋さんというイメージです。
足利直義とはこんな感じの人だったのでしょう。

演じていたのは高嶋兄弟の弟:高嶋政伸さん。
政伸さん弟キャラが身についていて、1996年の「秀吉」でも
秀吉の弟:秀長を演じてました。この時の秀吉は竹中直人です。

動乱の時代の兄弟とは哀れなもので、遠くは頼朝と義経、織田信長や伊達政宗も
弟を自らの手で始末する運命になっています。
この尊氏と直義の兄弟も悲劇の終盤を迎えます。
鎌倉幕府討伐から建武の新政、足利幕府成立までは一致協力するのですが、
幕府成立後は南北朝の対立や幕府内の高師直などの武断派と直義ら事務方との対立
もあって、次第に兄弟仲が悪くなっていきます。

この足利幕府というところもヒドイところで、幕府成立の時は北朝を支持していたのが、
内部分裂が生じると南朝の北畠親房なんかがちょっかいを出すものだから、
南朝に寝返ったりする人が出てきたりで、もう何が何だか分からない混乱状態です。
南朝でも北朝でも都合のいい時だけ利用し、利用した後は寝返るという節操のなさ。
ミソもクソも一緒のようなモラルのなさが、足利幕府の重大欠陥と私は見ています。

ともかく最終回までこの兄弟の争いは続き、ついに戦いに負けた直義は鎌倉に幽閉され
尊氏の指示で毒殺されます。
直義の悲痛な叫び「兄はいいよな。好きで弟などに生まれてきたのではない!」

この悲劇をもってしても動乱の世は治まらず、尊氏も死を迎えます。
盟友の佐々木道誉と妻:登子に見守られ、静かに息を引き取ります。
ひと時も休むことのない戦乱に明け暮れた人生でした。
南北朝の動乱が治まるのは、孫の足利義満の時代まで待たなければならないのでした。

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2010/02/09 00:36 |太平記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

佐々木道誉(どうよ)

昨日の答えから
佐々木道誉は近江源氏の出で足利尊氏の生涯の盟友です。
道誉は出家してからの名前ですが、この人も「高氏」という名前でした。
この名も北条高時からもらったのでしょうが、高時の御側衆をしていました。
ハデで押し出しのいいタイプで、現代なら優秀な営業マンといった雰囲気です。

結構頭もよさそうで状況判断が早く、すばやく鎌倉幕府方から寝返りました。
尊氏の味方になってからは功績をあげ、終生の片腕になりました。
この人は当時としては長命の78歳まで生きたそうです。

バサラ大名と呼ばれ素行に問題があり、公家に狼藉を働いて流罪になったりもしました。
反面、教養もあり連歌や猿楽の保護にも努めたといいますから
いろんなことにマメな人だったんでしょうね。
南北朝の時代では、最も魅力を感じる人物です。

演じていたのは陣内孝則。尊氏の静に対して動。
セリフのテンションが高く好演だったと思います。
1997年の「毛利元就」でも同じようなキャラの陶晴賢を演じましたが、
この時は、主役の元就に厳島合戦で討たれてしまいましたね。

この「厳島合戦」は、義経の「一の谷」、信長の「桶狭間」に並ぶ
私が日本合戦史上の三大奇襲戦と名づけている1つであります。

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2010/02/08 00:30 |太平記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

太平記の夫婦

引き続き「太平記」のお話です。
足利尊氏(真田広之)の父母役がなんと緒方拳と藤村志保でした。
これは遡ること26年前の1965年「太閤記」の秀吉とねねであります。
また、尊氏の正室:登子役には沢口靖子。
彼女は1987年「独眼竜政宗」で政宗の娘:五郎八姫(いろはひめ)役であり、
その夫:松平忠輝(家康7男)役が真田広之。
ということで親子2世代がかつての夫婦役で、最初から息も合っていたことでしょう。

前半の見所は、北条高時役の片岡鶴太郎の怪演でありましょう。
白塗りのメイクでバカなのか利口なのかよくわからないハイテンションのノリ。
闘犬にうつつをぬかし、源氏の嫡流である足利氏を目の敵にします。

先日書いた「風と雲と虹と」の興世王(米倉斉加年)に匹敵する気持ち悪さ抜群です。
しかし、興世王といい北条高時といい、敗れ去った後は案外往生際がいいのです。
新田義貞に鎌倉を攻められ、もはやこれまでと一族を集め自決する時は
敵役ながらアッパレと涙が出てきました。あー鎌倉武士はほんに潔かった。

ところで尊氏の「尊」は倒幕のご褒美に後醍醐天皇のお名前「尊治」から一字頂いたもの。
幕府が倒れる前は高氏と名乗っていました。
するとこの「高」は誰から頂いたものでしょうか?
そう、北条高時の「高」をもらったのであります。

それではこの時代、もう1人有名人で同じく「高氏」という名の人がいました。
その人の話は明日以降にいたしましょう。

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2010/02/06 23:01 |太平記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

太平記のふるさと

1991年の足利尊氏(真田広之)が主役の「太平記」は思い出深い作品でした。
「独眼竜」が戦国(桃山)時代の派手で明るい作品の代表とすると、
こちらは重厚でしっとりとした様式美のような作品でした。

中でも侘び茶のような風情をかもし出したのが、番組が終わった後に
流される「太平記のふるさと」というデザート。
物語のゆかりの地を数分間で紹介するコーナーなのですが、
山根基世アナウンサーのナレーションがなんとも心地よかった。
この部分はDVDにも入ってなくて、もう2度と見られないのかと思うと
残念な気持ちです。

「草燃える」
「太平記」
「徳川家康」
この3作品の共通項は何でしょうか?
そう、いづれも幕府を開いた将軍を扱ったものですね。

この3作品を見ていると、頼朝や家康は思慮深く冷静なのですが、
尊氏は人がいいと言うか、優柔不断で方向性がブレがちなのです。
このブレが南北朝の騒乱を生み、足利幕府の基盤の弱さを
露呈していると思います。
足利尊氏さえしっかりしておれば、この騒乱も早めに収拾し
堅固な幕府経営ができたのではと思ったりします。

やはり組織のトップは、八方美人的な人のよさより情に流されない
怜悧さが大事だと、3幕府の創始者が教えてくれているようです。

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2010/02/06 10:46 |太平記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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